「鳳蓮に頼まれたか?それとも、雇われ者か?………まあ、いずれにしても、運が悪かったな、坊や。最期のお祈りでもするんだなっ」

「……くッ!」

腹に関雨の鋭い蹴りがはいる。鈍い痛みが脳天までつきあげた。

目の前が一瞬暗くなる。

苓夜は声もなく、壁まで蹴り飛ばされた。

苓夜がやはり動くことができないのを確かめた関雨は、使い慣れた短刀を懐から取り出す。

(……ッ。部屋に入った時、感じた違和感。あれは、何だ……?)

何かが頭のすみをかすめた。

そう、あれは……。

「そうか、香かっ!」

迂闊だった。
香ならば、部屋のどこに居ても空気を通じて体内にとりいれられる。

確かに自分は甘い香りを嗅いだ筈なのに…!

苓夜は歯噛みしたい気分だったが、今はそれを呑気にやっている場合ではない。

退路を、考えなくては。

だが、関雨は落ち着いた風にゆったりとやってくる。余裕、だ。

「よく分かったな。そう、香だ。いつも商談なんかする時は、この麻痺香を焚きながら行う。もちろん解毒剤を飲んでいる俺らには無害さ。どこにどんなネズミが隠れているか分からないからな」

にたにたと笑っている。

これから行おうとしている殺戮を想像して楽しんでるのかもしれない。

苓夜は、彼が今までに何度も似たようなことをしてきたのを知った。

生命神の使徒であると信じていると同時に、その神のためなら殺しですら厭わない。
むしろ楽しんですらいる。

…大きな矛盾に彼は気づいているだろうか。

否。

彼の中ではそれは矛盾となりえないのだろう。

どちらも彼にとって真実――故に、気づくわけがない。

彼の中で歪んだ論理として確立されているのだから。

そんな関雨に憐れみすら覚えながら、苓夜は速やかに思考を切り替えた。

なんとかして体を動かさなくてはならない。
痺れを、とらなくては。

(もっと……痺れを超えるくらいの痛みならば)

痛みが優先され、痺れが和らぐかもしれない。

けれど、それは難しかった。

策としては、関雨に一度刺された後、その痛みを利用して逃げるというのが考えられる最良のものだったが、下手するとそのまま殺されかねない。

経験者を相手にするなら、なおさらだ。

(でも他に方法を思いつかない)

一瞬でも痺れが解除されれば、苓夜は術を行使できる。

覚悟を決めて、睨み据える苓夜に関雨は短刀をひらめかせた。



一閃。



「――――っ!」

熱い痛みが右の二の腕にはしったが、それだけだった。

痺れはまったく和らがないし、その気配もない。

関雨は加減したのだ。

だが、傷つけられた右腕から血が流れ出す。

やられた、と思った。

関雨が馬鹿ではない、と思ったのは自分ではなかったか。

奴は苓夜の考えを読んでいたのだ。

壮絶な痛みとひきかえに自由を得ようとしていることを。

関雨が薄く、鼻の先で嘲笑った。

「ふん。せっかくなんだ、楽しんでいけよ。じっくりと殺してやるぜ」

「……外道」

馬鹿にされた、と頭に血がのぼってくれればよいと思ったのだが一筋縄ではいかない。

苓夜の嘲りの言葉にも片眉をあげただけで取り合わなかった。

一閃、また一閃と短刀を振るうが、致命傷はあたえない。

苓夜は鈍い痛みと痺れ、そして出血多量で意識が朦朧となった。

歩いてくる関雨の足が二重にぶれて見える。

まずい、と思った。

(あまり、もたない)

今から致命傷に近い攻撃をうけても、おそらくもたないだろう。

体力がすでに限界に近いのだ。
重い攻撃に耐えうる余力はない。

苓夜は絶望に近い感情を振り切ろうと、軽く頭をふる。

最後まで、あきらめたくなかった。
あきらめることは、棄てることだから。

生きることを、放棄したくない。

「じゃあ、これで終わりにしてやるよ」

関雨が余裕からか笑みをはきながら短刀を振り上げた。

苓夜は目を見開き、まっすぐに関雨を見つめる。

こんな奴に殺されてなるものか!

