りん。 りんりんりんりん――――――――――…りん。 闇の中、鈴の音が木魂する。 幾重にも重ねられた音の結界。 強力で強固なそれは全てを阻み、守れるだけの力を持っていた。 神殿の最深部。 祭場と呼ばれる場所は固く、閉じていた。 ふと、白い影が降り立った。 重力を感じさせない動きで結界の前まで移動する。 結界としての機能を変わらず果たしているその鈴をにこりと見る。 そして、その白い手は結界をいとも容易く越え、祭場の床を愛しげに撫でる。 その愛撫に…闇が震えたようだった……。 「よろしいですか。あなたのその軽率な行為が、神殿全体の品位を落とすことになるのです。そもそも巫女というのは……」 (また始まった…) うんざりしながらも、ため息などうっかりつくわけにはいかず神妙な顔を作りながら茜莉は長い説教に耐えていた。 神殿を抜け出していたことがバレてしまったからである。 よりにもよって、帰ろうと裏手の柵をのぼっているのを、小煩い巫女次頭に見つかってしまったのである。 折角、昨日の青年に口止めしたところでこれでは意味がない。 (苓夜、だっけ。今まで見たことなかったよね。旅人、かな?) この小さい村のこと、よく抜け出して散歩している茜莉は村人の顔くらいはだいたい知っていた。 知らないのは、巡礼の信者か旅人くらいだろう。 (でも巫女の衣、見ても分からなかったし…旅人かぁ) いいなぁ…と考えそうになって慌ててその考え消す。 でも、時折ふいに…焦がれそうになる。外を。…自由を。 どうして神殿の外に出ることさえ許されないんだろうと思う。 檻の中で毎日毎日、ただ祈る……まるで囚人のようだ。 信者が聞いたら真っ青になるようなことを茜莉は平気で考える、神殿一の問題児であった。 奉仕の時間はサボり、祈りの時間は居眠りする。 唯一真面目に取り組んでいるのは修行の時間だけであった。 「聞いているのですかっ!?」 「は、はいっ!……巫女次頭」 全く少しも聞いていなかったが、そんなことを言おうものなら説教時間が倍になるだけである。 殊勝な態度を心がけた。 巫女次頭はふぅ…と溜め息をついて頭をおさえる。 「…とにかく!今後はこのようなことは謹んでもらわねばなりません。まったくリリ様も何を考えてこんな小娘に大役を…」 「…リリさま?」 巫女次頭は、はっとした顔をしたがごまかすように咳を一つする。 「何でもありません。…いいですね、今度やったら厳しい罰を与えますよ。さあ、もう自分の勤めに戻りなさい」 「はい。失礼いたします」 「汝に黎玖撫の祝福があらんことを」 「…祝福があらんことを」 決まった形の礼をして部屋を退出する。 後ろ手に扉を閉めながら、舌を出す。 (ふーんだ。やめるわけないじゃないの、あんな楽しいこと) 茜莉はまるで懲りていない。 それが、茜莉の長所であり短所でもあるのだが。 さて、どうしようかと考える。 今の時間は奉仕活動の時間だろう。貧しい信者へ施す布を織るのだが、どうも茜莉は好きではない。 ここは、やはり逃げ出す作戦か。 (でも、怒られたばっかりだしなぁ…) さすがに同じ日に続けて見つかるのは少しばかり分が悪い。 う〜んと唸っていると後方から涼やかな声が聞こえた。 「どうしました、センリ。何か問題でも?」 「あっ、リリさま!」 振り返ると、美しい女性が笑みをこぼしていた。 亜麻色の髪を宝玉のついた髪飾りで一つに止め、腰までたらしている。 瞳には知的な光。 肩のあたりで、巫女衣を止めている黎玖撫教の印にある宝玉の色が紫であることから、かなり高い地位にいることが分かる。 神殿内の位をあらわす宝玉の色は、高い順に紫、青、緑、黄、橙、赤となる。 当然、茜莉の色は万年下っぱの赤である。 