――2―― 深い森のなか。 闇夜にまぎれるようにして影が木々の間を走り抜けていく。 常人にはほとんど何も見えない程の速度。 風が吹きぬけたように葉が揺れる。 ざ、ざ、ざ――― 森に住む小動物が驚いたように、巣にひっこむ。 梟が、羽ばたき。夜空を滑空した。 永遠かと思われた森はやがて、一つの終わりへとたどり着く。 むせかえる程の濃い緑に埋もれるように山があり、その一片、むきだしの肌に獣の爪あとのような鋭く抉れた穴が開いている。 高い枝と繁る葉に覆い隠される、そこが入り口だ。 影は速度を緩めると、その入り口の穴へと近づいていく。 入り口から3歩離れたところで立ち止まった。 「……天舞う蟲の名は」 突然、気配もなしに中から人の声がした。 影は答える。 「蜻蛉。…その翅、七色に輝くものなり」 「入れ」 許可が降りる。 影は背後に気配がないことを確かめてから、さっと中へ入った。 土と火のニオイ。 密閉度が高い洞窟にしては、湿気が少ない。 その理由は、あちこちに置かれている松明のおかげであった。 火が燃えるための空気を取り入れる場所があることと、その火自身の効果だ。 入ると、すぐに大きい空洞に出る。 百余名くらい収容できそうな大きな空洞だ。そこから、いくつもの通路へと分かれている。 入り口の狭さからは考えられぬ程、その洞窟の内部は広かった。 ―――反帝国組織『蜻蛉』の本拠地。 入り口で声だけだった見張りの男が、中で出迎えてくれた。 「お疲れ。サブリーダーなら作戦室だ」 「…そうか」 やや中年にさしかかってるくらいのこの男は、帰還してきた仲間に親しげに声をかけた。 彼は返事を返さず無言で口元を覆っていた布をとる。 すると、幼い顔が出てきた。まだ、少年の顔だ。 体格も小柄で見張りの男と比べると余りにも華奢で弱そうだったが、男の方が少年に気を使っていた。 しかし、少年はその大きな猫のような薄金色の瞳を笑みに緩めることもなく、ましてや視線を合わすこともなく奥へと向かう。 少年のそんな態度にも男は気分を害したわけでもなく、むしろそれが当たり前のように頷くと自分の持ち場へと戻った。 扉の奥に入るとそこはすこし広めの部屋となっており、中では沢山の男たちが何枚もの地図を間に論争を繰り広げていた。 彼の姿に気づいた者が数名、手をあげて挨拶をよこす。 「お疲れ!」 「ああ」 少年は、やはり頷くだけで留める。 さらに奥へと足を向かわせる。 そこは幹部だけが立ち入りを許される部屋で『作戦室』と名がついていた。 「欒(ラン)だ。入る」 一声かけてから中に入る。 作戦室では、背の高い男が先ほどの男達とはまた違う地図を何枚も広げて、睨みながら唸っていた。 入ってきた欒に気づくと、男は笑顔を見せる。 「よう、戻ったか。お疲れ」 「ああ」 「どうだった?教会の警備は増えていたか?」 「…易々と忍び込まれたことが悔しかったらしい。警備が倍になっていた。だが、まだ平気だ。あれぐらいなら破れる」 無表情に淡々と話す欒に、男は苦笑する。 外見通りだと思ったら間違いなのが欒である。 性格はもとより、実年齢ですら想像を超えたものであることは誰が信じてくれるだろう。 一見、ただの少年に見える欒は今年で35歳になる男よりも年上である。 病で体の成長が止まってしまったためだと欒は話していた。 だから、この<蜻蛉>では最年長であり一目おかれているのだ。 「そうか……、おまえがそう言うなら安心だな」 <蜻蛉>での術隊を指揮する欒が平気と見通したなら大丈夫だろう。男は、欒の能力を高く評価していた。 術隊は、主に教会からの脱会者だ。 欒も元双世教の神官であったらしいが、刀呀は詳しくは知らない。 まだ蜻葵が<蜻蛉>に入る前に、突然入りたいと言ってきたのだ。 今では幹部の一人である欒は、反対に男に尋ねる。 「刀呀(トウガ)、次の作戦はたったのか?」 男――――刀呀は、欒の言葉に肩をすくめる。 「作戦の前に次の獲物が決まってないんだ。うちのリーダーが何か考えているらしくてな」 だから、さっきから警備の確認とどんな作戦がきても大丈夫なように地図とにらめっこしていたのだ、と言う。 だが、欒はそんな刀呀の言葉は無視し、一つの人物を思い描いていた。 「……蜻葵(シキ)が?」 