――3――


ある朝、起きたら神殿がざわついていた。

「双世教が紛れ込んだらしいわよ」
「まぁ、こわい」
ふと、気になって見に行ってみたくなった。
まだ一度も双世教の信者というのを見たことがなかったからだ。
―――私たちとどう違うのか?
皆が『罰当たり』や『リクナ教を害する者』というのが、よく分からなかった。
どういう意味なのか確かめたくて、その捕えられた男がいるという部屋へこっそり覗きに行ってみた。
神殿の一番北にある部屋。
誰も近寄らない奥の間へ。

男は居た。…ただ、それだけ。
叫ぶでもなく暴れるでもなく、掛けられた両の手錠を重そうにしながら座っているだけだった。
「改宗するならば見逃してやろう」
「それとも一生牢獄へ繋がれたいか」
「………」
男は何度か殴られたのだろう腫れた顔を青ざめさせ、小刻みに震えていたが―――しかし、頑として口を開かなかった。
「あくまでも無言を貫くか。…ならば、望み通り生涯をここで終えるといい」
神官二人が、牢から立ち去ろうと背を向けたその時。
「……くそっ、呪われろ!命を弄んで何が生命神だ!!」
「―――」
「う、が…ッ!」
無言で蹴り倒した神官は、今度こそ出て行った。
残されたのは、男が一人。
彼は椅子に座り直す気力もなく、諦めたように首をうなだれて涙を流す。
「どうして……っ。俺はただ、家族に会いに来ただけなのに…信仰は違えど……家族、なのに……っ!」
低く泣き呻く男の背中を、私は見ていることしか出来なかった。
けれど、…何かがしこりのように残った。
彼は、確かに黎玖撫教を散々罵っていたのに、怒りは全く沸かなかった。

ただ……哀しみが、ぽつりと残った―――


* *


薄汚い家畜小屋に、私たちは閉じこめられた。
かと言ってさすがに最低限の清潔さは保たれてて、我慢できない程ではなかったけれど藁と家畜の臭いが鼻をついた。
夜だと言うのに、明かりの一つも毛布の一つもなく、山積みになっていた藁が唯一の暖となる。
「……っく、ひ…っく…」
「茜莉、もう泣くなよ…」
「…っ…」
涙が、止まらない。
苓夜が慰めてくれていたけど、胸の深いトコロが痛くて……止めたくても壊れてしまった涙腺は、全く私の言うことを聞かなくなってしまった。
だって…
だっ…て……
「ゆ…が…」
「………」
どうし、て。
あんなにも笑顔で頷いてくれたのに。
その、純粋な笑顔を信じた、のに…。
(あれは、嘘だったの?)
遊芽だと思った時、怒りがまず始めにわいた。
けど、振り向いてその顔を見た途端、それは哀しみになって………涙が溢れた。
(やっぱり…ダメなのかな)
昔に見た、捕えられた双世教の男をふっと思い出した。
家族に会いたかっただけだと、…叫んでいた人。
その後、彼がどうなったか知らないけど、多分解放はされなかったと思う。
私も、そうなるのかもしれない。
もちろん、苓夜たちがいればそんなことは有り得ないと思うけど、でも…村の人はそのつもりなのかもしれない。
あの冷たく鋭い眼差しが、そう言っている気がした。
「……やっぱり、黎玖撫教は受け入れられないのかな。あんな小さな子までも…」
「茜莉…」
改めて、目の当たりにした拒絶は痛かった。
それこそ、親の仇を憎んでいるかのように鋭くて………

