「こっちよ」

緋織(ひおり)と名乗った女は、檻を出てすぐの壁に手をついて表面を撫でた。

蜻葵と刀呀は見ていることしかできない。

二人にはどう見てもそこは壁にしか見えなかったからだ。

緋織が“扉だ”と称した所は、堅い壁が立ちふさがっているばかりだった。

「ここを見て。触れると小さなキズがあることが分かるわ。ええと、確かこう言っていたのよ………『開門』」

瞬間、緋織が“傷跡”と称した箇所が鈍く光って文字を浮かび上がらせた。

見慣れぬ紋様にも見えるソレは、神官の使う神聖文字。

≪――其は、道を求める者か?≫

蜻葵にも刀呀にも読めなかったその文字を緋織が読めていたとは思えないが、彼女は迷わず続きを言う。

「『王の名のもとに』」

……ィン…

言葉が鍵となったのか、術の発動した壁はぽっかりと――扉が開く音も土壁の擦れる音もせずに――暗い穴へと化した。

大人二人はゆうに並んで入れるほどの広さだ。

試しに刀呀が闇色の口を開けた入り口に立ってみると、中の通路もそのままの広さで奥まで続いて見えた。

恐らく脱出用に広めにとってあるのだろう。混乱の中、十分な人数が通れるように。

舌先で濡らした指を宙へ掲げた刀呀は、ヒュウと口笛を吹いた。

「こりゃあ、アタリかもな。多少湿気っぽいが風が微かに吹いている。道が通じてるってことだ」

「城へか?」

蜻葵の問いに、刀呀は肩をすくめる。

「それは分からない。方角的にはそうだが、ちゃんと直線に道が作られているか分からないしな」

ぽっかりと闇の口を開けたような通路は光源の一つもなく、先がまったくと言っていいほど見えない。

「何だか不気味な通路ね。…随分と使われていなかったみたい」

「ああ。華鐘(かがね)の統治時代はせいぜい30年そこらだ。…けど、この通路はそんな年月じゃないほど朽ちている。
おそらく、以前にも金好きの似たような馬鹿がいたってことだ」

「………」

その暗闇に得体のしれない不安を感じ、緋織は少し身を震わす。

だが蜻葵は入り口に立つ刀呀を追い越し、闇の中へと躊躇いなく歩を進めた。

「ならば確かめるまでだ。時間がない。……我らは、闇を恐れる者ではない」

そうだろう?

