六.




深夜。
銀の月が昇り、皓き星々が大地を静かに照らす時刻。

誰もが床につく時間、アリヴェン国首都カーチェの下町と呼ばれる界隈では、相も変わらず色とりどりの人工灯が煌めき、喧騒に包まれていた。
男も女も騒ぎあい、朝まで眠ることのない。

そして、……少し離れた場内でも眠れずに過ごす男が一人。
『護衛』として城の一角に居座ることになったカインである。

(………豪勢な部屋だよなぁ)

部屋の中をぼんやりと見ながら、思う。
金持ち、などと言う単語では表せない一流の素材、細工たち。
水差し一つとっても、平民が二週間は食べて暮らしていける程の値打ちをもっている。

昨日までの安宿の部屋とは比べられない待遇だ。
もっとも、下町の連れ込み宿と王の住む城を一緒にするほうがおかしいが。

(どうして、こんなことになったんだか……)

溜め息とともに、胸におちていく問い。
自分で決めたこととはいえ、やはり呆れたように苦虫を噛み潰す自分がいる。

後悔は、ない。
というより、しないことにしている。
反省する糧になろうとも後になって、もうどうにもならないこコトをうだうだ言うのは趣味じゃないのだ。
だから、そういう意味での後悔はない。
リーシェに誓ったのも、この国に決めたのもすべては自分の意思だ。

「おっ…と、けっこう風あるな」

窓を開けて、テラスへと出てみる。

カインに与えられた部屋は城のかなり高い位置にある部屋で、王の寝室に近い。
いつでも駆けつけられるように、という配慮だ。
風が着なれぬ長衣をはためかせてゆく。
その視線の先には、沢山の淡い光。

(………へぇ、中からでも綺麗なんだな)

関心したように、口笛を一つ吹く。
城内から拝むこととなった、アリヴェンの夜景は思ったよりも綺麗だった。
『金の』と称される城の明かりも強すぎず、城下町の夜景を曇らせることもない。

(予感が当たっちまったな)

昼間、城を見上げた時にかすかに感じた予感。
しかし、本当に当たるとは考えていなかったのだが。

(それにしても、面白い女王サマだよなぁ。俺みたいな得体の知れねぇのを身近におくなんて)

いくらライナの親友だからと言ってもやはり会ったばかりの人間を近くに置くなんて、よほどの勇気がなければできないことだ。

(まぁそれは、今はいいか)

自分はもう誓いを完了させたのだから。
問題は、期限だった。

あの時は、特に何も指定されなかったこともあって、カインはいつまで契約を続けるかまだ考えていなかった。
もちろん『守る』と誓った以上、今回の一件――例の暗殺者騒動を片付ける――までというのは当たり前だ。
ただ……その後、どうするかはまだ未定だった。

一生、此処に居るつもりはない。

けれど……――――

その時、カタンと小さな音がした。

「誰だっ!」

殺気はなかった。
だが、それが油断していい理由にはならない。
カインは辺りを注意深く見回した。

「………私よ」

「!?」

くぐもった声が聞こえてきたと思ったら、壁の一部が軽い音をたてて扉のようにぱっかりと口を開けた。
カインは中から出てきた人物を見て、あんぐりと口を開けた。

普段使わないような通路を通ってきたのか、汚れたスカートをパンパンと払って、にっこりと笑いかけてきたのは……女王リーシェであった。

「こんばんわ。ああ、起きていたのね。ちょうど良かった」

「………おい、女王」

「なぁに、護衛」

「―――あのなぁっ………!」

どこか茶化している口調にカインは、声を荒げようとする。
が、リーシェは反対に腰に手を当ててかわいらしく怒る。

「私の名はリーシェ!別にどう呼ばれても気にしないんだけど、なんかあなた――カインにそう呼ばれると馬鹿にされているみたいで嫌なのっ」

「………」

被害妄想だ!と言うのは簡単だったが、当たってなくもなかったので……仕方なく頷く。

「了解。じゃあ、リーシェ。さっそくだが、何しに来た?こんな時間に、それも男の部屋に、だ」

「……心配しなくても夜這いじゃないわよ?」

当たり前だ!と叫びそうになるのを口の中で堪えた。
どうも、この少女と話していると調子が狂う。
自分が道化になった気分だ。

「冗談よ。……あッ怒らないでよ!分かったわよっ、ちゃんと大丈夫だから!」

「……何が、『大丈夫』なんだ?」

「ふふっ、ちゃんと連れがいるもの」

思わず周囲を見回す。
リーシェの言葉が合図だったらしく、ザッと葉擦れの音がした瞬間にテラスには三人目の人影があった。

カインは、大いに驚いていたが押し隠し人影を観察した。

女……少女であった。
年は十三・四であろうか。昼間会ったケイリャと同じくらいに見える。
隙の無い様子で片膝をついているが、その幼さは隠しようがない。
ただ、カインにすら気配を全く掴ませなかったことから、相当な手練れであるだろうことが分かる。

「セツよ。紹介しようと思って。彼女は<裏刀>の一人。<裏刀>とは、大臣と刀以外に……つまり、他の臣下には一切知らせていないわ。でも、カインには教えなくてはと思ってね」

