二. 「護衛!?」 高い声が室内に響き渡る。 目の前の男がその声の大きさに何か言いたげに眉をひそめたが、リーシェは寝耳に水な話に、はしたなくも口をあんぐりと開けたまま呆ける。 「……本、気?」 「はい、もちろんです」 呆然と問いかけたリーシェに、冷たい印象をもつ声が返される。 その水のような声に、少しだけ冷静さを取り戻す。 取り乱すなんて、らしくない。 この大国を統べる女王としての矜持が、許さない。 「………なぜ、護衛なの?」 「陛下の身の安全のためです、ご理解下さい」 安全のため。 それは、わかる。 この国の要であるリーシェを大臣である男が守ろうとすることは、自然なこと。 「…じゃあ……なんで、知らない男を……?」 問う声はどこまでも重く自分の耳に響いた。 反対に男―――セルヴィは、変わらず平静な声を返す。 「まったくの知らない者ではありません。ライナの友人です。色々と調べて総合的に判断いたしました」 涼やかな声が淡々と説明する。いつもは頼もしく思うその冷静さが、この時は酷く癇に障った。 もやもやした感情を抱きながら、リーシェは勢いにまかせて口を開いた。 「いらない……―――――護衛なんて、まっぴらだわっ!!」 (……なんだぁ?) 部屋から憤った少女の声が、聞こえてきたカインは軽く眉根をよせる。 なんだかマズイ時に来たのだろうか? 室内の荒れた雰囲気にそんなことを思う。 扉の隙間から見える人影は二人。 男と女…いや、少女だ。 全体的に色素の薄いカンジの男は淡青色の長い髪を一つに括りゆるやかに後ろへと流している。 少女をまっすぐに見ている瞳は灰色。 どう間違っても、体の線が細いその男は武官ではないだろう。 文官……それもかなり位の高いもの。 宰相…あ、違った。この国は、大臣という呼び名だったか。 男に対峙している少女は、暗茶色の長い髪を高価な髪飾りでとめている。 おそらく、彼女が女王。 橙色の瞳は誇り高く前を向いている。 部屋は華美ではないが、豪華であった。 どれをとっても極上の一級品と分かる調度品。 踏み入れるのが躊躇われるような絨毯。 窓の縁に品良くまとめられている絹のカーテン。 複雑な模様が描かれた白い壁には、かの有名な織物師ヴェイルの刻印の入ったタペストリーがかかっている。 溜め息の出るようなこの部屋は、女王の私室なのだろう。 豪華な部屋だが嫌味っぽく見えないのは、さすがアリヴェンというところか。 (……んで、俺たちは無視かよ) 睨みあったままこちらに気づく様子のない二人。 強引に呼び出されて、扉の外でまちぼうけかと少し機嫌が悪くなる。 他の者を見ると、ライナは扉に手をかけた状態のまま固っていた。 『美女』は関わる気がないように自分から動こうとはしない。 もう一人の少年は、あちゃ〜とぽりぽり頭をかいていた…。 (この隙に帰れねぇかな) ふとそんな事を考えるが、その時、カインは聞き捨てならない言葉を耳にした。 「…話だけは前から議会のほうであったのです。女王を守る者として<刀>だけでは心もとないと。……常にあなた様を守れる者が必要です」 ご決断を――、と今にもなりそうな雰囲気に、カインはためらわずに半開きの扉を勢い良く開いた―――。 「…おい!何、勝手に話進めてんの?俺はまだこの話をうけるなんて一言も言っちゃあいないんだが!?」 「誰だ!?」 開けた扉のすぐそばで低い声が聞こえた。 どうやら死角となっていたらしい。 騎士の衣装を身に着けた男が剣の柄に手をかける。 いきなりの闖入者に、喋っていた二人もはっと警戒する。 だが、カインの後ろから申し訳なさそうに姿を見せるライナに、セルヴィが気づいた。 ライナが誰を迎えに行ったのかはもちろん知っている。 なぜなら、命じたのは他ならぬセルヴィだからだ。 「…大丈夫です。彼は、客人です」 痩身の大臣に頷かれて騎士の男もとりあえず剣から手をはなして姿勢を戻した。 一方。 カインは不機嫌をあらわにしていた。 