――2――


そうせい
双世教―――光を司る兄神ロロス、闇を司る妹神ケザ。
         自然を創世した双子神を祀る宗教。自然を崇拝し、その信仰は大
         陸全土で広く行われている。
         最も主流となっているのがこの双世教。

 り く な
黎玖撫教――命を司るリクナ神を祀る宗教。
         生命を慈しみ、尊ぶ。大陸の東西南北に1つずつ神殿があり、そこ
         を拠点に活動を行っている。
         信者の数は少ないが敬虔な信者が多い。



天地を創造したと言われる三神は、決して等しく崇められることはなかった。
それは遥か昔から語り継がれてきた物語。
双子神とリクナ神は、相容れないものだったことを。
お互いを憎み、敵対していたことを。
理由は不明。けれど、それは今なお伝えられている。
自然信仰と生命信仰、同じ大陸に存在してはいるけれど相容れないものであった……。












「い、痛いって」

「こら!おとなしくしな。まったく……、どこでどうしたらこんなケガ、できるんだい?――ほら、動くんじゃないよ」

「……いッ!!」

声にならない痛みが脳髄までかけのぼる。

櫻の希望どうりの、猛烈に染みる消毒液を綿いっぱいにふくませて傷口に塗りこめられる。

それは即ち鳳蓮の怒りの度合いを表していた。

(し、染みる……)

じんじんとする全身は、さすがに耐えがたいものがあった。

やっぱ、櫻に無理言って治してもらえばよかったかと頭の隅で考える。

たぶん無理だっただろうが。

自称『保護者』の精霊は、今も2階からこの光景を楽しみながら『視て』いるのだろう。

(あんの鳥っ!きっと楽しんでるに違いない)

「苓夜ッ、余所見してんじゃない!ほら、腕だして腕!」

「……はい」

容赦ない鳳蓮の治療に閉口しながらも、いちおう抵抗せずに治療を受ける。

――明け方、こっそりと裏口から鳳蓮の家へと入った苓夜に、案の定起きて待っていた鳳蓮は苓夜の全身の裂傷を見るなり、怒りを炸裂させた。

問答無用で治療室に放り込み、今に至る……。

(けれど……)

ちらりと、手際よく治療を続けている鳳蓮を見上げる。

ぶつぶつと文句を言いながらも、消毒をし、薬をつけ、包帯を巻いていく鳳蓮。

自然と、言葉が口をついて出た。

「鳳蓮さん…」

「ん?何だい?まだ傷あるのかい?」

「―――ごめんなさい」

夜中、寝ずに待っていてくれた。

明け方、傷だらけで帰ってきた苓夜に何一つ聞かずに、治療をしてくれた。

その、優しい心に感謝せずにはいられなかった……。

鳳蓮はくすりと笑って、目を細めた。

「…ばか。ありがとう、だろ?……無事でよかったよ」

その瞳がかすかに赤くなっているのを見て、心配をかけてしまったことを反省した。

出会って数日の苓夜を心配してくれた鳳蓮に、感謝の念でいっぱいになって……、……深く頭を下げた。



















男が一人、歓楽街の路地裏を歩いていた。

警戒しているのか、目ばかりギョロギョロと四方を見回している。

辺りは薄闇。

きらびやかな歓楽街も一歩裏路に入ると途端に雰囲気が暗くなる。

憂さ晴らしに喧嘩する者や、ゴミの中で眠る酔っ払い。
無秩序の世界であったが、しかしそれはこの界隈内においてだけという秩序もあった。

男は壁によりかかるようにして泥酔している者を横目に奥へと進む。

まだ、赤い陽がかろうじて空にあるというのに、建物の影となっているその路は夜のように薄暗い。

路地の先にボロい建物を見つける。
朽ちてしまいそうな扉を見やり、男はぎりっと歯軋りをした。

中に入るのに恐れをなしたためではない。

扉を前にして改めて怒りがわいてきたからだ。

(ふざけたことを……!)

信者からの嘆願書にまじって届けられた手紙。

匿名で書かれたその手紙の主は、内容ですぐに分かった。

今も、書かれていた歓楽街への呼び出しの文字を思い出すだけで、ハラワタが煮えくりかえりそうだ。

男は、大きく舌打ちすると勢いよく扉を開ける。

「関雨!!貴様、いったいどうい…う……?」

中に求める姿を見つけられずに語尾が弱まる。

困惑気に眉をひそめる。

「……おまえは、誰だ?」

「初めまして、ですね。あ、でも俺にとっては一度会っているのか……まあ、いいかな。――こんにちは、葵頴さん」

「!?」

求めてた関雨の代わりにいたのは、どことなくおとなしそうな感じの青年だった。

明るく素直な、どこにでもいる青年。

だが、この青年は何と言った?