「―――当たり前だ。お前らなど、絶対に許すものかっ」

「!?誰だっ」
急に割り込んできた声に、苓夜が鋭い声を出した。
櫻さんは気付いていたらしく、眉一つ動かさずに事を見守っている。
「…チッ」
扉を開けて、入ってきた男はよく知らない人だった。
どうやら、見張りらしい。
私を見ると、他の人同様に憎しみのこもった目で睨んだ。
……痛い…
「フン、大人しくしていたようだな。…俺は、こんな処罰はぬるいと思うんだがな。殺したって足りないくらいだ…っ」
「…ッ」
ビクリ
手の…震えが止まらない。何で、そんなに…?
「そこまで強い憎しみは何故じゃ?単なる宗教間のイザコザではなかろう」
櫻さんが、初めて口を開いた。
苓夜もそれを促すように男に視線を向けているのを見ると、始めからそれを聞くために捕まったのかもしれない。
「知らないのか?……そうだな。おまえらは自分達さえ良ければいいのさ。この村の犠牲なんて些細な事だろうよっ!」
ガンッ、と壁を叩く音が響いた。
凍りのような眼差しがいっそうキツクなる。
「どう、いうこと…?」
犠牲?この村が?
混乱から声を発した私に、男は軽蔑した口を歪めた。
「教えてやるよ」
聞きたい。
けど、聞きたくない。
相反する望みに動くことも出来ず、審判を待つ罪人のようにただ男の言葉を待つしか出来なかった。
「何年も前、雨の多かった年。この村にタチの悪い疫病が流行った。……もちろん、疫病と言っても全くの治療法がないわけでもなかった。記録によると、昔にも似たような疫病が発生したが医者の治療で治っていたようだったしな。だが、今回は治らずにかなりの数が死んだ。……何故だか分かるか?」
それは…疫病を治すのに、必要な……
「…医者がいなかったからだよ!お前ら―――黎玖撫教が異端だとか言って、この地方から医者を排除したからだよっ!!」
「う…そっ」
知らない。
知らないよ!
「言い逃れをする気か!」
「ちが…っ」
否定したい。けど、喉はそれ以上言葉を紡げなかった。
『医者は異端』
『排他すべき』
…神殿で、嫌というほど聞いてきた言葉だった。
「……っ」
「確かに、あの神殿の村では医者は疎まれている。…けれど、医者が治療してはいけないなんて、正式にはそんな約定などないんじゃないか?」
(……?)
れいや?
「ああねぇよ。だから、どうしたっ。……誰だって、疎まれるような所にわざわざ行きやしねぇ。やがて医者達は神殿の村から遠のき、この地方からも遠のいていった」
「ワリを くったのは……双世教の村か」
(ああ…そうか)
諦めにも似た哀しみが、わいてきた。
あんなにも裏切られた黎玖撫教だったのに、やっぱりまだ心の何処かで信じていたい気持ちが残っているらしい。
苓夜の言葉で、『罪』っていうのが…ようやく分かった。

―――この村は、孤立したのだ。

黎玖撫教の村は、いくらでも神殿の恩恵をうけることが出来る。
けど、双世教の村はそうもいかなかった。
疫病騒動の時、きっと神殿は気付いていたのだと思う。
けど、不可侵の掟で自ら赴くこともせず、異端の理由で医者すらも近付けなかった。
そういえば、村のあちこちに比較的新しい墓がたっているのを目にとめていた。
……あれは、疫病で死んだ人達だったんだ…。
「死を待つしかない家族の気持ちが分かるか!?医者にかかることさえ出来れば、死ぬ筈のない病気を見てることしか出来ない気持ちが分かるか!?」
ふっ、と男の顔が泣きそうに歪んだ。
「……俺の妹も死んだよ。もうすぐ結婚するのだと、幸せそうに笑っていたのに…っ。高熱で肌も唇も乾燥しちまって…「熱い熱い」とうわごとを繰り返すんだぜ?死ぬまで…、苦しんだ。なぁ、その苦しみが分かるか…?水を与えても飲むことすらできないんだ。――この村の奴らは皆そんなやつらばかりだ。誰かしら大切な者を亡くしてる。遊芽だって、あの事件で全てをなくしたんだ……」
「……え?」
今、遊芽って言った?
「オマエ、あいつの前で『癒しの力』を使ったんだってな。無神経にも……あいつの両親は疫病が元で死んじまったってのに!」
「だっ…て、両親って…」
「今一緒に住んでんのは、伯父夫婦だよ。身寄りのないあいつを引き取ったのさ」
引き取った?
本当の両親ではない?
「わ…わたし……」