有無を言う前に連れてこられて、あげくの果てに勝手に決められてはたまらない。 カインの意志はどうでもいいのだろうか。 セルヴィは、そんなカインを冷ややかに一瞥すると、固い声で命じた。 「―――女王の御前です。礼儀も知らぬのですか」 カインは肩をすくめ、目を細める。 目の前には、華奢な肩、彼の胸にも届かない背、……女王と呼ぶにはまだ幼い少女が不審そうにじろじろと眺めてくる。 カインは口の端をもちあげ、嫌味なくらい優雅に一礼する。 「お初にお目にかかります、若き女王陛下。私めはしがない傭兵のカインと申します。本日は誠に≪厳重≫なお誘い有難く存じます」 「貴様っ、無礼であろう!!」 慇懃無礼としか思えないその言葉に、扉近くにいた騎士が声を上げた。 カインが、正式に名乗らなかったのも彼の怒りを煽る。 ……もともと、故郷がない者も多い傭兵には、ホームネームがない者もざらにいるのだが。 腰の剣に手をかけたのを見てカインも身構える。 (くるか?) 騎士の男は血が上りやすいのか、顔を真っ赤にしている。 剣の腕はよさそうに見えるが、果たしてどうだろうか…。 にやりと、口をゆがめる。 先ほどまでの苛立ちが、カインを好戦的にしていた。 「待って!」 その時、軽い衣擦れの音と共に軽やかに人影が二人の間に割り込んだ。 「陛下!」 「おやめなさい、メイゼス。……そちらの御仁も挑発するような言葉は控えて戴きませぬか。血の気が多い者もいるのですから」 少女はそこで、一度息をつく。 次いで、カインに向きなおる。 その静かな瞳にやや気圧された。 この自分が、だ。 にこりと微笑み、優雅に一礼すると少女は口を開いた。 「……ようこそ、カイン殿。突然のこと、さぞや驚かれたことでしょう。わたくしは、リーシェ。リンシェーナ・アリヴェン・フロニカ。アリヴェン国の現国王です」 カインは、ほんの僅か目を見開いた。 まさか名乗られると思っていなかったのだ。 それも他国の大使に対するように正式名で。 (…おいおい。王様ってのは偉そうにしてなきゃいけないんじゃねぇのかい?) だが、それ以上の動揺は押し隠して、カインは注意深くリーシェを観察する。 年のわりに落ち着いている娘だと思った。 王族というのは気位がやたら高いと決まっているものだ。 いや、高くあらねばならない。 うつけ者、と他国にあなどられるワケにはいかないからだ。 だいたい、遠まわしでもこれだけ侮辱されたらもっと憤慨してもいいものである。 リーシェの態度を利口ととるか馬鹿ととるか、カインは正直…悩んだ。 (…少なくても、驕ってはいないらしいな) 生まれてきた時から傅かれ、甘やかされてきた姫君なのだからそんな部分をもっているのは当然ではあるが、リーシェはどうやら違うらしい。 胸中何を考えていたのかは分からないが、カインを見た時、その瞳には傭兵のくせに…という蔑みはなかった。 (まあ、14歳で王になったってんだから、そりゃ苦労も成長もするってか) ―――前国王・王妃が亡くなったのは二年前。 突然の崩御に国中で暗殺が囁かれた。 他国の『忍』と呼ばれる隠密の者の仕業だとも、王宮内の裏切り者の仕業だとも言われた。 ……そして、その三ヵ月後。 喪があけ、リーシェの戴冠と共にある伯爵が密やかに火刑に処された。 詳しくは明かされなかったが何か王に恨みがあったらしい。 カインはそれを酒場の噂話として聞いた時、リーシェに同情した。 ……が、それと護衛になるというのは別だ。 そんなことを考えているうちに、ライナがカインを連れてきた時のことを報告したらしい。 リーシェは思案気に眉をひそめる。 「……とりあえず、だいたいの事情は分かったわ。そうね、セルヴィが言うなら考えてみてもいいけど、でも………」 リーシェは、ちらりとカインを見上げた。 Back/ Novel/ Next |
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