今まで無機質だった声が気遣うそれとなる。 誰に対してもさほど興味を抱かない欒だが、リーダーである蜻葵にだけは心を開いている節があった。 サブリーダーの刀呀には、まったくの無関心だが。 「気になるか?何なら会いにいけば?アイツは部屋にいるぜ」 からかう口調に欒は少し顔を赤らめたが、すぐに反撃にでる。 「…作戦の指示を仰ぎに行くのも副官の務めだ。軍で習わなかったのか?」 「………」 刀呀が元帝国軍の将軍だったことに対しての、痛烈な皮肉に絶句する。 まさか、このような反撃がかえってこようとは。 諦めの微笑を口元に出し、降参と両手をあげる。 「…へいへい。分かった分かった。俺の負けだ。じゃあ、蜻葵のトコロへ行ってくるさ。何か伝えることはないか?」 「あまり、思いつめるな……と」 「………」 返された言葉に笑みを消す。 やや沈黙したあと踵(きびす)を返し、欒が入って来たのとは違う扉へと向かう。 振り向きはせずに欒へ向けて片手をあげる。 「了解、伝えとくぜ。俺も……同感だしな」 欒からの返答はなかった。 後手に扉を閉めると、何本も入り組んだ細い通路が眼前に広がる。 慣れていない者が踏み入れたら永久に迷いそうなその中を、刀呀は確実な足取りで通っていった。 洞窟は天然の要塞ともなっているので、正しい道を覚えなくてはならない。 迷ったら助けは来ないのだ。 運良く脱出するか死ぬまで彷徨い続けるかのどちらかである。 けっこうな距離を歩いた後、刀呀はある扉の前で立ち止まった。 軽く扉を叩く。 ……返事がない。 不審に思い、刀呀はとりあえず中に入ってみることにする。 「……蜻葵?寝てるのか?」 「……………ぅ」 質素な寝台の上に探し人の姿はあった。 ほっとしたのも束の間、その顔は苦悶の表情をしており、大量の寝汗をかいている。 悪夢を見ているのか、わずかに開かれた唇からうめき声がもれる。 「おい、蜻葵っ!?」 「あ……いや、だ…」 「蜻葵!」 大声で覚醒を促すが、蜻葵は深い眠りに捕らわれていて目を覚ます気配がない。 端正な青年の顔が泣きそうに歪む。 ただ、うわごとのように繰り返される苦しみの言葉。 「嫌…たすけ……」 「――――蜻葵!!」 「!?」 ビクンと体が跳ねる。 はっとしたように瑠璃色の瞳が開かれていた。 悪夢の余韻か、涙が筋となって頬を流れ落ちる。 「………ト、ウガ?」 叩き起こされたため、心臓の動悸が激しい。 乱れた呼吸を整えながら見慣れた仲間の顔を見ようとする青年に、刀呀は乱れた髪をかきあげてやり、優しく笑いかけた。 「よう。起きたか、眠り姫。気分はどうだ。……ずいぶんうなされてたな。昔の夢でも見たか?」 蜻葵はハッとして涙をぬぐう。 とんでもない醜態をさらしてしまったと、自分を恥じる。 「…大、丈夫……。心配を、かけた…」 「ホントか?」 「もう、平気だ。少し…疲れていただけだ。何ともない」 どう見ても大丈夫そうには見えないのだが、強情に頷く蜻葵に刀呀もそれ以上追求はしなかった。 触れられたくないのなら、無理に聞かない。 それが、蜻葵と出会ってからずっと守ってきた刀呀の考えであった。 刀呀は嘆息する。 「…ならいいんだ。何か俺でできることがあったら言ってくれ。欒も心配をしていたぞ。思いつめるなと。おまえは何もかも一人で背負い込んじまうことがあるから……心配だ」 「………」 「おまえは一人ではない。忘れるな」 ぽんと背中を叩くと、真剣な表情を崩して笑顔になる。 刀呀は清潔な厚手の布をその辺から取り出すと、蜻葵に向けて放る。 「着替えろ。汗をかいたままじゃ風邪ひくぞ、ほら」 続けて着替えも放ってくる。 何故、人の部屋を把握しているのだろう? 怪訝な顔つきになりながらも、蜻葵は寝汗で気持ち悪い服を脱ぎ捨て布で丁寧に体を拭く。 新しい服に袖を通している間に、刀呀はまたしてもどこからか茶器を発掘してきて茶葉に湯を注いでいる。 着替え終わった蜻葵は、茶を受け取って椅子に座った。 「……それで?何をしにきたんだ?」 「ああ、そうだ。次の作戦の指示を聞きにきたんだ。獲物は決まったのか? 欒はまだ平気と言ってるが…奴らも馬鹿じゃないさ。そんなに何度も忍び込めるとは思えないんだ。そう、たぶん……あと2回が限度だ。