本当の両親は…
    …―――黎玖撫教が、殺した。
「―――っ!!」

「茜莉っ!」
青ざめてまっすぐ座っていることも出来なくなって、地に崩れ落ちそうになるのを苓夜に支えてもらった。
視界は安定せず、心臓は早鐘をうつ。
耳鳴りが、煩いくらいに鳴っていた。
(ごめん…ごめん…っ)
遊芽……っ。
酷いことをした。
とても、酷いことをした!
驚愕の眼差しで見ていた遊芽。親の仇である黎玖撫教の力を見せられて、穏やかに笑える筈がない。
笑える筈がないのに……っ。
(ごめんなさい…っ)
心の中で、ただひたすらに謝罪の言葉を繰り返す。
償いきれない程の後悔。
……それと同時に、何かストンと納得するものがあった。
(だから…なんだ)
男は気の抜けたような私の様子に一応すっきりしたのか、そのまま出ていった。
もちろん、小屋に鍵をかけるのを忘れずに。
「…………行ったな」
「……」
「捕えた理由も明らかになった。もういいのではないかぇ?」
「そう…だな。これ以上留まるのも危険だな」
苓夜が耳をすませて辺りの様子を窺う。
「……見張りが一人。さっきの男だろう。大丈夫。抜け出すのは簡単だ」
「……」
「茜莉も、いいか?」
「…………うん…」
返事をするのも億劫で、溜め息のようになってしまった。
手錠の代わりにかけられた縄を解こうとした瞬間、―――不意に苓夜が動きを止めた。
「誰かが来た」
誰か?
……けれどそう言いながらも苓夜の眼は扉に向けられていない。
見つめるのは……床板?

カチャ……キイ…

留め金をはずす音が聞こえて、床板の一部が静かに開かれた。
ぼんやりしていた私も、さすがに驚いて開かれた穴を注視する。
なに…?
やがて、腕が出てきて、にょっきりと出てきた頭は……
「!…ゆ――」
「しー!静かに!……こっち。秘密の抜け道があるんだ。ついてきてよっ」
あっという間に穴の中に消えていった小さな頭に導かれるように。そしてその姿を見失うのが恐くて、急いで私も滑り込んでいった。
中は暗い。
「狭いから気をつけてね」
言葉が出せない状況の中で、それでも問い掛けたくて必死に目で追った。
不安と期待と恐れが、ごちゃまぜになって……息がつまる。