『葵頴』と、確かに自分に向かってそう言った。

「何者だ……?関雨の、使いか?」

いいえ、と青年は首を横にふる。

「でも関雨さんから全てを聞きましたよ。あなたが誰で、何をしているのか。そして、……ここへ何を取りにきたのかを」

「!?」

「この、紙切れでしょう?」

「それはっ!!」

葵頴が青年の取り出した羊皮紙を見て顔色を変えた。

間違いない。神聖なる誓約書からは、自分の気配がした。
手に、汗をにぎる。

「……かえせっ!」

「残念ですが、それは出来ません」

落ち着いた声音で、一蹴する青年。

「……取引か」

思わず低い声で唸る。

ここへ呼び出す手紙を見たときからこの可能性を一番高く考えていたが、やはり自分の誓約書が目の前にあると怒りと焦りで、今すぐにでも奪いとりに行きたい衝動にかられる。

だが、青年はそんな葵頴の様子を一瞥し、否定した。

「違います。取引というものは、対等な立場のある者どうしがするもの。……だから、これはただの確認です」

これが、本物であるかどうかの。

青年は言葉にはしなかったが、葵頴には通じた。

「――ならば、私にも考えがあるっ!水よッ!!

ザァッと葵頴の腕に水が蔓のように巻きついてから、青年に向かってしなやかに伸びる。
届くや否やという瞬間。

パン!と、破裂するような音とともに水の鞭が形状を失い、そのまま重力に従って地に降り注いだ。

葵頴は、目を見開いた。

自分の術力を込めた水鞭を防いだ見えない壁の存在に、背筋が凍る。

「け、結界か……」

「ご名答です。さすがは、神官さま。…その様子じゃ、けっこう高い位の方なのですか?」

笑う場面でもないのに、にこ…と笑顔で尋ねる青年に葵頴は危機感を覚えた。

どこから見ても無害そうな青年。
無害そうな青年、だが……

「おまえは、何者だ」

問いかけに青年は答えず、袖をまくってその腕に巻かれた包帯をはずす。

「……あなたと、関雨の用意した香には手酷くやられました。礼を、しないといけませんね」

「……おまえは、何者だ…」

力なく床に座り込んだ葵頴を青年は遠くから眺める。

はらりと、白い包帯が床に落ちた。

ふと、視線を上げる。

窓の外の空は、陽が落ち夜へと姿を変えていた。

(…時間だ)

青年は、再び葵頴へと視線をむける。

無表情のまま、口を開いた。

「……これから、あなたに術をかけさせていただきます。心配しなくても、害を与えるようなものではありません。
ただ、記憶を少し操作させてもらいますね。…いちおう、約束したので」

