ガシャーン!!


「何事!?」

盛大に割れる音に、全員が凍りつく。

何かが、床に降り立つ。

「……ここは?」

軽く頭をふってガラスを振り落とすとともに身をおこしたのは、まだ若い青年であった。

だが害のなさそうな、おとなしそうな青年であっても警戒は怠れない。

彼は、結界をいとも容易く侵入してきたのだ。

青年―――苓夜は、目を細める。

目の前、…いや空間すべてをまきこんだ、……嵐。

風が荒れ狂うモノではなく、空間の歪みをひきおこすほどの濃厚な瘴気の渦。

ねっとりとした空気が漂う。

胃がむかつきそうな邪悪な気の波が、円陣の中央の少女のまわりを取り巻いていた。

(――なんだ、『アレ』は!?)

瞬間、二の腕に鳥肌がたつ。

一見、何の変哲もない少女―――だが、その『内』に在るモノは……!

(くっ……なんて、瘴気だっ)

見ているだけで気分が悪くなってくる。

それでもまだ、かろうじて風が流れてるのは、先程苓夜がガラスを割ったからだ。

「何者だっ!ここを聖堂を知ってのうえか!」

やや、ヒステリックな男の声が苓夜に向けられた。

その言葉の不自然さに苓夜は眉をよせずにはいられなかった。

「聖堂……?こんな、邪悪な空気なのにか?」

「何だと!」

反論されたことが頭にきたのか、いまにも掴みかからんばかりに威嚇する。

他の神官や巫女は、少女を守るように背にかばう。

その時、澄んだ声が耳に届いた。

……まるで、悲鳴のような。

「れいやぁっ!!」

「!?……君…」

聞き覚えのある声に苓夜は戸惑う。

一瞬の出会い。
けれど、鮮烈な印象をもって記憶にある。

たしか、名前は……

「……茜莉?なぜ、ここに……」

言ってから、苓夜は茜莉が巫女だったことを思いだす。

だが、なぜこの聖堂に?

こんな邪悪なモノのところにいるのだろうか?

その問いに答えるかのように、茜莉が泣きそうな瞳でこちらに叫ぶ。

「……あたしっ、憑坐だって、言われて…。…でもっ!こわい!すごくこわいのっ!いやなの、嫌だよ……苓夜ぁ」

恐怖に支配されていた茜莉にとって突然現れた苓夜は天の救いのように思えた。

必死で呼びかけながら、イヤイヤと首を振る。

一方、苓夜も茜莉の説明でなんとなく事態が読めた。

「………櫻」

「承知しました」

皆まで言わなくとも、考えは伝わる。

長年の、息のあった相棒だからできることだ。

パサリ、と乾いた音をたてて、櫻は純白の鳥の姿から美しい女性に変化する。
精霊特有の銀の瞳が冷たく人間を見据えた。

頭たちがどよめく。

「あれはまさか」

「……古精(こせい)かっ!?」

古精―――精霊。
その中でも神の息吹により直接生み出されたものとされている幻の精霊を古精と呼ぶ。
精霊たちの王であり、絶大な力をもつ。
神にもっとも近いとされており、その種類は僅かに五種しかいないという…。

櫻は不敵に笑う。

「如何にも。我が主の願い、…その邪悪なるものを還す」

「させん!!」
少女を守るように一歩一歩踏み出し、攻撃の印を結ぼうとする。

「――甘いわ」

ふんと、笑うと櫻は右手を軽く横に切った。

それだけで、風が巻き起こり透明な刃となって神官頭に襲いかかる。

「うあぁぁぁーっ」

だが、威力を加減しているらしく、肉が裂けたり血を流したりはしていない。

ただ、風の圧力で吹っ飛ばされ神官頭たちはだらしなく尻もちをつく。

巫女頭たちは、その力に恐怖したのか動けない。

その隙に苓夜は茜莉のもとに駆け寄る。

「大丈夫か?」

「うん…」

腰が抜けかけていた茜莉は助けおこされながら、ふとリマの後ろに佇んでいる李璃に目をやる。

李璃は考えを読めない表情で静かにこちらを見ていた。

目があっても、茜莉が痛そうに眉をしかめたのと対称にぴくりともその顔色は変わらない。

(リリさま…)

苓夜は茜莉の見ている方向に顔を向ける。

渦巻く瘴気の濃度が増していた。

「一体、アレは……?」

独り言に近かったのだが、茜莉はふるえる声でささやく。

「…みんなアレを神と呼ぶの。でも、あれは……」

「邪神……」

苓夜が、続きを引き継ぐ。

―――生命を司るリクナ神。

それは、もっと神聖なものとして崇められていた筈だ。

だが、これでは邪神そのものではないか……!

