霞の中、誰かが立っている。 その存在は稀薄で今にも消えそうだ。 (……うた?) 物悲しい旋律は、その人影から聞こえてくるものだった。 聞いた筈のない…されど懐かしい子守唄。 慈悲深い女神のような銀の声に、心が揺さぶられるのが分かる。 幻想のような一時。 (これは、夢だ) 幾度となく繰り返し見ている内容に、冷静な思考はそう判断をする。 虚ろに支配された心はそれに何の反応を返すこともなかったが。 しかし、それは唐突に破られる。 虚空に細身の銀の剣が現れると――――――それは女を一直線に貫いた。 |
「賊だっ、賊が出たぞー!!」 帝都の中心部に城とともに建っている双世教の教会では、陽が落ちるとともに悲鳴が響きわたった。 結界が何者かに破られたのを皮切りに武器を持った賊たちが雪崩れこんでくる。 とうに参拝時間は過ぎており堅く閉められていた扉は、突然の爆発に無残に瓦礫の山と化していた。 『火』の力を中心とした協力な術が立て続けに教会を襲い、雄叫びをあげながら数十人という賊が内部に攻め入る。 驚いた神官や警備隊がばらばらと出てきて、防衛の体制を取るがあっという間に乱戦となる。 静かな教会は、あっという間に騒然となった。 さすがに内部で強力な術を使うわけにもいかず、剣や体術による攻防になる。 どちらかというと戦力には弱い神官に代わって護衛として雇われた傭兵が奮闘するが、質と量の差はどうにもならなかった。 次々と倒されていく中、護衛は宝物殿に進入する。 「いいか、作戦通りに動け!」 威勢の良い声が響く。 おう!、と言う何十もの返事を聞きながら刀呀は蜻葵に視線を向けて促した。 蜻葵は刀呀に頷いてから、すぐ後ろにいた欒に振り向く。 「頼む」 「任せておけ。中で何かあったら、そこのヤツでも身代わりに差し出して逃げろ」 「……おい!おまえな…」 「さっさと行け。集中の妨げになる」 片頬をひきつらせる刀呀に、欒はつんと背を向けて術の準備をする。 そうして、自身と二人の間に壁を作った。――――結界。 欒の役割は、敵をここで足止めすることだ。 宝物殿へ進入する、蜻葵と刀呀を含めた十数名が中で円滑に行動できるように、入り口を護り何人も通さない。 刀呀が欒たちと徹夜で考えた作戦で、隊をいくつかに分けて役割をそれぞれ受け持つことにした。 とにかく突破口を開く<特攻班>、 敵の目を攪乱させる目的で戦う<戦闘班>、 教会外へ戦闘を知らせないために結界を張る<援護班>、 ―――そして、蜻葵たち宝物殿へ潜り込む<潜入班>。 欒の担当は目立つと困るので、一人で行っている。 前回は全員で宝物殿へ押し入ったが、今回は精鋭で探査することにした。 その効果はあり、敵も前回とは違う手口に困惑している。 (さて、作戦終了まで少し遊んでやるか) 両の手を合わせ、その内で練る術の感触を確かめる。 蜻葵たちが宝物殿の扉の奥へ消えたことを確認すると、欒は滅多に浮かべない笑みを作って争乱に加わっていった。 前回宝物殿を狙ったため、今回は内部にも警備を強化しているのではと、刀呀は危ぶんでいたがそれは杞憂に終わった。 教会は警備を強化する手間よりも宝物を別の場所へと移動させる手間をとったらしい。 それが何処かは知らないが、警備はそこに集中しているらしい。 「願ったりだな。じゃあ手分けして探そう。あ、単独では行動するなよ。警備が薄くなったからと言って全くいないわけじゃないだろうから」 「おう!」 互いに笑みを交わして男たちは別れる。 それを見送った蜻葵と刀呀は、時間が惜しいと言わんばかりに宝物殿の中を駆け抜けてゆく。 目指すは、最下層。 廊下の端や階段の途中から幾人か警備が出てきたが、剣術・体術ともに秀でている刀呀の敵ではなかった。 ほぼ一撃で、相手をのしてゆく。 