一瞬、気圧されたように関雨の動きが鈍る。

疾風が、唸った。


















キンッ










「――――そこまでにしてもらおう!」



一陣の風とともに声がふってきた。

逆らう者を許さぬ、天の声。

世にも神々しいその存在は、ふわりと薄衣をなびかせながら地に降り立つ。

その肢体は確かに女性なものであるにもかかわらず、男性的な雄々しさもかいま見える。

性別など遥かに超えた存在であった。

「櫻……」

掠れた声で呟いた苓夜を見て、櫻は眉をひそめる。

一見しただけでも苓夜がかなりの手傷を負っているのが分かった。

疲労が、激しい。

「かなり手酷くやられておるな。…何があったのじゃ?」

「痺れ…香に、やられた。ぬいてくれ」

「了解した」

部屋に残っていた残り香は櫻が入ってきたときの風ですべて吹き飛んだ。
あとは苓夜の体内に残っている分をぬくだけ。

櫻は苓夜の額に掌をあて、小さく何か呟く。

指が銀色の光に包まれたかと思った瞬間、体中に残っていた痺れ、倦怠感が一掃されていた。

新風を吸い込んだように清々しい。

ふぅ…と、息をつき難なく立ち上がった苓夜を見て関雨はおののく。

出血と刀傷のため多少足元がおぼつかないが、それは意志の力でなんとかなる範囲だ。

目は関雨を捉えながら櫻に訊ねる。

「遅い、…どこに行っていた?」

「気になることがあったので、……ちょっとな。まぁ、大事にならんでよかったではないか」

「―――櫻」

静かな声に櫻は、ハッとし、慌てて膝をついた。

苓夜の澄んだ蒼い瞳がこちらを向いている。

「……遅くなってすみませぬ。すべてはわらわが責任。お許しを」

「…いいだろう後で話せ。それより…」

ちらと見られて、関雨はびくりと震える。

何故だか、開放された後の苓夜は先程と同一人物かと疑いたくなるほど、恐ろしかった。

それに、関雨は知らないだろうが、苓夜と櫻の関係が一変していた。明確な主従関係。

一目で常人と違うと分かる櫻を従者にもつ苓夜は如何なる人物なのだろうか…。

状況がとてつもなく不利になったのを確信していながら、どうすることもできずに関雨は警戒したまま後ずさった。

苓夜の目がすいと関雨をとらえた。

「礼を、しないとな」

「…へ、へんっ!武器もないくせによく言う」

強がりを言ってみる。しかし、苓夜が武器を手にしたらそれこそ大変な気がした。

「武器か…。そうだな、櫻、杖(じょう)を」

櫻は一度頷いて見せて、自分の萌黄色の髪を一本引き抜いた。それに息を吹きかけると形状が変化し、一本の白い香木となった。

強いイメージとは結びつかないその形に関雨は少しだけ勢いを取り戻した。

言うならば、たかが、木の棒である。

「んな棒、へし折ってやるぜっ!」

「………」

向かってくる関雨を正面に見据えながら、杖をかまえる。

関雨が左足を踏み込み、短刀を振り上げる。

苓夜に届くか否かという一瞬。

「……はっ!」

鋭い声を発し、姿勢を低くしたところから一気に飛び上がる。

まるで羽根でも生えているかのようにひらりと空中を舞い、タンッと反対側に降り立った苓夜は即座に半回転し杖を突き出した。

トンッと背中を軽く押された関雨は、バランスを崩してそのまま前につっこむ。

軽くあしらわれようだった。

「くっ……ふざけやがって!!……………あ?」

怒りのまま、起き上がろうとしたのだが、急に力が抜けまともに立っていられなくなった。

間接がぐにゃりと曲がり、地に膝をおとした。

それはまるで、先程自分が仕掛けた痺れ香のような効果を思い出させた。

驚きに、目を見張りながらこちらを見据えている苓夜を見やる。
自分の声が虚ろに響いた。

「……なんで」

「おまえの身体機能を一時的に麻痺させた。心配しなくても生命維持までは何もしてない。―――関雨、だったな。二度と鳳蓮さんに手をだすな。これは、警告だ」

ひゅっと空をきって香木の先端が、関雨の喉を狙う。

ひっと息を呑むが、杖は喉元に届く直前でピタリと止められていた。
ごくりと生唾を飲む。

降参するしかなかった。

「…分かった。けどっ、俺は破門されたくはねぇんだよっ…」

「…………。いいだろう。あの神官には俺が話をつけてやる。いいか、忘れるな。今度同じことをしたら許しはしない」

そこまで言いきると苓夜は杖の先端で関雨の額を軽く小突いた。

関雨はとろんと目を閉じ、そのまま床に崩れ落ちる。
眠らせたのである。

「よいのか?いくら警告したからと言って、二度とせんとは限らんのだぞ?」

櫻の言葉に苓夜は苦虫を噛み潰したような表情になる。

「…いいさ。これ以上裁く権利は俺にだってない。それに…」

「――――待つのじゃ!苓夜、ここを見よ」

鋭い声に、ふりかえる。

「この印は……!」

櫻が関雨の首筋を指す。
そこに一つの印を見た苓夜は息を呑んだ。

二重円の印。

呪われた、凶印……。

まだ薄かったが間違いなかった。
苓夜は一度やりきれないように目を伏せたが、嘆息とともに目を開ける。

睨むように関雨の首筋の刻印を見やる。

「あきらめよ。手遅れじゃ」

冷たく響く。

だが、苓夜は微動だにしない。

櫻の声が追い討ちをかける。

「――――主よ」

「……分かっている!分かって、いるんだ…」

これが自分の使命。
自分にしかできないこと。
しなくては、いけないこと……。

一時の憐れみや同情で逃すことなんてできない。

そんなこと許されない。

(けれど……)

