<一章/祈りの声>






――1――




「ん……」

窓から差し込む朝の陽光を、顔にうけて苓夜(レイヤ) は目を覚ました。

深い碧色の瞳が印象的な青年である。

一度目を瞬いて、ここがどこだか思い出した。


蓬呂の四大陸の一つ、侶(りょ)大陸。
その北の辺境に位置する、鎗(そう) 山のふもとの小さき村、
黎玖撫教の神殿があるだけの名もなき村、

そして……聖地と呼ばれる所だった。

国教とされている双世教に比べ、規模は小さい黎玖撫教だが信心深い信者が多いことで知られている。

大きなあくびをしながら寝台をおりると、一人の美女が扉を開けて入ってきた。

「おはよう、櫻(オウ)。朝から散歩か?」

櫻と呼ばれた美女は銀色の瞳でちらりと見て、目を細めた。

萌黄色の髪がさらりと音をたてる。

「人のことを詮索する前に、自分の心配をせい。 …下で鳳蓮(ホウレン)が呼んでるぞ」

「あっ!やば。泊めてもらうかわりに手伝う約束していたのに寝坊した!櫻、それ、どれくらい前?」

あせって着替えをし、ばたばたと身支度を整えながら聞く。

櫻は少し思案気に眉をひそめたが、すぐに答えた。

「半刻くらい前だ」

「〜〜。どーして起こしてくんなかったんだよ!あ、俺、鳳蓮さんの手伝いに行ってくるから、帰るの夜になると思うっ」

ばたばたと階段を駆け降りる音をききながら、櫻は嘆息をつく。

「……まったく。親切で泊めてもらっているからとて、わざわざ働くことはなかろうに………………ほんに馬鹿よのう」

口調がやわらかくなった。

まるで子を慈しむ母のように……無償の愛。



窓の近くの椅子に腰掛け、目をつむり、春の日差しを感じる。

その姿は先程とはうってかわって、神々しく、近寄りがたいものだった。













「鳳蓮さん、ごめ……」

「――――いいかげんにしなっっ!」

鋭い声がとぶ。

思わずビクリと首をすくめるが、どうやら自分に向けて言ったわけではなさそうだった。

店先に通じる扉から、そっとのぞいてみると女性一人を人相の悪い男たちが取り囲んでいた。

どう見ても、穏やかな雰囲気ではない。

男たちの気迫に負けず睨みかえしている。

ピリピリとした緊迫感が漂っている中、男の一人が口を開いた。

「いいか、おまえのしていることは巫女を侮辱している!…しいては、神を冒涜しているんだ!即刻やめろ!!」

男の罵声に鳳蓮の眉がきりりとつりあがる。

「………侮辱?冒涜?馬鹿か、おまえら。神やそれに仕える者が、命を 救う仕事を罰する筈がないじゃないか。目先の利益しか考えられないようなのは、あんたたちみたいな腐った人間どもだけだよ!」

