――3―― 「もう行ってしまうの?」 まだ薄暗い朝。 鳶の入り口にて雪と別れの挨拶を交わす。 永久の別れではないだろうが、それでも次にいつ会えるか分からないため二人は名残おしげにその場を離れられない。 「どこに行くか決まっているの?」 「うーん、特には…。揉め事は起こしたくないけど、ただひたすら黎玖撫教の村を避けて行くのにも疲れたんだけどなぁ。何かいい案ない、雪姐さん?」 「そうね……」 雪は思案する。そしてすぐに、あ…と声をあげる。 「それよりも。重大なことを思い出したわ。―――緋織のことなの」 「……ッ、何か分かった!?」 「分かったと言えるかどうか…。あの夜、隣村の宿に見慣れない複数の男が泊まっていたそうよ。顔は見せなかったみたいだけど、夜中に活動していて主人は怪しいと感じていたみたいね。そして、何より奇妙だったのが男たち全員の腕にあるアザ」 「……アザ?」 「何年も前の話で記憶がうろ覚えだったみたいだけど、『眼鏡』のようなアザだったと言ってたわ」 「眼鏡…」 黙り込んでしまった苓夜の隣で茜莉は首を傾げる。 (緋織って、苓夜のお姉さんだよねぇ?) 血が繋がっていないけど姉弟なんだ、と昨日話してくれた。いなくなって数年たった今も探し続けていると。 家族がいない茜莉にとってその想いがどういうものだかは、よく分からない。 ただ、ようやくこちらを少し信頼してくれた苓夜。 その思いに、できる限り答えていきたいと思ったのだ。 しかし、疑問が一つ。 「ねぇ、眼鏡ってナニ?」 考え事に没頭していた苓夜が目を丸くして驚いてみせた。 「え?茜莉、眼鏡知らない?」 「知らない〜。なぁにそれ?」 「何って言ってもなー、説明するのが難しいっていうか……。視力を補うものって言って分からないよな。じゃあ、今度見かけたら教えるよ」 「うん」 「……苓夜ちゃん」 押し殺したような声に振り向くと、雪が思いつめた表情をしていた。 胸の前で組み合わされる両手は、白い。 苓夜が何か口を開く前に、雪はその黒曜石の瞳からぽろぽろと美しい涙を流した。 「雪姐さん」 「いつもあなたにばかり行かせてしまってごめんなさい。本当は苓夜ちゃんみたいに自分で探しに行けるといいのだけれど……」 自嘲するように微かに笑う雪に苓夜は優しく笑いかける。 「大丈夫。俺が絶対に見つけ出してみせるから。……雪姐さんは心配しないで待っていて」 「ええ……緋織を……私のたった一人の親友を、お願い……」 ああ―――と思う。 雪のその白磁の頬を流れる涙の筋を見つめながら、ふいに思い出す。 (自分一人では、ない。このたおやかな人も、心を痛めてきたのだ) 雪もこの7年間ずっと切に願ってきたのだ。 彼女の、無事を。 やがて落ち着くと雪は泣き顔を恥じるように、照れた微笑みをうかべた。 「情けないところを見られちゃったわね。……ところで、行くところが決まっていないのならば、帝都へ行ってみてはどうかしら?」 「帝都?」 「このところ、反帝国組織が活発になってきたためにちょっと入るのに苦労すると思うのだけれど、あそこは大陸の中心地だし、情報も集まりやすいわ。それにあの一帯は双世教が支配しているわ」 「……あ、そっか!盲点だった。帝都か」 「誰も来ないような辺境ばっか歩いていたもんね。双世教のお膝元にはさすがの黎玖撫教も近づけないよね!」 苓夜は雪に握手を求める。茜莉も同様に。 「ありがとう、雪姐さん。本当に」 「雪さん、ありがとうっ!また絶対遊びに来るね!!」 「ええ…ええ…、是非来てね。待っているわ」 そして、いつの間にか来ていた鳥の姿のままの櫻が。 「また、いずれ。皆には見つからぬよう窓からお邪魔させていただきましょう」 「ふふ。昔、姐さんたちに可愛がられたのをまだ気にしているの?」 「………わたくしは」 「南向きの窓を開けておくわ。あなたの来訪ならばいつでも歓迎よ!」 苓夜と櫻と出会って精霊の理解者となった雪は、二人の良き友でもあった。 そして、同志でもあり…――― 「元気で。あなたたちの無事を心から祈っているわ!」 涙を零しながらも笑顔で見守ってくれる。 雪に心一杯の感謝をしながら、苓夜たちは鳶を後にした。 「ねーえ、苓夜」 鳶が見えなくなった頃。 少し前を歩いていた茜莉は、後ろ向きになりながら話しかける。 「…なんだ?」 茜莉は茶目っ気あふれる笑顔をのぼらせた。 「苓夜って、雪さんが初恋だったんでしょーっ?」 「!?ばっ……何言って…」 「あははっ、本当なんだー。さっき櫻さんから聞いちゃったー!」 「……――――――櫻っ!!」 「わたくしは本当のことを言ったまでです」 苓夜の怒鳴り声にもしれっと返答する精霊に、反省の色はない。 仕方なく苓夜は茜莉に怒りをぶつける。 「茜莉も茜莉だ。人の古傷えぐるような言葉言うなっ」 「……あれ、振られちゃったんだ」 「〜〜〜!!」 無言で歩く速度を速めた苓夜に、茜莉は笑顔でとりつくろう。 「ごめんごめん!…ね?ほら反省してるからー」 苓夜が視線を向けると、少し神妙な顔でこっちを伺っていた。 横目で見ながらぼそりと呟く。 「……顔がにやけてるぞ」 「えっ……、あっうそうそ!ごめんってば〜」 櫻から見ればその光景はじゃれているだけなのだが、どうやら本人たちにそのつもりはないらしい。 たわいもないことを口走りながら、駆けてゆく。 (うまくやっていけそうですね) 初めこそぎこちなかったが、何かがあったのか今は互いに仲間と認めているようだ。 何より、共にいる空気があたたかい。 心の中でくすくすと笑いながら優雅に空を飛んでいく。 (この安らかな風が少しでも長く吹きますように) 櫻は祈る。 未だ誰も見えていないであろう未来を予感しながら、祈ることしかできなかった。 やがて彼らに降りかかる嵐が、少しでも遠い未来でありますようにと。 今はただ… ――――――――――――安らかに。 <二章/完> □後書き Back/ Novel |
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