十六.




アリヴェンの国を渡るようにして流れている、リエント川。
あまり大きくはないが農業用水にあちこちの田畑へと引いても十分な水量で、今も昔も人々の繁栄の要となっている重要な資源の一つだ。
最終的には海へと繋がるそれは、いくつもの枝流を方々へと伸ばし、そのうちの一つが首都カーチェの下町の隅を這うようにして流れている。

普段は何かない限りはあまり用のないそこは、下町においては宿を持たない者たちが好んでたむろするような場所でもあって。
今日も雨だというのに、橋の下の薄暗いスペースには幾人もの男たちが我が物顔して寝転んでいた。

「ねーねー、『鼠目』いる?」

「ん?なんだ、ケイリャのぼうずか。鼠目のダンナならいるよ。おーい、ダンナ!ぼうずが来たぞ!」

「ちょ…っ、俺はぼうずじゃないっての!」

「ぎゃっはっは!オメーがぼうずじゃないってか?あんの鼻たれケイリャが?オンナ取れるよーになったのかよ!?」

「何の話してんだよ!!この、エロじじいが!」

「―――煩せえぞ、コラ」

しわがれた、されど鋭い刃のような声が間に割り込んだ。
途端に二人の馬鹿なかけあいがピタリと止まる。

「お、ダンナ」

「鼠目、この色ボケじじいどーにかしろよ!」

「ったく。いいから黙れ。…ケイリャ、オマエ何しに来たんだ。情報いらねぇのか?」

「うわっ、いるいる!!分かったのか?さすが、鼠目〜」

片目を潰した『鼠目』と呼ばれた老人が面倒くさそうに出した紙切れに、ケイリャは踊りだしそうな勢いで叫んだ。
受け取った紙をその場で開き、中を見る。
中には達筆な字で、簡潔に数個の単語がならんで書かれていた。

「教会、信者…?へぇ。分かった、ありがとな!礼は……」

「いつもの酒でいい」

「あーアレね。でも最近、城の厨房から盗んでるのバレちゃってさ。ちょっと時間かかるかも」

それでもいいかな?と尋ねれば、「ふん」と肯定の返事が返ってきた。

酒と情報にしか興味を示さない老人は昔は名の知れた暗殺者だったらしいが、ケイリャにとっては信用できる情報屋の一人だ。
無愛想なのが、少々タマにキズか。

「じゃ、俺急ぐから!二人ともまたな〜」

雨の中、ものともせずに駆け出していった少年を、老人二人は物言わず見送る。

「また女王の使いかー?ケイリャも何だってンナもんになっちまったかね」

「…ふん、ワシが知るか。だがまぁ、あの女王は嫌いじゃねえ」

「あ〜けっこうイイオンナだよなぁ!ひっひ!ちょいと胸が足りんがな」

「………。そういえば、護衛が出来たらしいな」

「護衛?あー傭兵上がりってヤツだろ?男にゃ興味ねえ。それよか、ダンナ。いい酒手に入れたんだ。飲まねぇか?」

「…そうだな」

老人二人の呟きは雨の音にまぎれ、水量を増した川が轟々と流れていた。







雨よけのフードをかぶったまま店の軒下にて辺りを見ていたシアは、駆け寄ってくる少年の姿を見て軽く手を振った。

「うっひゃあ。結構、雨が強くなってきたな〜」

「ええ。ずぶ濡れね、ケイリャ。風邪ひくわよ?」

「へーき。俺、体強いから」

そう言って、ストンとケイリャはシアの隣に腰を下ろす。
往来を二人で眺めるようにしながらしばらく黙った後、シアが先に口を開いた。

「キーマという名が、アリヴェンではかなり珍しい名前らしくて若い女性ともなると数が絞られてくることから、カーチェ内で調べてみたの。
当てはまるのは15人いたわ。内、一人は病持ちでシロ。一人は下町の娼婦。一人は中通りに店を持つ、パン屋の奥さん。その他は色々な理由からだけど、全部シロ」

「ふーん。多分、そのパン屋の女がアヤシイな。情報屋が言ってたんだ。『教会が信者を集めて何かしている』って」

「教会、ね。確かにそれなら娼婦の線はないわね」

ケイリャの言葉にシアは、一つ頷く。

娼婦は夜の仕事である。まっとうな人間がつく職でもない。
世間的には『穢れし身』である彼女らは、たとえ同じ信仰を持っていたとしても教会に赴いたりはしない。
追い返されるくらいなら良いが、下手すると罪人とされることさえあるからだ。
だから、キーマが娼婦であることはないだろう。

「ケイリャって意外と強力なツテを持ってたりするわよね。教会内部のことなんてそんなに早く掴めるもんじゃないわ」

「へへっ、情報ルートは秘密だよっ。……と、シア姐、これからどーする?そのパン屋のキーマの所にでも行く?」

シアは少し考え、首を振る。

「確認はライナにしてもらうとして、直接行くのは得策ではないわね。その女性を捕まえるのは簡単だけど、もし本当に教会がバックにあるのなら警戒される材料になってしまうし」

