父親が、大好きだった。

大きな広い背中が、大好きだった。


―――洙夏…


淋しかった。

失われるのは、ほんとに一瞬で。

何故、一緒に死ねかったのだろうかと、嘆いた日々もある。

虚ろな世界で、ただ無駄に生きている自分。

……けど、それならば生をまっとうしてやろうと思った。

両親が自分の分を諦めてまで薬をくれたおかげで助かったこの命を、暗闇に捨てるわけにはいかないと。


幸せに、なろうと。



その願いが通じたのか、ある日わたしに神の力が宿った―――








ひんやりとした空気が家の中に入ってくる。

風もないのに、灯籠が揺れて軋んだ音をたてた。

細い手が扉を閉めると、部屋には再び静寂が戻る。

新たな、客人を迎えて。

「………」

人影は、足音を全くさせずに部屋の中央の机に歩みよる。

そこには、椅子に腰掛けたまま机に突っ伏して眠る少女の姿があった。

紅い髪が広がって、曼珠沙華のように見えなくもない。

案の定、客人はその血によく似た色に過敏な反応を示した。

(おこり)のように体を震わせたかと思った次の瞬間、叫びながら手を突き出したのだ。

「―――ヤアッ!」

凄まじい衝撃とともに爆風が部屋を揺らした。

机は木端微塵に粉砕され、眠っていた少女は強く壁に叩きつけられて地に崩れ落ちる。

息は、すでに事切れているようだった。

「はぁっ…はぁっ…はぁ…―――ッ!?」

肩で息をついていた人影は、自分が砕いた残骸を見て呼吸を止めた。目を、限界まで見開く。

……少女は、どこにもいなかった。

「ど、どこに…」

「ここだよ」

「!?」

振り向くと、先程死んだ筈の少女が階段の下に立っていた。

その身体には傷一つついていない。

悲しげな表情で、こちらを見ていた。

「ごめんね、洙夏ちゃん。ダマすようなことをして。私のこと、覚えてる?」

招かれた客人――洙夏は、焦りの表情を浮かべて部屋を見回す。

いつの間にか三人に取り囲まれており、逃げ道が塞がれていた。

地面には、元が何かも分からないほど無残になった布と綿の残骸が転がっている。

…洙夏は、自分がおびき寄せられたことにようやく気付いた。

改めて、紅髪の少女に目を向ける。

憎しみのこもった眼差しで睨んだ。

「……覚えているわ。血の色をした髪を持つ女。その色が、初めて見た時から大嫌いだった!!」

絶叫と同時に洙夏の周りを焔が取り巻いた。

熱風で、窓硝子が粉々に砕け散る。

「櫻!」

「了解した。家の周りに結界を張る」

呼び掛けに頷くと櫻は硝子のなくなった窓に近寄り、伸びている枝を手折らずに手元に寄せる。

一枝、付け根から先端までもう片方の手で丁寧に数度撫でると、ふぅっと息をかけた。

「『守魂(もりだま)』……炎はちと辛いやもしれぬが、根性見せい」

その言魂に、木は一瞬喜びに震えたように葉を揺らすと一斉に枝を伸ばし、ざああっと家を取り囲んだ。

櫻の言魂により魂を持った樹木は、その身で結界を張る。

「…あぁ、入り口も塞いでおけ。誰も近付けるな」

伺うように動きを止めた枝に笑みを返すと、部屋の中へと向きなおる。

そこでは、炎の壁を間に戦いが始まっていた。

「洙夏ちゃん!これ以上手を血に染めちゃダメっ」

「…うるさい…っ!」

「っ茜莉!こっちへ!」

気配が変わったのに気付いて、慌てて茜莉を引っ張る。

間一髪で、炎が走り抜けた…。

「あ、ありがと…」

「いや。大丈夫か?」

「うん…。ね、苓夜聞いて。あの子を助けられないならせめて―――」

真剣な表情で話す茜莉の言葉に、苓夜も頷いた。

ちらりと後ろを振り返ると櫻が結界を張ったのが分かった。

炎と相乗の関係になってしまう風では、これが精一杯の支援だ。

再び視線を洙夏に戻し、白木の杖を構える。

意識を集中させると密度の濃い風がその先端に集まり、渦巻いた。

「行くよ」

ダンッ

半歩足をひいてから、一気に間合いを詰める。

洙夏が慌てて炎の壁を作りだした。

(それは、どうかな?)

