村の隅に位置する、歓楽街。 神聖な村とは一線をひくみたいに柵が取り囲んでいた。 きらびやかな照明、路上で客引きをする女たち―――いわゆる花街である。 どれほど『神』を定義していようとやはり人間の欲望というのは、変えがたいということなのだろうかと、苓夜は思う。 もちろん、すべての村人にあてはまるとは思ってないし、真面目に信仰しているものが大半だろう。 だが、外から来た旅人の数を除いても、花町が成り立つほどの村人が訪れているのも事実だ。 これを認められないほど苓夜は子供ではなかったが、できれば知りたくなかったというのが本音である。 「……この辺の筈なんだけど」 きょろきょろと辺りを見回す苓夜は、その花街にいた。 別に花売りを買うためでも、賭博をしにきたわけではない。 苓夜は、ある店を探していた。 村に来た日に残り少ない路銀のため、安い店の多い歓楽街にくりだして食べたことがあった。 櫻もそういうのは経験から分かっていたので文句も言わずついてきた。 旅人は疲れを癒すため歓楽街に足を運ぶということは、昔からのことであった。 路銀の乏しい旅人のために、歓楽街では安い店が立ち並んでいる。 そういう訳でその日、苓夜たちも歓楽街のある店へ足を踏み入れた。 そこで見たのだ。 昼間、鳳蓮と言い争いをしていた男を。 苓夜は扉ごしに見ていたが、男に不審を覚えた。 どこがどうと言うわけでもないのだが、ひっかかったのだ。 (あの店で酒を飲んでいた奴に間違いない) 貧相な服装とは裏腹にあの日、男は普通の稼ぎでは手が届かないような高級な酒を酔いつぶれるまで飲んでいた。 それに驚いて、なんとなく覚えていたのだ。 その場ではあまり気にしなかったが、やはりあの羽振りの良さはおかしい。 これでも人を見る目はあるつもりだ。 真面目に働いている者かどうかは見れば分かる。 男は、どう見てもそうは見えなかった。 (だが、頭は悪くないな) 引き際をちゃんと心得ていた。 激情にまかせて怒鳴り込みに来たのではないことだけは確かだ。 ―――何か、裏がある。 そう考え、部屋にいなかった櫻に書置きを残して出てきたのだ。 「……あ!あった」 つい先日、見たばかりの薄汚れた看板が目の前にあった。 扉に手をかける前に苓夜は深く息を吸い込んだ。 そして……細く吐き出す。 それを2,3回繰り返しているうちに体のまわりの空気の密度が薄くなったのを感じた。 それを確認し、苓夜は店に入った。 だが、店員は誰も苓夜に声をかけない。 それは客への対応が冷たいのではなく、苓夜を『客』と認識できなかったからである。 いや、視覚として姿をとらえてはいたのだが、空気のように気にならないのである。 さながら、まぎれこんできた風のように。 奥へと入っていき、例の男を探す。 (いた!) 一番奥の席でやはり高い酒を飲んでいる。 だが、……しきりに時間を気にしていた。やがておもむろに立ち上がると、女将に話をして、2階へと昇っていってしまった。 仕方なく、苓夜も2階へと昇る。食堂を営むこの店では2階に小さな部屋がいくつかあった。奥から2番目、男の入った部屋へとそっと入る。 すでに先客がいたようであり、男はすぐにその人物と話し始めた。 「さて、首尾のほうは?」 「いや、その、……ちょっと強情な女でよっ。でもっ、すぐにおちるさっ!」 「………ようするにまた失敗ですか?関雨(かんう)、そろそろ私の忍耐も限界だと覚えておいて下さい」 関雨、と呼ばれたのが例の男の名らしい。 関雨はその言葉の端々に怒りを感じ取り、焦って叫ぶ。 「まっ……待ってくれよ!お………脅そうってのかい?俺がこの取引をバラせば、あんたも身の破滅なんだぜっ。え?神殿のお偉いさんよぉ」 (神殿!?…じゃあ、あの騒動は神殿が仕組んだってコトか?) 驚きに身を強張らせる。まさか、神殿が直接出張ってくるとは……。 