「そいや、ライナが聞いた『声』は誰だか分かったの?」

好戦派の一人だという二流貴族の男らしい。
以前、不穏な噂話をしていたのをセツが見つけてから、ひそかに目をつけていたようだ。

「ええ。そっちは確定済みよ。メイゼスが部下に監視させつつ泳がせているらしいわ」

「へ〜。んじゃ、そっちはオッケーだな」

「……とにかく、もう少し情報が必要だわ。教会とその周囲について調べてみましょう。中に潜入するかはカインに報告してから決めることになるけれど」

「カインかー」

ふと、呟くようにケイリャが繰り返す。
その声に不満そうな声をみつけて、シアは首をかしげた。

「彼が指揮をとることに不満なの?」

「べつに…それはいいんだけどさ。アイツ、いっつもリーシェ様と一緒だろー」

少年らしい文句にシアの瞳は柔らかいものとなる。

「ふふ、妬いてるの?それとも、お側にいられなくて拗ねているのかしら?」

「な……っ!シ、シア姐!!」

「仕方ないと思って諦めなさい。陛下の安全を守るのには彼が最適なんだから」

「そーだけどっ。……はぁ、シア姐って時々キツイよな」

「なにか言ったかしら、ケイリャ?」

にっこりと極上の笑みを向けられる。
並の男なら一発でオチてしまうような笑顔だ。

だが、ケイリャはそれが不穏なものであるのを承知していた。
……はっきり言って、コワイ。

「ごめん!お、俺が悪かったからさっ!」

先手必勝。ケイリャは勢いよく両手を合わせた。

「ふふ、何をそんなに焦っているのかしら。変なケイリャね。…さてと、いつまでも時間を無駄にはできないわね。雨も小ぶりになったようだし、行きましょう」

(た……助かった〜)

いつも通りの柔らかな笑みに戻ったシアに、ケイリャは本心からホッとした。
以前出会った頃につい地雷を踏んでしまい、その結果シアの怒りをかうことになり。
…………そしてできた一生忘れることができなさそうな思い出は、今も確実にケイリャの教訓となっている。

いわゆる―――触らぬ神にナントヤラ、である。







* * * *







「セ、セツ…」

カツカツと階段を登る無機質な音にまぎれて、荒い呼吸音が閉ざされた空間に響く。
ぜえぜえと息を吐き、汗だくになりながら、手を壁についているなさけない様子は知っている筈なのに、一向に速度を緩めようとしない前を行く少女に向かって、セルヴィは声をあげた。
それに、ようやく立ち止まったセツは振り返ってこちらを見る。

「なんでしょうか」

忍の少女はさすがというか、汗ひとつかいていない。

「わた…しは、あまり、こういう、運動は苦手……でして…はぁ。……その、もう少し楽な道は、なかったのですか?」

自分でも猛烈なさけないことを言っている自覚はあるのだが、それでも言わずにはいられなくなったらしい。
けれど、セツは不思議に思ったらしい。
滅多に変わらぬ表情はそのままで、わずかに小首だけをかしげる。

「これでも、一番体に負担がかからぬ方法を選んだのですが……」

「これが、ですか…?」

思わずセルヴィは上を見上げてしまう。
延々とどこまでも続いているような長い長い階段。光源が少ないせいもあるが、下を見ると途中から先が見えなくなっている。
一体、何百段登ってきたのか。
…くらり、とした。

(一体、ここの作りはどうなっているんだ…)

この階段はセツの使役鳥が探し出した隠し通路の一つで、地下から最上階まで繋がっているものだ。
敵国に砦が落とされた時のために作られたらしい。最近使われてないのは調べずみだ。

……それを何のためにこんな最上階まで登ってくるハメになったのかというと。
どうやら最上階にいるらしいのだ。―――囚われた、ジェスが。
幸いにも鎖に繋がれている程度らしいのだが、やはり助けに行かねばならないだろう。
国の汚点は免れないが、致命的な失敗だけはこれからの外交のためにも避けなければならない。
よって、普段やりもしない運動などを過剰にするハメになったのである……。

「ちなみに……他の方法とは何でしょうか?」

「登ります」

「……は?」

再び登りだしながら気を紛らわせるためにした質問の答えは、簡潔なものだった。

「ロープを上から垂らし、壁を直接登ります。階段よりも直線的であり時間の短縮にもなって効率的であるかと」

「………」

こっちにしてくれて良かったと、心底思ったセルヴィであった。

「着きました」

カツン…と硬い靴音が止まる。
この先にある部屋は、都合の良いことにジェスが捕まっているという部屋だ。
中の気配を探るが、どうやら見張りは部屋の中にはいないらしい。
厚い石造りの壁のこと、少しくらいは音をたてても外まで聞こえないだろうと、扉にかかっていた錆びて使い物にならない錠は壊すことにした。

ガシャンッ

セツが近くにあった灯り台で力まかせに壊して中に入ると、豪華な部屋の寝台に腰掛けていたジェスが目を見開いて驚きをあらわにしていた。

「セ、セルヴィ…殿……?」

「お待、たせ…してしまい、ました……はぁ、……助けに、参りました…!」


救出者は、かなり情けない登場であった。






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