番外編競作 禁じられた言葉 参加作品 / 注意事項なし

天の庵 番外編

一夜花簪 (イチヤ ハナカンザシ)

written by ceylon
三日月が薄い雲を纏いながらも煌々と空を照らす夜。
森は静かに眠ろうとしていた。
たまに風で揺れる葉擦れの音が耳をくすぐるくらいで、梟の鳴き声すら今は聞こえない。
ただ軟らかく夜は更けゆくばかり。
カラ…
ふいに、静寂を破る不躾な音が響く。次いで、人の気配。
邪魔な瓦礫を足でどけて、舞いたつ砂埃に苓夜(レイヤ)は咳込んだ。
「っ…ごほごほっ、…急に森をぬけたぞ?」
きょろりと周囲を見回して首を傾げる。
雲が切れ、白く柔らかな月の光が森と彼とを照らす。
ふわりと夜空に滲む、淡青色の髪。両の碧眼は驚いたように開かれる。
深緑の帳の隙間に立つように建てられた神殿が、彼の眼前にそびえ立っていた。
双子神を示す立派な紋章が彫られていることから、かつては双世(そうせい)教の神殿の一つとして使われていたのだろう。
だが今では遺跡などという立派なものではなく、ただの朽ちた廃墟と化している。
生き物の気配のない酷く寒々しい入口は、まるで彼らを待っていたかのようにぽっかりと口を開けていた。
「ほんっとーに、此処なのか?確かに幽霊が出るにはうってつけの場所な気もするけど…」
見上げてぼやく苓夜に、後ろから馬鹿にしたような声がかけられる。
「なんじゃ。怖いのかぇ?だらしが無いやつじゃのう」
くつくつと笑いながら歩を進めてきたのは、絶世の美女。
人には有り得ぬ銀の瞳を持ち、絹のような萌黄の髪を背に流し優雅に裾をさばく。
瓦礫だらけの地面も彼女には何の障害にもならないらしい。
「そんなわけあるかっ。霊よりもタチの悪いものに、幾度出会ってると思うんだよ」
(おう)、と文句を言う。
確かに苓夜が相手にするのは、正常とはかけ離れていて――ましてや『人間』とも言えるか分からないものばかりであった。幽霊などさして珍しくもない。
今更怯えるも何もあったものじゃないだろうと苓夜は憮然と相手を睨んだが、その瞳には気を許した仲間だけに見せる軟らかい色も混じっていた。
それが分かっているのか、櫻もさして取り合わず頷く。
「まぁな。だが、なら何故嫌そうな顔をしてるのじゃ?ちゃんと報酬も出るではないかぇ」
何が不満なんだと問いかけてくるが、彼女自身その答えを知っているのは、笑みをたたえた瞳を見れば瞭然で。
入口に何か仕掛けられてないか探りながら、苓夜はため息をついた。
「別に金に困ってるワケでもないのに……気が進まない。雪姐さんを通しての依頼じゃなかったら断ってるトコロだよ。―――幽霊退治なんて」
幽霊退治。
苓夜が渋る理由は、このくだらない依頼のせいであった。
由緒正しき双世教の遺跡から夜な夜な呪いの声が聞こえてくるだの入ったら二度と出てこれないだの、漠然としてはいるが恐がった付近の住民が泣きついたため、村長が情報屋を介して苓夜に退治を依頼したのだ。
目的のある彼にはそんな暇はないのに。
(幽霊ねぇ。そんなの神殿にでも頼めばいいのに……って断られたんだっけ)
村長は双世教にも頼んだらしいが、にべもなく断られたのだと雪が言っていた。
何でも、聞いた瞬間「そんな所に神殿の跡などない!」と烈火の如く怒ったそうなのだから可笑しい。
なら目の前にあるコレは何なのだろうか…。
「罠はなし。雨風に傷んでいるけど立派な双世教の紋章もついているし、間違いなく神殿跡だな」
紋を指でなぞれば、幾百年溜まった埃が山を作る。
見れば分かる事なのに、何故神官は偽ったのだろうか。
眉をよせた苓夜に、櫻は当たり前のことよと口の端を吊り上げる。
「決まっておろう。己が不利な話は残さぬものよ」