視線だけが振り返って刀呀を射抜く。その、圧力。

決して威圧的な物言いでないのに、頷かなければいけない気分にさせるのはきっと彼だからだろう。

天性のカリスマは、自身で気づいていないみたいだが。

その瑠璃の瞳に捕まる前に、刀呀は息を吐き力強い笑みを浮かべた。

「ああ!俺達は闇を翔ける翅(はね)、蜻蛉だ!」





* * * *





『蜻蛉』の本拠地である洞窟は大勝利に沸き返っていた。

見事、城への隠し通路を見つけ出し無事に帰ってこれたという勝利。

戦いの興奮冷めやらぬ前に、早くも祝宴が開かれていた。

洞窟に残っていた女たちが、手によりかけて作った料理や酒がふんだんにまわされてくる。

芳醇な果実の香りや、こうばしい肉の香りに腹をすかせた者たちは我さきにと奪い合いながらも楽しげにがっついていった。

「あっ、欒たいちょ〜!隊長も一緒に飲みませんかぁ?」

片手にワイングラス、片手に肉の串焼きをもっている男に声をかけられ、広間をかきわけるように歩いていた欒は振り返った。

呆れを隠そうともせずにフンと鼻をならす。

「…浮かれすぎだ。勝手に飲んでいろ。私は忙しい」

「はぃ〜飲んでます〜」

にべもない欒の返事に、何故か気を悪くしないのが彼の部下たち。

教会を抜けてきたような輩ばかりだから、皆変人なのだと欒は決め付けているが、実のところは定かでない。

べろべろに酔っ払っている部下を置いて、さっさと広間を抜け出た欒は奥へと進む。

「欒だ。入るぞ」

「ああ」

中から声が聞こえた。

昨日もこのやりとりとしたなと思い出しながら、遠慮なく扉を開ける。

表の騒ぎとはうって変わって水をうったような静かな空気に、欒は眉をよせる。

それが部屋の中央に佇む見慣れぬ女のせいだとは分かったが、気にせず蜻葵へと向かう。

「確認をしてきた。負傷者が12名。うち1人は重症で救護班が治療している」

重症…と呟いて蜻葵は尋ね返す。

「酷いのか?」

「問題ないだろう。優秀な女がついている。しばらくは養生が必要だろうが、命には別状ない」

「そうか…」

隣で聞いていた刀呀も安心したように、はーっと息を吐いた。

こんな組織などやっていて死者を出したくないなんておこがましいのかもしれないが、それでもやはり無事を祈ってしまう。

蜻葵は一度瞳を閉じてから、部屋をぐるりと見回す。

作戦室と名がつくこの部屋に居るのは4人。

蜻葵、刀呀、欒、………そして緋織である。

(神殿に捕らわれていた女、か…)

蜻葵たちに混じって密やかに連れ出された緋織は、そのまま洞窟までやってきた。

黙って蜻葵を見つめている彼女は多少不安気な様子を見せているが、不必要には怯えていない。それどころか見返す余裕すらありそうだ。

堂々と蜻葵たちに取引を持ちかけてきたことから、意外と肝がすわっているのかもしれない。

他の二人にも視線をやるが、口を開く気はないらしく蜻葵の様子を伺っている。

(どいつもこいつも…)

つい、昔の名残りで口悪く考えてしまった。声に出さないだけマシだろう。

だが、リーダーというのはこういう時面倒だ。

仕方がないと割り切り、蜻葵は緋織の目を見ながら切り出した。

「とりあえずは……感謝を言っておく。あんた―――緋織のおかげで今回の作戦は成功したようなものだ」

神殿の奥深くに隠されていた緋織の機転で、時間ぎりぎりながらも隠し通路を見つけることができた。

だが欒は不満そうに眉をよせる。

「上手くデキすぎているのではないか?……その女が真実捕らわれていたという保障もない。もしかすると、神殿のヤツラに取引きをもちかけられているのかもしれないぞ」

「欒!」

刀呀が諌めるがどこ吹く風で、聞き流す。

緋織は、自分よりも背丈の低い少年の姿の欒に目をとめた。

「……あなたは?」

「欒(らん)だ。術隊をとりしきっている。……言っておくが、私はおまえをまだ信じられない」

「そう、ね。…緋織よ。よろしく」

剣呑な視線を正面から受け止めて、緋織は柔らかく笑みを浮かべた。

より一層視線を厳しくした欒に向かって、蜻葵が口をはさむ。

「彼女を信用したのは俺だ。責任は俺が持つ」

「………。…分かった。オマエがそう言うならば、私は何も言うまい」

蜻葵と2・3秒視線を合わせただけであっさりと欒は引き下がった。

噛み付いてきた勢いはどこへいったのだというように、緋織が目を丸くする。

だが、本人はもう気にしていないようだ。

「ったく、蜻葵の言葉だけは素直に聞くのな」

苦笑しつつ、刀呀も緋織に口をひらく。

「欒の言うことは気にすんな。あんたには感謝してるぜ。俺たちは運が良かったんだ」

謝辞に緋織は微笑って首をふる。

「お礼はいいわ。わたしこそ、あそこから出してもらったのだもの。感謝をするのはこちらよ。本当にありがとう」

「そのことだが……」

刀呀が少し歯切れ悪そうに続ける。

「俺達の顔を見られた以上、しばらくは帰してやれないんだ。あんたを疑っているわけじゃないが、秘密が漏れる可能性はできるだけ無くしておきたい。むろん、あんたの安全は保障する」

「………ええ。そうだと思っていたわ。わたしは大丈夫。こうして外の空気を感じことができたんですもの。あそこに居るより全然いいわ。でも……、わたしを匿うことで迷惑をかけるんじゃないかしら」

表情を曇らせた緋織に、欒はふんと鼻をならす。

しかし、その返答はさっきとは違い、多少穏やかなものだった。

「迷惑?神殿からの追っ手か?……何をいまさら。我らはとっくに神殿の敵だ」

それに、刀呀は説明を加える。

「その通りだ。俺達は帝王・華鐘を倒すために組織を作った。そして、帝王を敵にまわすというのなら神殿を敵にまわしたも同然だ。だから心配することないさ」

「…そう。ありがとう……」

安心したように、吐息とともに緋織は柔らかな笑みをうかべた。

それは見るものを魅了し癒す聖母の笑みで。

……だが、蜻葵は眩しいものを見るように目を細め、ふいと視線をはずした。






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