セツと紹介された少女は一礼する。
元々無口なのか、職業柄なのか、一切自分からは喋らなかった。

「なんでだ?」

何と言っていいか分からずに疑問だけが口をついて出たが、リーシェには伝わったようだ。
少し首をかしげて、ニコリと笑った。

「私、信頼関係って大切だと思うの。ましてや私はあなたに命を預けてる。あなたも…ある意味、私に命を預けてるわ。―――いざと言う時、信じられなかったらダメなのよ」

「…………」

「別に全部話して欲しいワケじゃないし話したいワケでもないわ。ただ、私はあなた―――カインと言う人間を知りたいの。あなたも私を知って。まずは、お互い理解しあわなくては、ね」

小首をかしげる仕草をして返事を待つ。
返ってきたのは、笑い声だった。

「―――たいしたタマだよ、あんた。……いいぜ。そういう考えは嫌いじゃねぇ」

カインの答えにリーシェは、パアッと笑顔になる。

「良かった!そう言ってくれて。……あ、話を戻すわね。セツなんだけど、今日は一緒についてきてもらったんだけれど、普段はセルヴィの所で働いているの。だから彼女に用事がある時はセルヴィを通してね」

「あぁ。それは構わないが……。一つ聞いていいか?」

「?なに?」

カインは先ほどから気になっていた事を切り出した。
ちらりと、少女を見る。
その細い腕にあるもの。

「セツの腕の印…俺の記憶が確かならば『緋翼』の入れ墨は―――」

「そう。セツは『忍』の一族よ。代々王家に仕えてくれているわ」

「マジかよ……こんなガキまで働いてるのか?」

カインの言葉にセツはちらりと瞳をうつす。
ガラス玉のような無機質な瞳の色を変えず、否定の言葉を紡ぐ。

「私はすでに儀を終えた者。心配は無用です」

カインの言葉に怒りを覚えた…という風でもなく、ただ事実を淡々を述べただけのようである。
セツの言うところの儀とは、成人の儀のことである。
それを終えた者を一人前と認め、忍の一人として仕事につかせる。

忍――隠密の諜報機関。

大陸各地に隠れ里があるのは有名だが、実際その場所を知る者はいない。
個々の里ごとに独立し、厳しい掟のもと決して他の里と交わることのない一族。
しかし、その仕事は一様に同じ。
裏の仕事を一身に引き受ける他、色々とこと細かに仕事をこなす。
傭兵が表の仕事人ならば、忍は裏の仕事人と言えよう。

(まさか、こんなとこで会うことになるとはな)

カインは驚きに口笛を吹きたい心境だったが、驚いているのは彼一人ではなかった。

「――そう言うけど驚きたいのはこっちだわ。忍のことを知っている人は多くても、『緋翼の印』を知っている人なんて初めて見たわ。どこで聞いたの?」

リーシェがまくしたてるのに対してセツは何も言わなかったが、やはり瞳が何より雄弁に驚きを表していた。

そんな二人の様子を横目に、カインはニヤリと笑って片目をつぶる。

「企業秘密……と言いたいところだが、約束があるしな。昔、聞いたことがあるだけだ。――里の生まれにして、忍であることを捨てた人から」

「そんな…!」

―――バカな!…と口を開きかけて、セツはハッと言葉を飲み込む。
自らの行いを恥じ入るかのように頬を少し染め、謝罪をする。

「……出すぎた真似を致しました。お許し下さい」

「いいわよ。セツが大声を出すくらいだもの。よほどの事なんでしょう?」

「…はい」

セツは目を伏せながらも激しく動揺していた。
里の生まれの者は、死ぬまで里に縛られるが掟。
抜け出すなんて……―――

(ありえない……!)

「でも、俺はウソは言ってないぜ」

カインの瞳は曇り一つない。
セツにはカインが嘘をついているようには見えなかった。
だからこそ、混乱する。

「………」

「そっ、その人って、知り合い?」

完全に沈黙してしまったセツを見かねてリーシェが口を開く。

だが、カインは答えなかった。
皮肉気に口元を緩め、微笑するだけ。

(いつか、話してくれるかな)

まだ、話すほどの信頼は得ていないという事なのだろう。

ふぅ、と一息つくと立ち上がる。
今日はこんなところだろうか。
リーシェはカインに向かってにっこり笑いかけると、おもむろに出てきた隠し扉へと手を伸ばした。

「じゃあね。色々話せて楽しかったわ。また、明日ね」

「は?…えっ、おい―――」

静止の声も聞かず、小柄な体は壁のむこうに消えていった。
たぶん王しか知らない秘密の通路なのだろう。

いつの間にかセツの姿もない。
現れた時同様、足音一つたてない完璧さに舌をまく。

「……くっ、くくっ……ははっ」

思わずノドの奥で笑った。

―――なかなか面白いじゃないか。
王も王なら、臣下も臣下だ。
カインは少し高揚している自分に気がついていた。

(此処でなら…………――――――)






カインは満足気に、テラスにもたれかかり、天を仰いだ……。






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