* *


肩を寄せる。愛しい人。
花は宵に霞咲き。
幻楼なる紅吹雪の中、
ひそやかなる蕾は手折られた。


* *


『―――…』
ふいに耳の端を、何かが掠めた。
「?」
「どうしたのじゃ、苓夜」
首を捻った苓夜に、後から着いてきていた櫻が問う。
薄暗い廊下はともすれば崩れ落ちそうなほど老朽化していたが、流石は双世教というか四方を支える石柱はビクともせずに建っていた。
その広い通路の真ん中に立ったまま、二人は歩みを止める。
「声が」
「声?」
「…あ、違う。歌だ。歌が聞こえる。――ほら、今も!」
ほら、とうながされるが櫻はそれに対して眉を寄せるばかり。
彼女の耳には何一つ聞こえない。
前と変わらず、しん…とした冷たい空気が漂うばかりであった。
だが、苓夜は宙に視線をさ迷わせたまま虚ろに耳をすませる。
心を揺さぶる白糸の声が、朗々と綴る哀しき旋律。
耳朶をくすぐり脳をかすめて、心の奥深いところへと残り香のような声が落ちていく。
誘われるように一歩を踏み出した事は、本人の気付かぬ無意識の仕種であった。
「異国の、歌?…………あ、消えた」
ふつり、と途切れた声に苓夜はようやく我に返る。
何処か寂寥感を覚えながら、息をついた。
「聞こえたか?」
「わらわには何も聞こえなんだ」
「そ、か」
ようやく思い出したように振り返るが、それに対しての返答はにべもないものだった。
「……歌が聞こえたんだ。透き通った男の、声で。歌詞は分からない。多分、異国の言葉だと思うけど」
この侶(りょ)大陸は共通言語である。
神職の者だけが、少しだけ古代語を使うだけで他言語は存在しない。
だから、異国というのは即ち異大陸のことであった。
「何か幽霊騒ぎと関係があるのやもしれぬな。――ふむ。苓夜、おぬし歌ってみぃ」
「は!?」
唐突な言葉に目が点になる。
「わらわが訳してやろうと言っておるのだ。聞いたまま口にすればいいだけじゃぞ。そんなのは幼子だってできよう。ほれ、早ぅせい。…まさか既に忘れたなどと、言うのではないかぇ?」
精霊に国境などない。その言葉の持つ正確な『意味』を捉らえる彼らには、異国の言葉だろうと容易く理解をする。
櫻の無茶な要請に、苓夜は思いっきりイヤそうな顔をした。
「〜〜無理に決まってんだろ!歌はともかく、歌詞は見たことも聞いたこともない言葉だぞっ?」
「さっき聞いたばかりなのにかぇ?」
(ふつー出来ないだろ!)
否定する苓夜に櫻は目を細めて、
「……役立たずだのぅ」
酷くつまらなそうな声音で呟いた。


* *


許しを希う。愛しい人。
忘れじの花簪。
黄昏に見た夢。
彼方の約束は、まぼろしとなりて。


* *


長く続くだろうと思われた廊下は、唐突に終わりをつげた。
ぽっかりと口を開けた扉の向こうに見える小さな祭壇跡。
入ってみると、それなりに広い部屋であると分かった。
かつてはここで神官や巫女が祈りを捧げていたのだろう。
「ここが最奥?…何もいないな」
幽霊どころか、本当に何もない。ただの廃墟だった。
部屋を一回りしてみたが、祭壇どころか家具一つなく、四方を囲う石壁が冷たく沈黙していた。
「精霊の気配が薄い」
宙を見つめていた櫻が、ふと気付いたように言う。
何故だかこの部屋だけ、気配が希薄で余り数がいない。
自然信仰の双世教は、その息吹から生まれたとされる精霊も同時に信仰の対象としていた。
そのためか、精霊も好んで神殿へ集まるようにとなった。
共生の歴史。
幾百年経ち、たとえ祈る者がいなくなったとしても、蓄積された年月によって『場』となったこの地は今でも精霊の住まう地の筈である。
だが、今では―――風の精霊王の櫻を慕う風精霊が僅かにいるばかりで、他の精霊はとんと姿がない。
「ふぅん…教会が隠したいのは、どうやらコレらしいな」
精霊のいない、朽ちた神殿。それは“堕ちた”ともとられ。
苓夜は目を細める。
「何でだろう?櫻、精霊達は何故この神殿を嫌う?」
「嫌う?……違うな。精霊達は哀しんでおる。泣くばかりで答えてはくれぬが」
精霊達の哀しみに共鳴したのか、櫻の睫毛が伏せられる。
哀しむのは一体―――と聞こうと口を開いたその時、