「この聖地でやることが問題だって言ってんだよ!そんな俗っぽい仕事は、余所でやりやがれや!余所者がっ!」

「………」

鳳蓮がぴたりと口をつぐむ。

この沈黙を自分たちの優勢ととったか、男たちは口汚く罵り続ける。

罵詈雑言が一段落したところで男たちは帰ろうとした、矢先。


バシャッ


男たちの顔面に盛大に水がひっかけられた。

いや、水…ではない。何か、変な臭いのする、液体。

「……言いたいことはそれだけかい?じゃ、とっとと帰んな!!」

「この女…!」

「よせ!暴力沙汰はまずい」

くやしさに男たちは手をあげようとするが、リーダー格の男がまわりに人だかりができているのを察してやめさせる。

かわりに唾を吐き捨てた。

「チッ、これですむと思うなよ!」

「ほれほれ、帰った帰った。もー二度と来んでいいから。あ、その臭い しばらくとれないからなー」

ひらひらと、戸口に手をふる鳳蓮は男たちの影が完全に見えなくなると、何事もなかったかのように片付けはじめる。

出るタイミングを探していた苓夜は意を決して、店先へ出ていく。

「あ、あの鳳蓮さん。おはようございます。今朝は寝坊してしまって すみません。それで、あの………大丈夫でしたか?」

怒ると思われていたが、鳳蓮は目をぱちくりとさせると一瞬の後、爆笑した。

うってかわったような明るさに苓夜はしばし呆然とする。

「あっはっは!見られてたのかぁ。そりゃ、なさけないとこ見せちゃったね。悪かったね。…うん、大丈夫。あたしは、慣れてるから……」

言葉の裏に寂しさが見えた苓夜は眉をひそめて、この長身の女性を見上げた。

苓夜の視線に気づいたのか鳳蓮は、薄く微笑するとぽんと頭をなでる。

子供あつかいされているようだったが、苓夜はあえて逆らわず微笑を返した。

「……ありがとう。あんた、優しい子だね。そうだね……道すがら話したげるよ。そこのバックを持っていっておくれ。仕事道具が全部入っているから」







外は快晴だった。

どこまでも青い空、たまに浮かぶ白い雲。

天を仰ぎ、まぶしさに目を細めていると鳳蓮が中から出てきた。

ふたり連れだって歩きだす。

今日の苓夜の仕事はおもに荷物持ちである。
大きなバックには鳳蓮の仕事道具が入っていた。

鳳蓮の職業は医者である。

難しい学問なのでこの大陸では帝都でしか学べず、貴重とされる職業だった。

とくに、このような辺境の村では。

苓夜は先程の騒動からずっと疑問を抱えてた。

大通りにさしかかる直前にぽつりと話しかける。

「何故、ここでは医者が軽視……いえ、蔑視されているのですか?」

そう。あからさまな軽蔑。それが男たちの言葉の端々に伺えた。

普通、考えられない態度だった。

鳳蓮は寂しげに微笑するとため息まじりに口を開く。

「ここが、聖地だからさ」

「聖地?」

そう、先程の男たちも『聖地』と呼んでいた。

この村が?

目で問うと鳳蓮は大通りの北にそびえる建物を見やった。

「あれが、神殿だ。生命神を祀り、巫女たちが祈りを捧げる場所。
あれがあるからこの村で医者は、異端だ」

「………?」

「分からないか?この村で巫女は絶対の存在。
神の声を聞き、 その不思議な力をもって天候を操り、未来を読み、病を治す」

「あ……!」

ようやく分かった。

鳳蓮が、医者が認められない理由。

それはすべて巫女がいるためだった。

病を治す、という行為はこの村では巫女だけが行える神聖な儀式だったのだ。

神の力の不思議に触れることのできる瞬間であり、神の恩恵が 与えられると村人は信じている、という訳だ。

人間の力をもって病を治す鳳蓮は、さしずめ邪道というやつか。

だから、異端。

「巫女の力だけで足りるってんなら、あたしは別にかまわないんだよ。 ……けれど!それだけじゃ足りない、足りていない。現に患者はあふれている。この村だけじゃない。近隣の信者もいる。遠くから来る者だっている。……それなのに、順番待ちの患者があふれている。それを救うのは罪か……?」

「鳳蓮さん…」

くやしさのため握りしめられた鳳蓮の拳は、微かに震えている。

激情をこらえるように。




やがて……その拳が解かれた頃には鳳蓮の瞳は不思議な落ち着きを見せていた。

にこりと笑う。

「でも、少しずつだが受け入れてくれる人がでてきた。あたしは、 あたしを必要としてくれる人が一人でもいるのなら、救う。 たとえ、周りから何を言われても立ち向かえる。 ………そして、それはあたしの救いにもなっている」

輝いた笑顔だった。

誇らしげな、笑み。

つられて、苓夜も笑顔になる。

「…はい。頑張ってください」

「任せな!……じゃ、行くとするか。あたしの患者のところへ」















(………?)