昔、騎士団で鍛えた刀呀の剣術は、一見荒っぽく見えるがその実とても繊細で無駄のない動きをする。 闇を斬るようなその煌きが、蜻葵は好きだった。 自身もさすがに慣れてきた細身の剣を用いて、敵を確実に倒してゆくと……いつの間にか二人は最下層へ到達していた。 以前来た時にはこの最下層には金銀が山のように置かれていたのだが、ごっそり丸ごと移動させたらしく広い空間はがらんどうとしている。 もちろん警備の姿も一つもなく、二人は切り抜かれたような四角い空間を無造作に歩いていった。 執拗に壁へ視線をやる。……一つとして見落とすことのないように。 (どこかに、どこかにある筈だ!) どこまでも白い壁と棚に刀呀は少々焦りを覚えながらも、手で壁の感触を確かめながら進んでゆく。 反対側を見ると蜻葵も同じことをしていた。 冷静に、かつじっくりと探るその様子は、早く帝王のもとへ近づきたくて焦る気持ちをずいぶんと穏やかにさせる。 まだ、時間はある。 深呼吸を一つしてから、刀呀は再び行動を開始した。 「…………」 壁をじっくりと探りながらも、蜻葵は心の中でひとつ溜め息をついた。 集中力が、足りてない。 おちついて探しているふりをしていても、ふっと意識が別のことに気をとられてしまう。 原因は分かっていた。今朝の、夢だ。 おぼろげにしか覚えていないが、剣と歌……それに、女が出てきたようだった。 その夢をもう何年も蜻葵は見ていて、はじめは歌だけだったものが女の姿も加わり、そして今日は剣まで出てきた。 自分はその夢では傍観者で、女が貫かれた時もどこか壁一枚を隔てているように実感がまるでなかった。 だが夢から覚めた今、それは蜻葵の頭のどこかにひっついて離れず、こうして時たま集中の妨げとなっている。 ……ふと、蜻葵は手を止めて反対側で作業している刀呀を見た。 真剣な様子で壁を探っている。ほんの僅かな違いでも見逃さないという気迫が漂っている。 その姿は刀呀の目的を思えば当たり前であり、こうして意識を乱しながら作業をしている自分を恥じた。 (今は、ただ集中を…) そうして再び意識を壁に戻した……………と、 「………変だな」 「蜻葵?」 訝しげな声とともに刀呀が近寄ってくる。 蜻葵は自身が探っていた壁の一部を眉根を寄せて見つめていた。 一見ただの壁に見える……が、蜻葵は気になるらしい。 刀呀も見てみるが、全く他の壁との違いが分からなかった。 「どこかおかしいのか、蜻葵?」 「………」 蜻葵は答えずに壁を入念に調べてゆく。 一番下部まできて……あるはずのない手ごたえに蜻葵は眼差しを鋭くした。 色はない。無色透明な突起が壁の一番下から出ていた。 そのまま力任せに引っ張る。 「……これ、は…」 壁が回転するように開き、中へ通じる隠された路があらわれた。 刀呀も口笛を吹いて驚きをあらわす。 これぞ、探していたものかもしれない。 期待が胸に膨らむのを抑えて、刀呀は腰から剣を引き抜いた。 蜻葵も同じようにする。 通路は酷く薄暗く、慎重に辺りに注意しながら進んでゆく。……と、細い通路は唐突に終わりを迎えた。 隠された路の先にあったものは、―――封印呪の施された鉄格子の檻。 明らかに城からの隠し通路ではない。 失望を隠しきれない二人の耳に、小さな声が聞こえてきたのはその時だった。 「……だれか、いるの?」 「!?」 反射的に剣を構えながら振り向いた。 ……だが、目の前には檻。 声の主は剣の届かぬ檻の中、その向こうの小さな部屋で不思議そうに首をかしげていた。 囚人というには部屋が質素ながらも一通りの生活をするに不便はないものだったし、健康にも問題なさそうだった。 二人の侵入者に剣をつきつけられながらも、白い夜着をまとった女は不思議そうにこちらを見返している。 