十七.




リシ大陸全土に広がる信仰・エナ教の、『リシの五聖塔』と呼ばれる大教会の一つがアリヴェンにある。
首都カーチェからは一刻とかからない場所で、その教会を中心に枝聖都エナ・ヴァスと呼ばれる小さい町があるばかりの寂しいところだ。
世間的には訪れる信者の数は多いと思われているが、実際にはそうでもない。

なぜならば。そこは神を祀るところではなく、聖職者たちの政治の中枢として存在している場所であるからである。必要なのは頭脳であり、祈りは不必要とされる。
リシ大陸のほぼ全土に広がるエナ教は、実質王を持たずとも一つの立派な国家といえるだろう。
民からのお布施や差し入れなどの収入や、民に施す資源や食料、新たに建設する教会などの支出を管理するのは『塔』の聖職者たち。
また、各国家とも良好な関係を保ち、教会に不利な状勢を作らないようにするのも『塔』の役割だった。

宗教団体でありながら、どの国にもあるような政治中枢を持ち、武力こそはないが政治的力は四大国にも負けないものがある。
……しかし、そんな彼らが他の国と違うところがあった。

常に、『中立』でいたことだ。

それは、「祈りは争いとは無関係」「祈りは、すべての民に等しい」と説くエナ教の始祖の慈悲深い願いのためでもあるが、大陸内で唯一『停戦』『開戦』の権利をもつ団体であるからということからが最大の理由だ。

現在、神の代理である『調停者』の位についているのは最高司祭ラヴィニスのみ。
彼が「停」と唱えれば、如何なる戦況にあってもそこで戦は中止される。
それは小国どうしの争い然り、大国どうしの争い然り。

古より続けられてきたこの因習はリシ大陸において絶対であり、もし破ろうものならその国の外交は閉ざされ何世代にもわたって孤立することになるだろう。
それによって、滅ぶことになろうとも。







「クラーヴァ大神官様、書状が届いております」

少し鼻声の神官が厳重の封がしてある書類を持って、クラーヴァの執務室を訪れた。

「わざわざご苦労だったな」

「いえ」

南の訛りが少し残っている。
このエナ・ヴァスに配属になって、おそらく気候の変化についていけず風邪でもひいたのだろう。
ここには、彼のように遠方から配属される者も多数いる。

労うように声をかければ、青年神官はにこりと笑んで辞した。
足音が遠ざかるとクラーヴァは机に戻り、慎重に封を開けていった。
中から出てきたのは、一枚の書状。

「心遣いに感謝いたします―――か。バールめ、何故今頃になってと聞きたくて仕方がないだろうに、な」

喉の奥で低く笑うと、手近にあった灯り用の炎へかざし燃え始めたソレを暖炉へと放り込んだ。
あっという間に炭へと姿を変えてゆく。
そして、クラーヴァは何事もなかったかのように執務を再開しだした。







ごほ、ごほ…と咳をしながら物陰へと隠れる―――と、青年神官は唐突に咳をやめた。

「ふぅ……いい子で待っていたかしら?」

先ほどクラーヴァの部屋で聞かせた南の訛りなどかけらも残さず完璧な発音で、虚空に向かって呟いた。
いや、虚空ではない。
物陰となっている小部屋には青年の他にもう一人存在していた。

「むー、むー!」

「…ああやっぱり、この薬はもう少し改良が必要ね。声を変えられると言っても、こんなに苦くては使いたくなくなるものね」

「む、むー!!」

「……あら?苦しいの?でも、ごめんなさいね。今アナタの拘束をとると暴れてしまうでしょう?もう少しの辛抱だから我慢してね?」

優しく宥められた人影は、一応おとなしくなったが警戒するように青年を見た。
それもその筈。人影は青年とそっくりな格好をしていた。
…服がないだけで。

「変装するにはやはり同じような体型・髪色・瞳色が必要となってくる。アナタを見つけたのは偶然だけど、感謝するわね。おかげでいい情報を掴めたし」

「むむー!(オマエは誰だ!)」

「私は誰かって?それは知らない方がいいわ。それに……」

シュッ
青年は本物の神官に何かを吹きつけた。
柑橘系のさわやかな匂いが、辺りに広がる。

「名前聞いても、忘れちゃうから」

にっこりと微笑んだ…と思った数秒後、哀れな神官はバタリと意識を失った。
偽者の青年はバサリと神官服を脱ぎ捨て、襟足に隠していた髪を解き放つ。
まばゆい金の髪がひろがった。

「カインの言った通り、性別を変えただけで案外分からないものね。クラーヴァなんて、一体何回城で顔を合わせたのかしら。……まぁ、いいわ。用事は済んだことだし、帰りましょう」