この胸に落ちる影は何だろう。
罪悪感か、それとも…。

無言で、櫻に杖を手渡した。
純白の香木は櫻の手に触れると、形容を羽根に変える。

そして、それは粉となり空気に溶けた。

(――迷うな)

なおも迷いの声をあげる感情を押し殺し、苓夜は印を結び声を張り上げる。



紫炎!



音もなく、宙に炎が生まれる。

全てを裁く、神の炎。

それは関雨の背に降り立ち、静かに包み込む。

冷たい紫が浄化する。

魂を。

(『関雨』という魂の、消滅……)

紫炎は浄化の炎。

人は死ぬと、魂が来世へと転生する。
――輪廻転生。
時間をかけ、形を変え、ゆっくりと廻る。

だが、紫炎で焼かれると魂が浄化――つまり、消滅し転生は不可能となる。
永遠の、死となる。

「…………」

やがて、関雨は跡形もなくなるだろう。
魂が消滅すれば、体も消滅する。
そのせいか、炎に包まれている関雨からは肉の焼けた臭いがしない。

まだ燃え続ける関雨に背を向け、苓夜は窓辺による。

仕方がないと、思う。
けど、心は納得できなかった…。








「それで?櫻、何をしていたんだ?」

できるだけ平静に声をかける。

やや沈黙の後、櫻は切り出した。

「神殿を見てきた。…何か、嫌な気配がするのでな」

神殿、という言葉に昼間会った少女の顔が思い出される。
たった一度会っただけだったが、妙に印象に残る少女だった。

「神殿?…それで」

「―――よく、分からなんだな。何か…強力な結界が包んでいるためか、中がよく見通せぬ。実際入ってみないと、わらわにも分からないのじゃ」

形のよい眉を寄せ、櫻は唸った。
精霊の特徴である銀の瞳が鋭さを増す。
しかしその仕草は、やけに人間くさいものだった…。

(……結界か)

櫻の感覚は十分信頼に足るものだ。というより、精霊の能力を疑うワケがない。
嫌な気配、と言うのならば是非に調べなくてはならない。

先を急ぐ身なれど、見過ごすことはできなかった。

理由をあげるとするならば………そう、この『力』があるためか。
人ひとりの運命をいとも簡単に変えてしまう恐ろしき、力。

それが苓夜を『使命』へと駆り立てる。
…それが苓夜の心を、苦しめる。

窓から神殿を見る。

夜でもかかさず松明がかかげられ、仄かにその姿を闇に浮かびあがらせている。

「そうだな。だが、どうやって中へ入るか……」

神殿の中にはおそらく強力な巫女や神官がたくさんいるだろう。
今度は目眩まし術など簡単に見破られるに違いない。
何か、もっと強力な術を行使する必要がある。

考えながら、何気なく視線を床に目を落とした。
体は紫炎のせいで跡形もなくなっていた。

ある物を除いては。

思わず息を呑む。
櫻も気づいて目を見張った。

紫炎でも焼けなかった、羊皮紙。

特殊な墨で、名が記されていた。




――――葵頴――――




「………これ、は」

語尾がわずかに掠れた。
その紙は…神官の証明、誓約書に他ならなかった。

関雨のが一枚上手だったというわけだ。

大切な誓約書をまんまと掏られた葵頴は今頃きっと慌てふためいているだろう。

これがあれば。

苓夜は櫻と目をあわせ、微かに頷く。
考えていることは同じようだ。
書を懐へ大事にしまう。
きっと2、3日で結果は出るだろう。

苓夜は軽く息をつくと、にこりと櫻に笑いかけた。

「…じゃ、帰るか。あんまり遅くなると鳳蓮さんも心配するだろうし」

「時間などより、自分の体を見てみい」

「え?……あッ」

今更というように、自分の体のケガに気づく苓夜に櫻は呆れる。
確かにこんなケガ見せたら、心配するなというほうが無理だ。

「…どうしようか」

「知らん。たっぷりとしみる消毒剤をつけてもらえばよい」

ふふ…と笑い声つきだ。

「櫻〜〜」

他人事だと思って、と憮然とする。

苓夜は窓に足をかけた。
帰りは誰に気を使うわけでもないので、直接2階から飛び降りてもよいだろう。

櫻はまだ笑っている。

……いつの間にか、二人の関係は元に戻っていた。




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