櫻も術を行使しながら、横目でその姿を認める。

(………)

……櫻は、その瞳を微かに伏せただけだった。

茜莉の声が聞こえたのだろうか、苓夜の登場で停止していたリマが再び動きはじめた。

「……ウツ、ワ…!」

「!!」

「下がって!櫻、いいか」

壊れかけの人形のように、ぎこちない動作で歩いてくるリマに恐怖する茜莉を一歩下がらせ、櫻に声をかける。

頭たちに立てないほどの強風を送っていた櫻は苓夜の隣に重力を感じさせない足取りで降り立つ。

「いつでも」

苓夜は、素早く印を結び息を吸いこむ。

(器と、波長があっていない。今ならば……!)

微かに、胸の隅をかすめた想いを今は無視して。

「いくぞっ、―――紫炎!」

「!?」

紫の炎がリマを『神』ごと包み込む。

その炎に『神』は動揺したらしかった。

困惑げに炎を見渡す。

「リクナさまぁーッ!!」

絶望の声があがる。

だが、邪魔されないために櫻が風縛りの術を行使しているため、近づけない。

「…コノ、ホノオ…ハ……」

(なんだ?)

『神』は苓夜を見る。

苓夜は、その眼差しの意味が分からず訝しむ。

だが、その時はすぐに終わった。

「ウオォォォォ――――!!」

「リクナさまっ!」

身の毛がよだつような恐ろしい咆哮とともに、リマの姿が消え落ちる。

リマの魂が消滅したのだ。

構成の核をなくした体は、砂のように儚く崩れて、溶けた。

―――だが、次の瞬間。黒い風が吹き荒れた。

……ァァァアー―!

声にならない声が、頭の中心をつきぬけていく。

一瞬で櫻の術がかき消されてしまう程の、圧力。

リマという寄るべき器を失くした『神』が聖堂内を暴れ狂っていく。

苓夜は小さく舌打ちした。

(ギリギリ脱出されたか……ッ)

意図はリマの魂とともに、『神』も消滅するものだった。

だが、消滅する直前に扱いづらいリマの体から無理矢理抜けでたのだ。

―――そうなると、残された道は一つ。

「茜莉っ!!」

「………え?」

苓夜の悲鳴のような声にかろうじて反応したが、あまりの展開の速さに思考がついていけなかった。

(マズイ…っ)

恐怖に支配されている茜莉に無駄だと思いながらも苓夜は声を張り上げて叫んだ。

「逃げろ――ッ!!」





ものすごい勢いで自分めがけて向かってくる邪悪な気配に、茜莉は身を強張らせる。

「……いや」

ぽつりと、自覚してない言葉が口からこぼれでる。

茜莉は、すでに目の焦点があっていなかった。

視界は一つの気配でいっぱいになり、音は消えたように意味をなさない。

色さえも失われたシロクロの世界で、茜莉はただ独りだった。

(こわい…)

頭の中にそんな言葉が浮かぶ。

だが、静寂にも似た一瞬は、茜莉の中に一つの小石を投げ込んだ。

(……こわい?)

この身を突き抜けるような感情は、果たして本当に恐怖だろうか。

………否。
違う、気もする…。

分かるのは、一つ。

体中が拒否反応を、訴えている。

コレは……いけないもの。

―――破滅を、もたらすもの!


「―――――――」


一瞬の赤い火柱の幻影。

瞬間、頭の中が白くなった。








光。














―――泣かないで……


(誰……?)

圧倒的な光の中、消えそうな意識の片隅で声を聞いた気がした。


―――泣かないで……


(リリさま…?)

その言葉は、大切な記憶を引き出す…。

神殿に来た日、いつまでたっても泣きやまなかった茜莉をたまたま通った李莉が抱きしめてくれた。

そして、やさしい声で囁いてくれた言葉だった。


―――泣かないで……


(……あれ?ちが、う…?)


ふと、違和感を感じる。

リリの…声では、ない?

もっと幼い、子供のような…


―――泣かないで……

―――逃げろ……っ!


(な…に?)

ツキン…

何かが頭をかすめる。

どこかに失くしたはずの、記憶のカケラ。

だが、酷い頭痛が茜莉を苛む。

(い…た…っ)

ツキン…ツキン……ズキン!

(――――ッ!)


白い光が押し寄せる。

痛みとまぶしさで、何も考えられない―――














「………ァァァァアアッ!」

『神』の叫び声で意識が戻る。

「あれっ………私、無事?」

「茜莉?起きているのか?」

「えっ……」

呆然としている茜莉はのろのろと苓夜の顔を見上げる。

そのおぼつかない様子に苓夜は心配になる。

(体や精神に異常はなさそうだけど…)

「分かっているか?茜莉が自分でアイツを弾いたんだ」

苓夜が言うと茜莉は困惑したように眉をよせるばかりだった。

「あたしが?…自分で?」

「そう。……覚えてないのか?」

「うん」

ふーん、と立ち上がる苓夜。

事態は良くなったワケではなかった。

『神』は寄り所なしでは地上に留まれない。

暴れ回る『神』に苓夜たちも結界を張るのが精一杯だ。



そして。

「……ァァァアアッ!!」

「!――まずい、逃げろっ!!」

「!?」


一瞬の静寂の後。

『神』はものすごい爆発とともに消え去った。





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