倒れている人影にちらりと視線を投げかけた後、シアは窓に身を踊らせた。







* * * *







セツの見事な手腕により拘束をすべて解かれたジェスの前に、セルヴィは地面につきそうなほど頭を思いっきり下げた。

「このような事態を招いてしまい、申し訳ございません。責任はすべて我がアリヴェンにあります。ジェス殿におきましては、ご不快に感じられていたかと思いますが……」

「……セルヴィ殿。頭を上げて下さい」

ジェスの静かな声に促され、セルヴィは姿勢を戻した。

「確かに、いささか不快に思っております。他国の使者に対する非礼どころではないかと。…ですが、私はこうして大事に至っておりませんし部下も安全のようです。何より、貴方自身が救出にいらして下された。それを考慮にいれ、このまま無事に脱出できれば私はこの一件を国に報告しないことにします」

「ジェス殿……、感謝します」

「いいえ。この戦争終結間際に、わが国とて事を荒立てる気はないのです」

それで会話は終わりだった。
不審に思った見張りの者が部屋をノックしてきたからである。
さすがというか、セツとジェスの身のこなしは素早かった。
扉近くの壁により、息を潜める。

「ジェス様、何かございましたか?失礼ですが、入らせて頂きますよ…………っうわ」

男の悲鳴は一瞬でかき消された。

正面からジェスが素早く男の口をふさぎ、その背後からセツが手刀を叩き込んだからである。
セルヴィが辺りを警戒しつつ扉を閉める頃には、男は意識を失ったまま、ジェスにあてがわれていた拘束具で寝台へと繋がれていた。

その腰からジェスは剣を拝借して抜き去り、軽くその場で振ってみた。
―――鋭い空気音。

「私には少し軽いですが……まぁ、問題ないでしょう。セルヴィ殿、とにかく脱出するのが先決かと思います。先ほどお二人が登っていらした階段は使用できるのでしょうか?」

ここまで見られずに登ってこれたのだから安全なのだろうとジェスは思ったらしいが、意に反してセルヴィは首を横にふった。

「残念ながら、あの階段は使用できません。地下と最上階を繋げていますが、出口はありません。つまりその二箇所しか扉がないのです」

窓もないことから、途中から飛び降りるということも不可能である。
そうなると、道は一つだった。

「…分かりました。普通に降りるしかないということですね。おそらく途中には…」

「ええ、敵がいることでしょう。そろそろ私たちの脱走もバレている頃です。追っ手もかかる可能性があります」

「そうですか。では、僭越ながら私が先陣を切らせて頂きます。それと…多少の犠牲はやむをえないとお考え下さい」

向かってくる相手に対して、斬らずに止められる自信がありませんから……とつけ加えるジェスに、相手の二つ名を思い出しセルヴィは軽く息をのむ。
彼は、剣を持ってうっすらと微笑んでさえいるようにも見えた。
だが、今は彼の剣の腕にこそ頼る他ないのだ。

「セツ、後方を頼みます」

「了解しました」

「―――行きましょう」

セルヴィの言葉に、残る二人が無言で頷いた。







部屋から出て、そう距離も行かぬ時。
走っている最中に、セルヴィは何かの声を聞いた気がした。

(………?)

そちらに気を取られて、走りが疎かになってしまう。

「セルヴィ殿、どうかしましたか?」

「今、声が…」

「助けを求める声が聞こえます。―――こちらです」

セルヴィはおぼろげにしか聞こえていなかったが、セツにはハッキリと聞こえていたらしい。
すぐにその部屋を探しあて、セルヴィを導いた。
錠がついた扉ごしに話しかける。

「どなたかおられるのですか?」

「……誰だ?」

壁を一枚はさんでいるためか声がくぐもって聞こえたが、その声をセルヴィは以前聞いたことがあった気がした。

「大臣のセルヴィと申します。どなたかおられるのですか?」

「セルヴィか!?私だ!リルバーだ!!」

告げられた名前に目を見開く。

「リルバー様!?何でこんなところに……今、錠を壊します!セツ…」

セツに再び錠を壊してもらおうと呼びかけるが、それより先に成り行きを見守っていたジェスが近づいてきた。

「私がやりましょう。その方が早い」

呟くと、剣を持ち上げて軽く一閃した。

カラ…ン。

動作自体は軽いものに見えたが、実際は目にも止まらぬ速さで錠を真っ二つに斬った。
見事な切り口のまま錠が床に落ちる。
それに冷やりとしたものを感じながらも、中にいる人物の方が気になって急いで扉を開けた。

「おぉ、開けてくれたか」

中にいたのは一人の中年男性であった。
軟禁でもされていたのだろうか。疲労感は見られるものの、拘束は特にうけていない。
セルヴィの姿を認めて、嬉しそうに橙の瞳をゆるめた。

「リルバー様、お久しぶりです。何故あなたがこんなところに…」

「説明すると長くなるが……、まぁ簡単にいうと私は弟を止めにきたのだ」

「……弟?」

ジェスが訝しげに口をはさんだ。
セルヴィは扉のところに佇むジェスに向きなおる。

「リルバー殿、とはもしや…」

心当たりがあるらしいジェスにセルヴィは頷いた。
仮にも四大国の大臣ならば、他国であろうとそれくらいの事情は知っている筈だろう。


「そうです。リルバー・ギース公爵殿。―――前王の弟殿下であり、バール・ギースの義理の兄でもあります」






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