――剣を…… 青銅の、見事な細工が映える柄。 ――剣を、探さなくては…… 刀身は、光輝く銀の光。 ――……の剣を……手…に…… だが、その呼ぶ声は一体誰なんだ……? * * * * 夜中、何となく寝付けなくて蜻葵は寝台を這い出た。 外の空気が吸いたくなったが蜻葵の部屋はあいにくと小窓ひとつない。 仕方なく外へ出ようかと考えた時、小窓のある部屋を思い出した。 時刻は深夜。 教会に侵入した時よりまる一日たったことになる。 相手がこんな時刻に起きているとは思いがたかったが、行くだけ行ってみようと部屋を出る。 ところどころにいる見張りに挨拶しながら、目的の部屋の前まで足を運ぶが、そこまで来て随分と無作法なのではないかということに気がつく。 あきらかに人を尋ねる時分ではないだろう。ましてや… (まあ、駄目ならば戻ればいいだろう) 部屋を出て軽く歩いただけでも随分と気分転換になった。このまま戻ってもいいかもしれない。 だが、風にあたりたいのも事実だ。 とりあえず引き返すことせず、蜻葵はそのまま扉を軽く叩く。 ――すると、驚いたことに返事があった。 「どうぞ」 自分から来た筈なのに何故か戸惑いを覚えながら、蜻葵は中へ入る。 彼女が簡単に招き入れたからだろうか。 不思議なことに、蜻葵が来ることが分かっていたかのように、未だ『蜻蛉』の女メンバーが用意した夜着には着替えずに、寝台に座り窓から外を見ていた。 窓は、天井高くにあるので間違っても逃げられないような窓だ。 蜻葵が中に入ると緋織は近くの椅子を勧め、自身は再び寝台へと腰掛ける。 「…夜遅くにすまない。急に外の風が吸いたくなったんだ…」 成人した男の言うことか、と刀呀あたりは呆れ果てるだろうが蜻葵はいたって真面目にそう言っていた。 一方の緋織も娼婦などという職業でありながらも、蜻葵に対して邪推をしてみせたりなんということはない。 互いに何か特別な空間を共有しているかのようだった。 「どうぞ、座って。今夜も月がきれいよ。久々の空はいつまで見てても飽きないの…」 蜻葵も空を見上げる。 切り取られた小さな空だったが、それでも疲れた心を慰めるには十分だった。 しばらく二人で黙って夜空を見上げる。 不思議な心地よさを感じた。 体の内側から癒されるような。 蜻葵はそれが夜空のせいではなく、彼女のせいだと分かる。 緋織の、清らかな空気のせいだ。 心が浄化される…。 それは明らかに普通の女の持つソレとは違った。蜻葵の知る、どの女にも見たことがない透明さ。 何故、こんな女がいるのだろう。 「……あんたは、誰だ」 「わたしは私よ。鳶(えん)で働いていただけの、ただの女」 「……鳶?」 聞き覚えのある名に眉がよる。 あそこは確か、歓楽街として有名な街であったはず。 緋織は蜻葵の考えを読み取ったかのように頷いた。 「そうよ、わたしは娼婦だったわ。でも一度だってわたしは自分を哀れんだり蔑んだりしたことはない。誇りを、持っていたわ」 「誇り?」 「ええ。……人は身の内に、孤独を生涯かかえていくものなの。それは他人に理解することも、ましてや肩代わりすることもできない。絶対の痛み。 そんな旅人たちを少しでも眠らせてあげるのが私の仕事。 安らかに、ただ無心へと誘う眠りの守人」 何を戯言を、と口に出しそうになった。 どんなに綺麗につくろっても娼婦は娼婦でないか。 所詮は金で体を売る商売だろう?、と。 ……だが。 「分かってくれなくてもいいわ。軽蔑されることだって一度や二度じゃないし。 ――いいの。だって、わたしが私を認めているのだから」 「………」 蜻葵に笑いかける緋織にはどこにも卑屈さがない。 澄んだ眼差しで。蜻葵をまっすぐと見つめるその紫の瞳に、嘘はなく。 ……本気だと理解った。 俯きながら蜻葵は言葉を探す。 「変な女だな」 「そう言われたこともあるわ」 「……俺は」 目をつむる。瞼の裏に、緋織でない女の顔がすぐに浮かんだ。 どんな花よりも美しいと言われた女。 その碧い瞳は未だ蜻葵の心に棘となって、痛みをもたらす。 まやかしの痛みを振り切るように、軽く首を振って蜻葵は瞳を開けた。 「俺は、女はキライだ。娼婦など……最低な人種だと思っている」 「………」 「だが…」 蜻葵は前を向いた。 緋織と正面に向き合う。 「だが、あんたは違うような気がした。………説明は難しいが、あんたは俺の知っている女たちと…どこか違う。職業はともかく、あんたの志は悪くないと、思う。 あんたの心は…………………―――好きになれそうだ」 笑み一つ浮かべぬ蜻葵の表情を、しかし緋織は言葉とともに正確に捉えたようで目を見開いた。 「……ええ!わたしもよ、蜻葵!」 花が咲いたかのように満面の笑みになった緋織に、蜻葵も少しだけ口の端を無意識に緩める。 微笑ったのなんて、一体何年ぶりだろうか。 (まだ、微笑えたのか) 希望を……持ってもいいだろうか? 彼女がこの暗闇から救い出してくれる一筋の光明だと信じても、よいだろうか? 未来が、見えるだろうか。 (ならば、もうすこしだけ…) この夜空に願いをたくして。 もうしばらくだけは足掻いてみよう。 ……すべてを諦める前に。 そんなことを考えていると、ふいに緋織がぽつりと呟いた。 「こんなに楽しく笑えたのなんて、まるで家族といた時みたい…」 「…家族?」 「蜻葵はいる?」 緋織の問いにかぶりをふる。血の繋がりなど、とうの昔に絶えた。 「…だが、此処はソレに近いのかもしれないな。あまり考えたことはないが」 刀呀に欒、それに大勢の仲間たち。 寝食を共にし、共通の目的をもって同じ時を歩む彼らは、仲間などという枠をこえて家族と称してもいいかもしれない。 その答えに緋織は目を優しく細めた。 「そうね…家族であることに、血の繋がりなどいらないわ。思いやる心こそが大切なのよ」 「そうかも、しれないな…」 だが、それも華鐘を倒す間だけだろう。 共通の目的さえ遂げてしまえば、仲間はバラバラになっていくのだろう…。 緋織がもう一度口を開いた。懐かしそうに。 「……おとうとが」 「?」 「弟が、いるの。もう何年も会っていないけれど、きっと格好良く成長したと思いわ」 「緋織の…弟?」 ええ、と微笑んだ表情はどこか悲しげであった。 遠い昔に思いを馳せる。 「やんちゃで、危なっかしくて……でも、とても優しい子だったの。わたしが居なくなってからどうしているのかしら。無事でいると、いいのだけれど。いつか……、いつか会える日がくるのなら。会いたいわ……苓夜」 洞窟の奥深く、姉は弟の無事を祈っていた。 そして遙か鳶の街では、……弟が姉の身を案じていた。 すれ違う手。 繋がっている心。 いつか再会する日を夢見て。 Back/ Novel/ Next |
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