かすかに甘い臭いがただよってくるのに顔をしかめて、続きを聞く。 「ほぅ……」 「な…なんだよッ!なんか文句あんのかよ、葵頴(きえい)さんよぉ!」 瞬間、がんっ、と音をたてて卓子が倒れた。 葵頴と呼ばれた神官が足で蹴飛ばしたらしい。 「いい加減にしろ、関雨。貴様のかわりくらいいくらでもいる。たかが一村民の言葉と、神官の言葉と……どちらが重いか、分からんわけでもなかろう?」 それに、と葵頴は続ける。 「破門してもよいのだぞ?」 ザッと音をたてて血の気が引くのを関雨は感じた。がたがたと体が震えだす。冷や汗を、かいていた。 破門―――この村で、その言葉は破滅を意味した。犯罪を犯した訳じゃない、刑罰がくだされるわけではない。けれど、―――人間としての価値がない、と烙印を押されたも同然なのだ。未来に、光は、ない。 他の土地へ行けば、誰もそのことを気にもとめないだろう。この神殿がある『聖地』だけがトクベツなのであって、ましてや信仰宗教はそれだけではないし、無宗教という者も中にはいる。やりなおしは、十分に可能だ。 しかし、……この村で生まれ育った者には、それはできない相談だった。離れるコトは、死に等しい。 幼子が親から引き離されるのを全力で拒むように、神の息吹が感じられないトコロへ赴くのは、考えただけで身が引き千切られそうだ。 鳳蓮を脅迫まがいに脅しにいく仕事を引き受けたのだって、それが神のためになると思ったからだ。信仰する心は、他の村人となんら変わりはない。 震える声で、関雨は声を発する。 「……分かった。二、三日中には…何とか、する…」 「それでいい。我らが神―――黎玖撫の子に祝福を」 神官の祈祷文句をつぶやくと、葵頴は立ち上がり背を向けた。 音もなく、扉から出て行く。机にはいつの間に置いたのか、報酬が入っていると見られる袋が残されていた。 関雨は、それを無言で見つめていたが、やがて机の上に置いた手がぶるぶると震えてきた。 「くそっ!」 力まかせに机をたたく。袋の中の金が、微かに音をたてた。 そろそろ潮時だな、と苓夜は思った。知りたかった情報はすべて手にいれた。 入ってきた時と同じように出ようと扉のほうへ向かおうとして、足を踏み出したが思うように動けず、バランスを崩して床に転がった。 突然近くでおこった物音に、関雨はさっと警戒する。 「誰だっ!」 誰何の声が鋭くとぶ。近づく足音に苓夜は思わず舌打ちをした。バランスを崩した時点で、目眩ましの術は期待できそうにない。 万事休す、だ。 「……おまえ?」 姿が露になった苓夜を見て、関雨は不審の声をもらす。警戒しながら、ゆっくりと近づいてくる。 (…手足が、しびれて………) 動かない体に歯噛みする。一体、何が起こったのかよく分からない。ただ、何か異変が起きているのは、確かだ。 関雨は近づきながら、苓夜の顔をよく見ようと目を細める。微かな、記憶の糸をたぐりよせるかのように。 「!おまえっ……、鳳蓮のところに居たガキか?」 「!?」 息をつめる。 何で、と問う前に関雨が表情から察したらしく口を開く。 「覚えているぜ。扉の影から覗いていた奴だろ。俺は記憶力はいいんだぜ」 見られていたとは、思わなかった。たぶん、関雨は苓夜たちが鳳蓮に家に世話になることになった日から、珍客としてすでに存在を知っていたのだろう。 逃げなくては、という思いと実際には動かない体のあいだで焦燥感ばかり募る。 一体、何故? 焦る己を無理矢理、叱咤し必死に思考をめぐらせる。 (突然の痺れ……あらかじめ、仕掛けのようなものが…?) 「何のつもりか知らないが、命運尽きたな、ボウヤ。悪いが、死んでもらうぜ」 関雨はにたりと笑う。嘲りの笑みだった。 (………くそっ!) 逃げ道は、なかった…。 Back/ Novel/ Next |
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