 ちり……ん…

「!?」
突然響いた涼やかな音に、二人はハッと部屋の中央へと振り返る。
円形の台座の上に揺れる影。

 ちりん…

「祭壇の上に何か…」

 りぃ……ん

三度、鳴る音。
鳴らす者もいない宙の上で、可愛いらしい小物細工が風に揺られて鳴っていた。
その姿は、儚く。

「……花簪?」
 …ちりん…
応えるように小さく鳴った音に重なるように、景色が一変した。


* *


目をつむり祈る。愛しい人。
願いをかけた満天の星。
見守るのは優しき梟の双瞳。
震える睫毛を宥めながら、彼は小さな頤(おとがい)に唇をよせた。


* *


舞い上がった炎に、薄闇が一瞬にして染め変えられた。
地面も天井も照らされて、まるで部屋全体が燃えているようで。
だが、あまりにも見覚えのありすぎるその色に、苓夜は目を見開いた。
「紫炎(しえん)…?」
零れた言葉は力無い。茫然と目の前の光景を見るばかりである。
宙に浮く花簪を中心に普通ではありえない紫色の炎が勢いよくとりまいていた。
(何で…だって、この炎は…っ)
――――自分にしか使えない筈だ。
魂を焼く神の炎。
人の輪廻転生の鎖を断ち切る冷たい死の炎は、その権限が許された苓夜にしか使えない。
しかし、目の前にあるこれは……
(俺は使ってない。…なら、これは…?)
動揺を隠せぬ苓夜に、横からそっと冷静な声がたしなめた。
「落ちつけ。あれは幻じゃ」
「幻影…?」
「遥か昔の、出来事」
炎に手を伸ばす。…熱くなかった。
だが、先程からびりびりとした気配を感じている。
唯ならぬその気配は精霊の気配にしてはおかしくて……
「…――っ!?」
「あれは…!」
炎の勢いが急に弱くなったと思った瞬間、紫の幻影に新な影が加わった。
それは抱きしめ合う、一組の男女。
長い衣を地に流し、半ば崩れ落ちるようにして男が女を支えている。
髪が長いため、どちらの表情も見えない。
炎が取り巻いているのに、慌てる様子もなく平然と座っていた。……いや、女が消耗しているか。
苓夜は女の腕に焼印のような印を見つけた。
「…櫻、あれは『凶印(きょういん)』だよな?」
白い肌に映えるような、漆黒の二重円。
それは命喰らいの証―――身に刻まれし者は唯人(ただびと)の路を外れ、人の生命を喰らう罪人へと堕ちる。
苓夜の紫炎で、滅ぼすべき存在。
「ならば、男が使い手じゃろう」
死の炎の。
遠い昔にも自分と同じ使命を負っていた者がいたことに、苓夜は驚き息をのむ。
ふいに掠れたような、声が聞こえた。

≪…追えぬ我を、許せ……――≫

静かな声なのに、血を吐くような切ない叫びに聞こえた。
女はゆっくりと首を上に向けると、横にふる。
女の髪に飾られた花簪が、ちりん…と鳴った。

≪…貴方の手の中で終われるのなら、悔いはございません……≫

微笑んだ、と気配で感じた。
男は壊れそうな華奢な肩を一層強く抱きしめる。
それは、女の身が形を失うまで続いた。

≪…禁じられた言葉と知りながらも、君を願った。それは正しかったのか。君は……≫

衣すらも失せた女の残り火に目を臥せ、男は静かに口を開いた。
優しくいとおしく歌を紡ぐ。世辞にも上手いとは言えぬ、拙い声。
だが、そこには心を掴まれるほどの『想い』があった。
「これだ…。この、歌だった」
あの廊下で聞いた儚い歌声。
哀しい歌だと感じたのは二人の悲劇ゆえか。
相変わらず苓夜には歌の意味が分からなかったが、櫻はそれに思いあたったようだった。
「…エイン……『罪』ある愛、か」
歌は恋の歌だった。歌詞自体は優しく穏やかに綴られている。
愛しき恋人へ向けた恋文のような、艶やかな表現も混ざっていて幸せそうな詞だった。
……違和感を伴う『禁忌』という言葉がなければ。
魂を奪う者と奪われる者との禁忌の恋。
その路の先に破滅しか待っていないと知っていても、手を取った。
「死は贖(あがな)いになったのだろうか…?」
ぽつりと呟いた苓夜に、櫻は何も答えない。
ただ、男の切ない声が朗々と広間に響いていた。