鳳蓮とともに3件まわった後のことだった。

苓夜は、ふと、通り側に陰干しに出してある大きな壺に人の気配を感じて立ち止まった
じっと見てみる。不意に動く影が見えた。

(おやおや……)

苦笑をこらえる苓夜に鳳蓮が不振気に眼差しを向ける。

後で追いつくからと、別行動を申し出る。

次の家の場所はもう教えてもらっていたので、鳳蓮は二つ返事で許してくれた。

一人で散歩がしたいと思ってくれたのだろう。

風になぶられる青白色の髪をおさえながら、壺のほうへと近づいていく。

ぴょこぴょこと飛び出していた髪が苓夜が近づいてくる気配に不振気に 止まる。

(これ、隠れているつもりなんだよなぁ……)

隠れ遊びかと思ったが、近くに他の子供はいない。

だが、苓夜が近づいてみる気になったのは壺のまわりにあった微弱な膜のせい。

結界と呼ぶのもおこがましいほど、脆弱なそれ。

苓夜は壺から影になる位置で軽く手をふった。

「何してるの?」

「!!」

急にかけられた声にびっくりして、思わず転がった人影に苓夜も息をのむ。

子供だと思っていた人影は……同い年くらいの少女だった。

驚きのあまり、大きな深紅の瞳をまんまるに開いて、まばたきすら忘れている。

しばらくお互いを見つめあったまま、動けなかった。

「あ……ごめん。子供が、遊んでいるのかと、思って…」

少女はなおも硬直したままだ。

ようやく呆然とした状態から脱した苓夜は、まだ固まったままの少女に声をかける。

よく見ると少女は何とも奇怪な服装をしていた。

(この子……もしかすると…)

「あの、大丈夫?」

「あっ……」

ぴくりと反応してから、ゆっくりとまばたきをする。

二つに結ってある朱色の髪がさらりと肩からこぼれ落ちた。

「あああっ!」

突然、声をあげると、少女は勢いよく立ち上がりパンパンと埃をはらう。

すばやい行動に一歩遅れて背をのばした苓夜に、身支度を整えた少女は 人懐っこく笑いかけた。

「驚いてごめんなさい。急に声をかけられてびっくりしちゃったの」

「いや…こっちこそ驚かせてごめん」

「もーいいよ。あんなところに隠れていた私も私だし。……あれ? よく私を見つけられたね。……何ともなかった?」

不思議そうにする少女に種明かしをするつもりはなかった。

だから苓夜は逆に少女に聞いた。

「何が?」

「え、…あれーおかしいな。確かに結界張ったんだけどなぁ……」

「結界…、君は…」

「私?私、茜莉!神殿の巫女だよ」

「………」

やはり、と思う。

微弱な効力しかもたない結界だったが、それでも常人につくれる筈がないのだ。

苓夜の沈黙を何かと誤解したのか、茜莉は気まずげに切り出す。

「あのー…できれば、このこと神殿には内緒にしてくれ…ない、かなっ?」

「?」

「あの、ちょっと、黙って出てきたから……」

茜莉の言いたいことが分かって、思わず噴き出しそうになる。

「わ、分かった。…うん、内緒にしとくよ」

「〜〜。笑い、こらえてない?」

「……ばれたか」

「もう!」

「はは…じゃ、見つからないうちに早く帰りなよ」

うん、と頷いた茜莉は行きかけようとして思い出したように振り向いた。

「ねぇ!あなたの名前は?」

「俺?俺は苓夜だよ」

「苓夜……『夜明け』ね。いい名前。さっき、一瞬、苓夜が白く光って見えたの。きっと、神様に加護を授かっているのよ。じゃっ、またいつか会えるといいわね!」

ぱたぱたと走り去っていく少女を見ながら、衝撃を味わっていた。

何気なく言われた言葉。

呆然と目を見開き何か言おうとして口を開くが、結局何も言葉がでてこない。

「………え?」

まさか、結界もろくにはれないような少女に、見抜かれるとは思っても いなかった。

『白い光』と確かにそう言った。

今まで、何人がそのことを視えただろう。

(まだまだ原石だけど……すごい才能をもっているかも)

潜在的にそなわっている力がすべて開花したら……高位の巫女も夢ではないかもしれない。

だが、それはまだまだ先の話だろう。

少女の影が完全に見えなくなってから、苓夜はひらりと手をふる。

外気が頬にあたる。

先程までは感じなかった風。

「いくら弱くしたからって外の風を遮断するくらいの結界に気づかないようじゃなぁ……まだまだ、か」

低くつぶやいて、歩き出す。

神殿に、背を向けて。







BackNovelNext




55 STREET / 0574 W.S.R / STRAWBERRY7 / アレコレネット / モノショップ / ミツケルドット