どうして、その下っぱの茜莉を高位の巫女である女性は親しげに呼んだのか? その答えは茜莉自身ですら分からない。 「センリ、今暇なの?よかったら一緒にお茶しましょう」 にっこりと笑顔つきで誘われる。 その笑顔に勝てるほど、茜莉は真面目なわけでも従順な巫女でもなかった。 「はい、よろこんで♪」 階段を昇っている際、上からちょうど誰かが降りてきた。 淡い緑を基調とした衣、…神官だ。 神官は茜莉たちに気づくと、すっと道を譲った。 「おや、葵頴殿。『上』へ用事でしたか?」 『上』は、頭たちの私室だ。 葵頴は、頷いた。 「ええ。リリ様もご健勝そうで何よりです。では…」 「ええ、汝に黎玖撫の祝福があらんことを」 「祝福があらんことを」 礼をして立ち去る。 だが、茜莉の横を通る時、葵頴は不快そうに眉をひそめる。 何だこの小娘は、だろう。 この場所で誰かに会うたびに向けられる視線ではあるが、やはり慣れない。 神官次頭である葵頴が、『赤』巫女の茜莉によい印象をもたないのはわかっているが、そこまであからさまにしなくてもよいではないか。 なんて考えながらも一応形式どおりの礼はやる。 去っていく葵頴を見ながら、茜莉はいつもと違う葵頴を不思議に思った。 (なにかあったのかな?…ずいぶん焦ってるみたいだけど) 普段どおりにしているつもりみたいだったが、どことなくうわの空のようだった。 いつものニヒルな笑みも今日は威力半減だ。 (なんか失敗して怒られたとか〜?) 他の者が聞いたら「オマエじゃないんだから!」と怒られるところだが、実は当たってなくもないのを茜莉は知らなかった…。 「はい、センリ」 「わぁい!ありがとうございます〜」 目の前でお茶を入れてくれるのが、神殿最高位の巫女だと知ったら皆どんな反応をするだろう。 (リリ…李璃さま) 巫女頭の一人、李璃。 『戦巫女』の二つ名をもつ最高位の巫女。 現在、巫女頭の地位にいるのは3人。そして神官頭の地位に4人。 計7人が、この『北神殿』を取り仕切っている。 生命神リクナを祀る黎玖撫教は、聖地と呼ばれる4つの地にそれぞれ神殿を建てた。 ちなみに信者たちはこの神殿を巡る、巡礼をするのが慣わしとなっている。 (そういえば、さっき巫女次頭が何か言ってたよね…?) ―――リリさまも何を考えてこんな小娘の大役を…… 巫女次頭の小言などすっかり右から左だったが、終わりにぽつりと漏らしたその言葉だけは覚えていた。 (大役?……あたしが?) 巫女次頭が小娘と言っていたが仕方のないことだ。 ただでさえ『赤』の位なのに、自分の『力』もろくに扱えない未熟な巫女である。 普通に考えて茜莉に大役がまわってくるなどありえないことだった。 (うーん、分からない。李璃さまの推薦とか…?) 最高位である李璃が下位の茜莉を推薦など考ええあれないことだったが、何故か茜莉はあれだけ不真面目な巫女でありながら李璃のお気に入りであった。 もちろん、周囲からは嫉妬と羨望の目で見られていたが茜莉にだって李璃が自分のどこを気に入ったのかは分からないのだ。 ただ、茜莉も李璃のことはとても大好きだった。 まるで、優しい姉がいるような気分になってくる。 「えへへ…」 無意識にこみあげてきた笑いをかみころしていると、李璃が不思議そうに小首をかしげる。 「どうしたの?センリ」 「あっ…何でもないです。お茶、おいしいです♪」 茜莉が言うと李璃は嬉しそうに笑う。 「そう、良かったわ。焼き菓子もあるからたくさん食べていってね」 「はい!」 楽しい茶会の時間は、こうして過ぎていった。 |