その紫色の瞳があまりにもきれいで。 蜻葵は一瞬目を奪われた。 「あなたたちは、だれ?」 再び問いかけられて蜻葵は我にかえった。 返答しようか迷ったが、敵ではないだろうと判断してとりあえず答える。 「我らは反帝国組織『蜻蛉』だ。訳あって神殿に潜入している」 「反帝国?……そんな人たちがここに何の用なの?」 ここは見ての通り牢獄よ?、と呟く女は蜻葵たちに対して何の警戒心も抱いてないようだった。 「アンタは誰だ?何故こんな隠されたところに囚われている」 刀呀が聞くと女はゆるゆると首を横に振った。 ふわり、と金の髪が揺れると花のような香が薫る。 その匂いに蜻葵は無意識に眉をしかめかけるが、それでも視線をそらさなかったのは、――彼女の瞳がとても澄んでいたから。 そんな蜻葵の葛藤を知らず、女は悲しげに笑うばかり。 「分からないわ。私には、何も分からないの」 そう繰り返す女は確かに何も知らなそうだった。 蜻葵と刀呀は視線を合わせる。 「無駄足か?」 「……かもな。…ちっくしょう!!時間があまりない。もう一度探そう!」 「ああ」 落胆はひとまず置いておくしかない。踵を返そうと首をめぐらせると、途端に声がした。 「待って!何か、探しているの?」 かしゃんと檻の所まで近寄ってきた女に、刀呀は怪訝そうに見る。 「そうだが。…悪いけど、今はアンタにかまっている暇はないんだ…」 「――城への隠し通路を探している」 刀呀がすべてを言い終わる前に、蜻葵が割り込む。 知らない女に話しかけるという滅多にないことに、刀呀は怒りよりも先に驚きに口をつぐんだ。 「城への…隠し通路?」 「ああ」 「おい、蜻葵。さすがにこの娘には分からないんじゃないか?」 「―――知ってるわ」 「な。………って、おい!知ってるのかっ!?」 ガシャンと檻に詰め寄った。 その勢いに多少目を丸くしながらも女は、しっかりと頷いた。 「ええ…たぶん。前に神官の一人がここに来て目の前で、扉を開けて行ったわ」 「目の前?…どこに扉があるんだ?」 見渡すがどうみても檻の他は壁しかない。 女の言葉が真実かどうか迷う刀呀に、さらなる声が重なる。 「私をここから出して」 女は静かに願った。 「扉を開ける方法は知っているわ。『言葉』も。……お願い」 しばらく沈黙が支配したが、やがて頷いたのは―――蜻葵だった。 残された時間は少ない。 本当に知っているのなら是非に協力が欲しいところだ。 「分かった」 「おい、蜻葵…」 「アンタは嘘をついていないと、思う」 蜻葵の言葉に女は、ふわりと微笑った。はじめての満面の笑みだった。 残るは刀呀の了解だが…、二人に見つめられた刀呀はぽりぽりと頭をかくと溜め息をはぁーっとついた。 「了解、了解っ。リーダーの言ことには従うよ」 一つ笑みを返すと、おもむろに封印呪が施されていた錠に聖水をかける。 白い煙を発しながら呪は解け、剣で簡単に壊すことができた。 ガシャン ずっと閉じられていた檻が開き、女は本当に嬉しそうに二人の前へ歩み出た。 「ありがとう。…この何年か、出られるなんて思ってもみなかったわ。……じゃあ、案内するわ」 壁に手をつく女に蜻葵は声をかける。 また刀呀が驚いた顔をしてこちらを見たが、気にしないで口を開く。 「俺は蜻葵。こっちは刀呀だ。……あんたの名前は?」 「蜻葵に刀呀ね、よろしくね」 女が笑うと光がこぼれるような気がする。 金茶の髪を揺らし、そっと加えた。 「わたしの名前はね、―――――――緋織 というのよ」 そして、もう一つの歯車が回りだす………。 Back/ Novel/ Next |
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