そのうちに教会から城へと通じる隠し通路を見つけなきゃならない。――どこに、侵入する?」 「あと、2回か…。万全を期すなら1回で仕留めた方がいいな。場所は、………やはり宝物殿を狙う」 それだけはないだろうという名を聞いて、刀呀は眉をよせる。 「おいおい。この前潜入したトコロじゃないか。結局、見つからずに宝だけ奪って帰ってきたことお前だって忘れたワケじゃないだろう?」 「それは、そうだが…」 蜻葵は言葉を探す。 「今の帝王は贅沢好きで有名だ。金も亡者と言ってもいい。そんな奴が、万が一の時にも金を置いて逃げるとは思えないんだ。教会の宝物殿には王室所有の国宝なども多数置いてある。がめつく最後まで金にへばりつくような奴だ。隠し通路は絶対に宝物殿にあると思う」 王の鼻先まで続く道。 帝王を討たんとする<蜻蛉>が、狙いをつけたのは城が堕ちた時のための脱出路。 王の命を守る筈のそれは、逆に辿れば城の内部までの直通路となる。 「……そう、だな…」 金と権力がすべてだと思い込んでいる愚者を脳裏に思い浮かべながら、刀呀は頷いた。 確かにあの帝王なら宝物殿への隠し通路を作るくらいやりそうだ。 『力』の意味を履き違えた最低の愚か者。 思い出すとともに吐き気もしてくる。 あの男を殺す瞬間を、何度思い描いただろう。 (だが、それももう少しだ) 小さかった<蜻蛉>も今では大きく成長した。 手を伸ばせば届くような距離になりつつあるのだ。 「やろう。細かな作戦はまかせてくれ。すぐに準備にとりかかる。明日朝までには整うと思う」 「では、明日の日没とともに開始する。前回と同じように術隊が教会の結界を破った後に正面から突入。長くはかけられない。月が真上に来たのを合図に脱出、追手を攪乱させるために術隊を最後尾に配置。――――以上、質問は?」 いつもながら簡潔にまとめられた無駄のない作戦に関心する。 本人は何だかんだと言っているが、リーダーに据えたのは間違いなかったと思う。 もちろん、その美貌を兼ねたカリスマ性もあってのものだが。 刀呀は、了解を出す前に一つ確認した。 「今回は相手の生死に拘っている余裕はないだろう。聖職者を手にかけるやもしれない。かまわないか?」 「………10人や20人死んだところで、神は怒りもしないだろう。かまわないさ」 「了解。じゃあ、日没な」 「ああ」 刀呀が出て行く。 おそらくこれから幹部たちと徹夜で細かい作戦を練るのだろう。おおらかで懐の広い刀呀は、この<蜻蛉>の要だ。 太い柱のように皆をまとめている。 (本当なら刀呀がリーダーとなるべきだった…) それは嫉妬ではなく、本音だった。 刀呀中心にまとまっていた<蜻蛉>に後から紛れ込んだ自分。 なのに、リーダーなどにまつりあげられ、組織の頭などをやっている。 行き場がなかったからここにいるが、蜻葵自身は帝国にも帝王にも何の恨みも妬みもない。 ……自分は此処に居るにふさわしいのだろうか。 自分など居ても居なくても変わらないのではないか? 刀呀さえいれば、<蜻蛉>はやっていけるのではないだろうか? 薄汚い格好で刀呀に拾われた、あの日。 それまでは確かに刀呀がリーダーだったのだ。 だから…、 (俺が、居なくとも……) ―――あなたが、いないとだめなの――― 「……っ」 ふいに、忌まわしき女の声が蘇る。 無意識に左の耳朶へと触れた。 自分では見えないが耳の後ろに小さな、赤い入れ墨がある。 遠い昔の、自分の名。 忘れたい、過去。 無理に押し込められた場所を抜け出して、本当の居場所をさがした。 自分の居場所を。 (本当にそんなもの存在するのだろうか…?) この大地に。 この世界に。 見つけたと思った<蜻蛉>も違う気がする。 同じ仲間として共に戦っているときでも、頭の中にもう一人の自分がいて違うと叫ぶ。 冷静に、他人事のような目で見つめて。 (………だめだ) また、同じことを延々と繰り返している。 蜻葵は軽く頭を振った。 どうも先ほどの悪夢が尾を引いているらしい。 出口のない疑問に捕らわれている場合ではないのに。 いずれ答えは出るだろう。 今は、まだその時ではない。 いや……、本当はもう答えは出ているのかもしれない。 ―――見ないふりをしているだけで。 Back/ Novel/ Next |
|