―――深夜。 他の者は寝静まっている時刻。 神殿の最奥、人気のない聖堂では静かに儀式がとり行われようとしていた。 正円を描く鏡を中心に、均等に七人が取り囲んで座っている。 瞳を閉じ、精神を集中させる。 「…カン!」 ささやくように…けれど鋭い声で、場を清める。 ぴんと空気が張った。 声はない。 だが無音こそ前触れ。 ―――――来る! 音よりも速く、 光よりも速く、 真っ直ぐに此処を目指して。 パァン! 辿り着いた、と思った瞬間に鏡は粉々に砕け散った。 その膨大な力を支えきれなくて。 強力な呪物であるはずの円鏡ですら耐えられなかった。 一様に皆黙り込む。 「………失敗、か」 分かりきっていることだったが、それでも言わずにはおれなかった。 静寂した聖堂に声がこだまする。 溜め息すらも反響しそうな静けさ。 「やはり、最後の手段でしょうか」 遠慮がちに一人の男が声を発した。 何人かがそれに顔をしかめるが反対の声はあげない。 分かっているのだ。 それしか、方法がないことを。 まとめ役の一番年上の男の顔を見つめる。 その男は沈黙し、やがてつめていた息を吐き出した。 「憑坐(よりまし)か。…そうだな、気が重いなどと言っておる場合ではないな。誰か反対の者はいるか?」 声はあがらない。 それを肯定ととって男は一つ頷いた。 「我らが悲願、時は近し。されど、やるからには慎重にやらねばならぬ。巫女頭たちよ、万が一にそなえて2名選出なされよ」 「2名、ですか…」 3人の巫女頭は顔を見合わせる。 憑坐――――寄り憑かせる者。 これは修行ではどうにもならない、才能の問題であった。 巫女としての本質の力。 けれど、こればかりは表に出ない力のため分かりにくい。 「リマ、は如何でしょう?」 小柄な女が名前を告げる。 残る二人がしかと頷く。 「真面目で成績も良く信仰心も篤い、よろしいかと」 神殿一の才能をもつ名前に他の神官頭も納得する。 いずれは巫女頭の地位も約束されているほどの者ならば憑坐としての才能もあるに違いない。 「さすれば、残り1名は?」 再び黙り込む。 他にこれと言ってめぼしい人物がいなかったからだ。 巫女として素晴らしい者は何人かいるがどれも決めてにかける。 その時、これまで一言も発していなかった女が口を開いた。 「………もし」 「何ですか、リリ殿?」 リリと呼ばれた巫女頭は不思議な響きの声で厳かに告げる。 「もし、わたくしに許されるのならば推薦したき者がおります」 「…?」 「その者は巫女としての力は未だ小さい者ですが、わたくしは憑坐にその娘を強く推したいと思います」 「……何か根拠がおありなのでしょうか?」 同じ巫女として、そんな者がいたのかどうか思いだしながら問う。 しかし、李璃は彼女へと静かな瞳を返す。 「証明することは難しいでしょう。疑われるのも無理はないやもしれません。なれど、わたくしは、…成功を確信しております」 続けて言い放つ。 「もし失敗したときには、巫女頭の地位を降りるも厭いませぬ」 息を呑む。 自ら、頭の地位を棄てるというのか。 まとめ役の男が李璃の瞳をじっと見る。 強く凛々しい戦巫女、李璃。 ――その眼差しに迷いはなかった。 「いいだろう。そなたがそこまで言うのなら。………して、その名は?」 「その、名は…」 無意識に唇が笑みの形をつくる。 一体この中の誰がこれから言う者を考えるだろうか。 (…そういえば、巫女次頭には言ったかしらね…) 李璃は笑顔のよく似合う、元気な少女を思い浮かべた。 風の如く自由な娘。 ほんの少し瞳をやわらかく細めた。 「その娘の名を、……センリと申します」 風が、凪いだ。 雲が、月を遮る。 天と地のはざまで叫ぶ声を、未だ誰も知らない………。 Back/ Novel/ Next |
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