杖の先端を炎壁に突っ込むと、短い掛け声とともにその力を開放した。

壁が波割れのように、杖の触れた部分から消失してゆく。

「な、なにっ?」

(風の無い空間では、炎は生きられない―――)

一部に真空状態を作りだした苓夜は、炎壁を見事消しさる。

洙夏を守るものが、一瞬なくなった。

「茜莉、今だ!」

「はいっ。―――せぇいやっ!」

丸裸状態の洙夏に機会を伺ってた茜莉が、苓夜の声を合図に攻撃をしかける。

洙夏が呆然としている隙に近寄ると、気合いの声をあげて小柄な体を投げ技をもって出来るだけ柔らかく地面へと投げた。

小声で「ごめんね」と囁いて。

「あゥッ!」

痛みに顔をしかめ、起き上がりかけた洙夏の目の前にいたのは、眉をよせて自分の喉元に杖を構える苓夜だった。

「……っ」

「眠れ。安らかに逝けるようにするから」

告げられた残酷な言葉に洙夏は、目を見開いたまま一筋涙を流す。

「な…んでぇ?あたし、幸せになりたかっただけ…なのにっ」

「………」

細い泣き声をあげる少女は切なく憐れだった…。

茜莉もこらえきれず涙を溢れさせていたけど、目はそらすまいと必死に唇をかんで堪えている。

それらを見やって一度かたく目をつむった後、覚悟を決めたのか眼差しを揺らさずに杖を一押しした。

とん…と軽い音をたてて少女が地に崩れ落ちた。

眠りに引き込まれそうになりながらも、嫌々と首をふる。

「や…ぁ。死にたくな…、……父さ…っ」

「――洙夏」

「!?」

聞こえた声に、ひくっと息を飲み込みながら目を最大限に開く。

懐かしい、声…。

「と…さま?」

「ああ…ゆっくりと眠れ。お前は頑張った」

もう瞼をほとんど開くことは適わなかったが、頭を撫でる優しい感触に洙夏はうっとりと微笑んだ。

そして、幸福な夢の中へと落ちていった……。











「…苦しまないようにしてやってくれ。」

洙夏が完全に眠りについたのを確認すると男は立ち上がり背を向けたままで苓夜たちに問い掛ける。

「アンタ…洙夏の一体何なんだ?まさか父親ではないだろう?」

男はこちらを向いた。

見覚えのあるニヒルな笑み。

今は少し陰りを帯びていたけれど。

―――あの村で別れた、情報屋だった…。

「……違う。洙夏は、兄貴の子供だ」

「血縁者だったのか…」

洙夏にとって叔父ということになる。

今際の洙夏が間違えるのも、無理はないのかもしれない。

しかし血縁者がいるならば、何故洙夏を引き取らなかったのか。

尋ねる苓夜に、男は首を振って否定する。

「とうの昔に勘当されている身としては、近寄るのも憚られたんだ。だから、遠くから見守ろうと決めた。……こんなことになる前に気付いてやれれば良かった」

洙夏の異常に気付いた時には、すでに全てが手遅れだった。

何が原因かは分からないが、洙夏の心に何かが起こったのは確かだった。

茜莉が眉を曇らせて尋ねる。

「どうして…私達に洙夏ちゃんのこと、教えてくれたの?何をするか知ってたの……?」

洙夏を殺しに行くと。

だが、男は首をふった。

「知らなかったさ。……だが、変わると思った。それがどう変わるかは、ここに来て雪に聞くまで分からなかったが」

「雪姐さんと知り合いなのか?」

「昔のよしみだ。……遺体は残るのか?」

「…いや」

「そうか…。宜しく、頼む」

立ち去ろうとする背に向けて思わず苓夜は、問いかける。

「――俺たちが憎しくないのか?」

男は、数瞬押し黙った。

「……それを言う資格は俺にはない。だから、何も言わない。ただ…あいつにはそれしかもう救いの道がなかった。それくらいは分かるさ」

男は苓夜の返事を待たずに扉から出ていった。

櫻がそれを閉める。

苓夜が、洙夏に歩み寄った。

それを察して、茜莉が一歩離れる。

もう、何も言わなかった。

唇をきつく噛み締めて、全てを見届けようと目をそらさない。

一方、櫻は無言でそれを見ていた。

(ごめん…)