夜空が一面に広がっていた。
皓く光る月を覆う雲の影もなく、森の中からでも迷うことなく北の星を探せるだろう。
少し遠くには幾つもの篝火があって、人の住み処であることを知らせる。
……ついさっきまであの村に居たことが嘘のようだった。
「ここまで来れば大丈夫だよ」
にっこりと彼は笑って言った。
その笑顔は、以前と全然変わらなくて……
「どうして…?」
「ん?」
「なんで…助けてくれたの、――遊芽」
声が震えているかもしれない。
そう。助けに来てくれたのは……あの、遊芽だった。
尋ねると、ちょっと困ったように笑う。
「んー…。確かに黎玖撫教はキライだよ。父ちゃんと母ちゃんを返せ!って何度も思った。黎玖撫教が目の前に現れたら殴ってやるつもりだったんだ」
「……うん」
そうされても仕方ないと思う。
それで償えるとは思えないけど…。
「けど、さ」
……?
遊芽が、再び笑う。
「ねーちゃんが、そうだと知っても……オレ全然嫌じゃなかったんだ。目の前で『力』を見ても、平気だった。おかしーかな?」
「遊芽……ううん」
「……俺、おかしーのかと思ってた。父ちゃんも母ちゃんもあんなに苦しんで死んだのを目の前で見てたのに、どうして黎玖撫教の巫女を見ても殴りたくならないんだろう…って。食べてた間ずっと考えてたけど、やっぱり分からなかった」
そんなこと、考えてたんだ…。
「けどさ。オレはやっぱりねーちゃんのこと好きだし、でも黎玖撫教はキライなんだ。なんかおかしーけど、おかしくないんだ。だから、それでいいんじゃないかなって思った。ねーちゃんと、ねーちゃんの使う『力』は好きでいていいんじゃないかって!」
「でも…」
何と言っていいか分からなくて言葉を濁しちゃったけど、遊芽は私の表現から言いたいことが分かったらしい。
キッと眉尻をあげた。
「あのねっ!ねーちゃん、オレがバラしたと思ってんだろ!!
  ―――も〜信じてくれよ〜!オレ、こー見えても口は固いんだぜっ」
「へ?……え、えええっ!?」
思わず大きな声をあげてしまった。
嘘!だって、どう考えても遊芽しか知らないんじゃ…
「あのさー…、あの時見られてたんだって。ねーちゃんが『力』使うところ」
「ふぇ?」
『力』…ってあの時だよねぇ?
見られてた?
「たまたま農具置きにきたヤツに見られたんだって。ウチの村、こんなだからさ。すぐに広まっちゃったんだ」
「じゃあ…」
じゃあ、遊芽は―――
「だーかーらー、オレは言ってないの!」
約束は破ってないんだからなっ、という声を聞きながら、私は体の力が抜けるのを感じた。
よ…
「よかっ…たぁ…」
「あっ、おい!ねーちゃん!」
ずるずると座りこんで泣き始めた私に遊芽は焦ったようで、慌てて一緒にかがんでくれた。
「ねーちゃん、泣くなよ〜」
「こ…れは、嬉し泣き、だから…いーのっ」
その言葉通り、私は嬉しくて笑いながらも泣いていた。
不気味?うん、不気味だろーね。
でも、止まらないんだもん…っ!
「苓夜にーちゃん〜〜」
私の後にいる苓夜に助けを求めたみたいだけど、たぶん私の思うままに泣かせてくれる気だろう―――遊芽が「そんなぁ〜」と情けなく言うのが可笑しかった。
「むー。……………あ!いい物があった!」
叫ぶなり遊芽は自分の服に手を突っ込んで、取り出した何かを私の手に握らせた。
……?石?
「雫、石……?」
「へへっ。これやるからもう泣くなよ。オレは、笑ってるねーちゃんが好きなんだよっ」
手の平に乗るその小さな石はあの時、二人で見つけたやつだった。
雫石…―――それは、笑顔であれと言う祈り。
涙を捨て、笑顔を取り戻すようにと。
「……ぷ。あは…あはは!も〜遊芽ったら、マセガキなんだから〜!」
「痛ぁっ!」
嬉しくて。
遊芽の笑顔が嬉しくて、遊芽の優しさが嬉しくて……気付いたら、笑いがこみあげてきていた。
思いっきり、抱きしめて。
優しくて、アタタカな……陽のニオイがした。
「ありがとう」
巫女としての私を認めてくれた。
曇りのない、その心で。
「いつか、また来いよな。今度はちゃんと芸見せてくれよっ」
「うん。―――『約束』だね」
指切りをかわす。
まだ、しばらくこの村から悲しみは消えないだろう。
いや。…癒える日が来るのかも分からない。
村人の傷跡はそれほど深く、今も見えない血が流れているのだと思う。

でも、遊芽が言うのなら。
今度は、ちゃんと信じるよ。
遊芽と、この村で笑顔で会える日が来ることを。

―――雫石に、誓って。



〜完〜




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