四.




無言で背を向けたカインに全員の視線が集まる。
だが、本人は全く気にせずに扉へと歩を進めた。

(やってられっかってんだ)

無理矢理呼び出され、決めつけられ、あげくの果てにこっちの言うことはことごとく無視だ。
カインの忍耐の限界だった。

「ま、待て!勝手に抜け出すことは許さんぞっ」

扉の近くに立っていた騎士の男―――<刀>の一人であるメイゼスは剣を抜き、勝手に帰ろうとしたカインに威嚇のつもりで斬りつけた。
慌てたライナが声をかけようと一歩足を出す。
だがそれは、カインを気遣ってのことではなかった。

剣を振りかざしながら走ってくるメイゼスにカインは一瞥を投げただけだった。
剣を抜こうともせず、視線も戻して扉へ歩いてゆく。
その馬鹿にされたような態度に怒りをあらわにしたメイゼスは、軽くいなすだけだった剣先に殺気をおびさせてふりあげた。


一閃。


瞬間、メイゼスは何が起こったのか分からなかった。

ただ、気づいたら激しい衝撃をともなって床に叩きつけられていた。
驚きと痛みのためにとっさに起き上がれないメイゼスを見て、喧嘩っぱやい少年が短剣の柄に手をかける。

「メイゼスのおっちゃん!あんた、よくも……」

だが、隣からすっと手で制される。

「やめなさい、ケイリャ。あなたが勝てる相手じゃないわ」

「でも、シア姐……」

反論しようと振り向いたケイリャはそこで言葉を飲み込んだ。
シアと呼ばれた美女は感心したかのように真剣な表情でカインを見ていた。
周りを見回すと、セルヴィもリーシェも驚きと畏怖のまじった瞳をしていた。

ケイリャは、悔しく歯噛みしながらも柄から手を離す。
身軽さはともかく剣の技量では到底メイゼスに及ばないケイリャである。
そのメイゼスを完膚無きまでに倒したカインに自分が勝てる筈もなかった。

―――まさに早業だった。

メイゼスが仕掛けた瞬間、カインがほんの少し身をひねり攻撃をかわすと同時に襟刳りを掴み、地面へと投げ飛ばしたのだ。
おそらく常人には全く何も分からなかっただろう。
この部屋で正確に今の出来事を説明できるのはライナくらいのものだ。

カインはフンと軽く鼻をならすと、何事もなかったかのように足を進める。
扉に手がかかった時、リーシェが声をあげた。

「待って!」

とりあえず動きを止める。
ゆっくりと振り返り、目を細めた。

「つきあってられないぜ。俺が一言でもやると言ったか?それともこの国では個人の意見は無視か?―――何か言いたいことがあるか、女王?」

何の感情も伺えないような声が冷たく部屋に響く。
リーシェはここが正念場だと悟った。

本当は、自分の意見だって似たようなものだ。
何が悲しくて得体の知れないような男に命を預けなければならないのか、というのが本音。
けれど、もう決めたのだ。
女王である自分の命は自分の意志よりも重きをおいていて、自分は誰よりも必死で自分の命を守らなければならない。
そのためになら、自分のワガママを棄てることなど容易いのだ。

リーシェは女王であった。
そして、カインが必要なのも事実。

「何故……それほどまで王族を嫌うの?」

対してカインの返答はにべもないものだった。

「あんたには関係ない」

「…………」

くじけてしまいそうな心を叱咤する。

(そう……。そんなことは今、関係ない。彼は私の心を知りたがっている)

自分の信念を曲げてまで契約を結ぶに値する人物なのかどうか。

リーシェは息を吸い、腹に力を溜めた。
力強い言葉を、紡ぎだす。

「私は、王なの」

一語一語丁寧に、祈りをこめて。

「民を守る義務と、責任がある。そして私には有能な臣下はいても国を任せられる跡継ぎが、いない。私が死んだら、国が傾くわ。自分の命を守るのも王の責任。私は――――――まだ死ねない」

皆が固唾を呑んで見守っている。
カインの表情は変わらない。

リーシェは、頭を下げた。

「私を、守ってほしい」

「………」

じっと見つめたままカインは動かない。
冷たい深紫色の瞳が何かを探るようにリーシェをよく見る。
リーシェは緊張のためか、額にじっとりと汗をかいていた。
だが頭はあげない。

(しゃーねーなぁ)

心の中で、嘆息をつく。
まったく、何でこんなことになったんだか。

「……ギリギリってとこだな」

あきれを半分含んだような声で告げられた言葉に目を見張る。
リーシェは思わず顔をあげた。

「ギリギリ合格ってこと。……いいぜ、契約されてやる」

そこでカインはニヤリと口の端を歪めて笑みをつくる。
腰から、鞘ごと剣をひきぬいた。

「―――おまえがおまえの心を忘れぬ限り、剣と俺の心に誓っておまえを守ろう。カイン・バルベスは汝に剣を捧げる」

柄をリーシェの方へと向ける。
その瞳は真剣で、リーシェは息をつめた。

それは金に誓う傭兵の契約でも国に使える騎士の儀式でもなく、個人と運命を共にする風剣士の誓い。

風の女神エンヤの傍らに常にあり、守り続けているものこそが風剣士。
強き力と知恵をもち、絶対の忠誠の象徴として崇められている存在だ。

なぜ?という言葉が出掛かったが、リーシェは口元をきゅっと結んで顔をあげた。
一つ頷くとカインから剣を受け取り、鞘から抜き取る。
刃こぼれ一つない刀身をカインの肩にあてた。

「女神エンヤの名のもと、リンシェーナ・アリヴェンは剣と私の心に誓って剣を受け取ろう。主(ぬし)にすべての信頼を捧げる」

そして、剣を鞘に戻しカインに返す。

誓いは完了した。

リーシェがぷっと吹き出した。
カインもにやりと笑う。
その様子を見て一時はどうなるかと思った一同もほっと胸を撫で下ろした。

だがカインの次の一言でメイゼスの心臓は凍りついた。

「言っておくが、俺は主とも対等につきあうからな。不敬罪とか言うなよ、特にそこのおっさん」

「おっ、おっ、おっ、おっさんじゃとーーー!?騎士団長にして<刀>の一人であるこのメイゼスに向かってそのような!……ええい、止めるなケイリャ。叩き斬ってやるわ!」

先ほどは止められる立場だったのが、何故か止める立場となっているケイリャが必死に抑えながら叫ぶ。

「落ち着けって、メイゼスのおっちゃん!さっきこてんぱにやられたの誰だよっ」

「!?うぬぅ…」

悔しそうに唸る。
思わず、部屋に笑いがあふれた。


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