≪…君が安らかであることを、切に願う……≫

 …………ちりー…ん…

歌の終わりに一言、小さく祈りを捧げて声は消えた。
そして、その姿さえも朧になり、花簪一つを残して全ての幻想が消え去る。
涼やかな音を奏でて、地に転がった女の形見。
苓夜は近付き、そっと手に取った。

記憶が流れこむ…―――


* *


逝く身体。愛しい人。
漆黒の闇のなか。
紫の炎に包まれて。
優しく微笑う君の、その全てを焼いた。


* *


「二人の想いが、この花簪に宿ったんだ…」
その身に流れ込んでくる膨大な歴史に翻弄されながら、苓夜は語った。



女は歌うたいだった。
生まれつき精霊に愛されし女は信心深く、巫女ではなかったがよく神殿で歌を奉納していた。
その身、自然体にして精霊巫女と呼ばれ。
そんな女が、異国より訪れし男と出会ったのは必然か偶然か。
女は男に歌を教え、男は女に異国の文字を教える。
二人が恋人となるのに時間はかからなかった。
しかし男は旅人。共には在れない。…彼の使命が、そうさせない。
美しい雨上がりの朝、遠く果てに在る凶印の気配に気付いた。
花簪を土産にすると約束し、男は旅立つ。
それが、微笑って相対した最後となることも知らずに…―――

数年後に男は帰ってきた。その手には約束の花簪。
だが、待っていた女は変わり果てていた。
いつも歌を奉納していた祭壇の前で出向かえたのは、凶印を身に宿し虚ろに笑う女。
精霊に愛されし故に起きた悲劇だった。
花に蝶が寄るように、純粋な魂にいつの間にか忍び寄った影。
すべては手遅れだった。
……そして、それは二人の終わりを意味するもの。

選択肢は無かった。滅びしか、なかった。
―――最期の夜。
それでもと男は女に愛をささやき、女も涙を零しながらも頷いた。
女の髪に、そっと簪が飾られる。
二人は花簪の見守る中、一夜限りの契りを交わした…。



「彼女が死んだ場所だから、精霊が来なくなったのか」
そして、そんな『場』となってしまったこの神殿を双世教は封印せざるえなかったのだ。
以来、禁忌として近寄らなくなった。
―――だが。
「この花簪が、想いを映していた。哭いて、いた」
幽霊の正体とは、そういうこと。
紫炎の使い手である苓夜が、辿り着いたのも必然だったのかもしれない。
全ては、二人の想いが故に…。
「解き放ってやれ。その簪は、おぬしを待っていたのじゃからな」
「…ああ」
息を吸い、目を閉じる。
呼吸するよりも馴染んだ、その感覚に意識をのせた。
(……思いは繋がれた。もう、眠るといい)
ぼう…と紫の炎が苓夜の手に灯る。
しかし彼の手を焼くことはなく、その内にある花簪だけが包まれた。
かつて一度は耐えたその炎だったが、今度は簡単に浄化を受け入れる。
……燃え尽きるのは、すぐだった。
後には静寂―――――
「行こう。もう、幽霊騒ぎは起きないだろう」
外へ出ると、朝陽が出ていた。白い石壁を余すことなく照らす。
その光は、導きの路にも見えて。
(男は、使命をとった。最愛の女を自らの手で殺すことを選んだ)
一夜限りの禁じられた逢瀬に甘んじたとしても。
「幸せは…――」
「?何か言ったかぇ?」
「……いや」
神殿に背を向ける。雲雀(ひばり)の鳴き声が天へ高く響いた。


破魂の旅人と凶印の歌姫。
あなたたちは、幸せだったのか…―――?



<終>


本編情報
作品名 天の庵
作者名 ceylon(セイロン)
掲載サイト 奏風庵
注意事項 年齢制限なし / 性別注意事項なし / 表現注意事項なし / 連載中
紹介 崩壊をはじめる世界。破魂の力を持つ青年・苓夜は、北の神殿で巫女の少女と出会う。神話から続きし物語は終わるのか、それとも……。廻る命と罪、そして祈り。
―――異世界FT。シリアスで、恋愛要素はやや薄いです。2章連載中(MIDIなります)
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