淡々を述べられる言葉に葵頴は色をなくす。

「記憶だと……ッ」

冗談ではない!、と踏み出そうとした時、異変に気づく。

足が、動かないのだ。

「何をっ…」

「――最後にいちおう言っておきます。俺の名は苓夜。…ただの、旅人です」

苓夜は言葉を終えると同時に深く息を吸い込む。

冷たい空気が肺に満たされる。



短く一言。

それだけで葵頴はいとも容易く眠りにおちた。

次に苓夜は、葵頴の後方で長くのびた彼の影を踏んでいた櫻に視線を投げる。

櫻は頷いて葵頴の背に片手をそえ、目を閉じた。

「ゆくぞ……『幻鏡』!」

威勢の良い掛け声とともにあいている方の手で空を切る。

すると葵頴の姿が霧のように溶け、苓夜のまわりに集まる。

一瞬、幻影のように苓夜の『像』が消え、そしてやがて………その姿は『葵頴』のものとなった。

『葵頴』が自分の手足をまじまじと見つめる。

近くの窓を鏡がわりにして顔を確かめる。

それは確かに『葵頴』であった。

「どう?変なトコないか?」

「もちろんだ。わらわの術に落ち度はない。完璧に決まっておろう」

「……はいはい。――――じゃあ、行くか」

「うむ」

姿変えはもってせいぜい数時間。

動くなら早いにこしたことはない。

二人は頷き、足を踏み出した。

目的地――――神殿へ。







「ふあーあ」

まだ宵の口だというのにすでにあくびをもらしている同僚に苦笑をもらす。

「おいおい、もう寝る気か?交代までまだ時間があるんだからシャキッとしてろよ」

「うるせー…。ふん、分かってるさ。だがこうも気持ちのいい風が吹くとなぁ」

「…まぁな。……それより。最近、警備が厳しくなったよな」

「ああ、その事か。確かに。それにわざわざ警備隊長じきじきのお達示だし」

「何かあったのか?」

「さあ。……それか、これから何かやるかだな」

「?何か知ってるのか?」

「いや。だが、何となく神殿が騒がしい気がするんだ。……ま、何となくだが」

「そうか……」

話がとぎれる。

その一瞬を見計らったように、新たなる客人がやってくる。

「何者だ。もう参拝時間は終わっているぞ」

「おやおや、厳重な警戒ですねぇ」

聞き覚えのある声に警戒心が解ける。

「葵頴様でしたか…ご無礼をお許し下さい。お帰りなさいませ。あの…今日から警備強化のため、証明を見せていただくことになったのですが。……よろしいですか?」

「ああ、はいどうぞ」

葵頴の取り出した羊皮紙を照合し、間違いのないことを確かめる。

門番は笑って葵頴に許可を与えた。

「あれ、その鳥、どうしたんです?」

その時、もう一人の門番が葵頴の肩に止まっている純白の鳥に気がついた。

「ああ、これですか?綺麗でしょう?珍しくてつい、連れてきてしまいました」

「へーそうだったんですか。では、どうぞ」

「お勤めご苦労ですね。では」

労いの言葉をかけて去っていく葵頴を見送る。

二人の門番は一度頭を下げると、再び任務についた。






「なんとか、入れたな」

誰もいなそうな所を探して一息つく。

とりあえずは成功だろう。
『葵頴』は肩にのっている白い鳥に話しかけた。

「どうだ?気配は近くなったか?」

「はい。……イヤな、臭いです。これどこの近辺ではありませぬ。もっと奥に」

丁寧な言葉使い。
しかし、苓夜はその鳥を『櫻』と呼んだ。

「そうか」

溜め息をつく。

「じゃ、行くか。櫻。………櫻?あれ……、何だ?この、気配…………ッ!?」

「早く奥へ!」

急に膨れ上がった気配に緊迫する。

「分かった…………――あっ!」

「どうしました、主殿?」

「こんなところでっ………」

言葉が途切れないうちに『葵頴』の姿が二重にダブる。

一つは眠ったままの葵頴へと、そしてもう一つは苓夜へと、分かれた。

姿変えの効力が切れたのだ。

時間制限よりもむしろ……原因は、この気配にある。

完全に分離してしまったことに舌打ちをしたが、後のまつりである。

「葵頴のほうは…」

「問題ないでしょう。おそらく、次に目を覚ました時には鳳蓮のことも関雨のことも覚えていないでしょう」

苓夜は、頷く。

葵頴をそのまま寝かせ、前を向いた。

「仕方ない、強行突破だ。無理にでも通るぞっ!」

苓夜はその姿のまま、走り出す。

だが、すぐに警備の者に発見されてしまった。

「誰だっ!」

「……悪いね、ニーサン。手荒だけど、ちょっとの間眠っててよっ」

「うっ」

苓夜の手刀が通り過ぎざまに打ち込まれていく。

それは確実に効を奏し、警備たちがばたばたと倒れていく。

確認する暇もなく奥へ走りながら、心の中でもう一度詫びる。

こうしている間にも気配はしだいに大きくなっていく。

その強さに焦りがうかぶ。

(一体、何がいるっていうんだ…?)

「もうすぐです」

ここまで大きい気配になれば苓夜にも簡単に分かった。

もうすぐ……。
たぶん、少し遠くに見える建物だろう。

扉の前にはやはり警備がおり、苓夜を指して何か叫んでいる。

一悶着する時間も惜しい。

苓夜は咄嗟に窓を見た。

走る速度を緩めぬまま、叫ぶ。

「つっこむぞ!」





ガシャーン





大きく跳躍しそのまま窓に身を躍らせた苓夜は、中を見て目を見張る。

嵐が、待っていた。






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