心の中でもう一度謝って、苓夜は息を吸い込んだ。

「―――紫炎(しえん)!」

握りしめた手からぽたりと零れ落ちたそれは、洙夏を静かに包みこむ。

命を糧にして燃える、その冷たい紫に茜莉はぞくりと身を震わせた。

死の淵を覗いてしまったような、浮遊感。

「あまり見てはならぬ。…引きずられるぞ」

櫻の制止に、茜莉はハッと吾に返る。

…冷や汗を、全身にかいていた。

(こ…わいっ)

生を根底からもぎ取られるような、恐ろしさ。

目の当たりにして、初めてその恐さが身に染みた。

洙夏の魂が死に喰らわれていくのが分かる。

身体はそのままの姿なのに、その裡にある『命』がどんどん消滅していくのが茜莉には、感じとれた。

魂がこんな簡単に打ち砕かれるなん…て……。

(苓夜…っ)

どうにもできなくなって、苓夜を振り返る。

苓夜はこちらを見ていた。

哀しげに微笑する。

なんだか、消えそうな…気がした。

「苓――」

「櫻、茜莉、そろそろ家がもたない。出よう」

茜莉が声をかけるのを遮って苓夜が外へ促す。

確かに、洙夏の放った炎に家が耐えられるのは、後僅かだった。

「う、うん。でも…」

「行くぞぇ。後には何も残らぬ。髪一つとて」

『洙夏』の一部だったモノたちは全て消滅する。

たとえ、切り取られた爪、髪、涙の一片すら……。

茜莉はその言葉に無言でうなづいて…扉に手をかける。

三人が外に出ると櫻が振り返って、良く通る声で命じた。

「『守魂』、結界を解けい!」

家に巻きつき、固く合わさっていた枝が緩み解けると、勢い良く炎が吹出した。

天を焦がす勢い―――それは、さながら送り火のように。

夜空を赤く染めあげた。

辺りには櫻が人避けをかけたのか、騒ぎに起きてくる住人も見当たらない。

それを確認して、苓夜が櫻を仰ぎ見た。

長年共に居た精霊は、言葉無くともすぐに理解する。

「よいのかぇ」

「ああ。…頼む」

「承知」

目をつむると櫻は左手を真っ直ぐ家へと伸ばす。

一瞬の間をおいて白く優美な手のひらから、分厚い風の塊が叩きつけられた。

バリバリッと痛々しい音をたてて、家は破壊される。

真空弾により炎もたち消えた。

跡には砕けた破片が塵のように宙を舞うばかり…。

帰る家を破壊した苓夜は、切なげに目を細めた。

思い出が胸をよぎる。

これを彼女が見たら泣くだろうな、と思いながら。

「ごめん、緋織(ひおり)…」

「え?」

ぽつりと呟いた苓夜に茜莉が振り返る。

苓夜はその瞳に確かな信頼を認めて、自分も信じるべきだと思った。

この、隣にいる仲間を。

「聞いてほしいんだ」

「うん?」

「昔――ここに姉弟が住んでいた。
ある時、姉が何者かに掠われ弟は半狂乱になり……やがて旅立つ決意をした。
捜し出すことを誓って」

「………」

茜莉は息をのんだ。

目を見開いている。

「姉の名は緋織。弟の名は…」

「苓夜…」

悲しげな微笑をたたえて茜莉を見た。

茜莉が声も出さず泣いているのを見て、話して良かったと…ほんの少し思った。

「雲を掴むような旅だ。それでもなお、着いてくるか?」

「ばか…っ!」

問い掛けた苓夜に茜莉は即座に返す。

「何処までも着いてくって、言ってるでしょっ!」

未だ泣き顔の茜莉だが、一直線に苓夜を射抜く。

言われた言葉がじんわり胸の底へ落ちていって……、

―――苓夜は微笑んだ。




愛しき故郷(ふるさと)

誓いは二重(ふたえ)に、祈りは無限(とわ)

その願いは、何処へ行く―――








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