七.




自分以外誰もいないテラスで、カインは一人夜空を見上げる。
先ほどまで、リーシェとセツがいた余韻はすでにどこにもない。
突然の訪問、そして唐突に去っていったリーシェに、カインは一人取り残されたようにまだそこにいた。

(…悪くない)

気分が、高揚していた。
何かが起こる予感。何かを掴む予感。
未だ知らない場所へ冒険に行くような。
それは、決して嫌な気分ではなかった。

長い間、他人と深い関わりを持つのを避けてきたが、不思議とこの国と女王に興味がわいた。

ライナは確かに親友だ。
傭兵の仕事の時知り合って気が合い、以来ずっとつきあってきた仲だ。
一見どこぞかの令息のように見える彼が、悲惨な過去を持ち沢山の辛酸を味わってきたとは誰も思わないだろう。
そんな過去に囚われず、驚くほど素直で純粋に育ったライナ。
どんなに人間の闇に触れようと決して染まらなかった真っ直ぐな心をカインは羨ましく思い、尊敬していた。

けれど、そんなライナにもカインはどこか一線を引いて接していた。

嫌いなワケではない。
ただ、―――そう。ただ少し、自分は………人間が信用できないのだ。
王族が嫌いなのとはまた別の理由で。

人間の闇を見て育ったカインは、その闇を恐れていた。
誰もが持っている闇。
なるべく見ないように、なるべく見せないように。
関係のない他人のなら、もちろん平気だ。
だが、親しくなればなるほど深い関わりを避けようと逃げて、見ないフリをする。

それは―――カインの心の、弱さ。

自身の闇を晒す勇気を持てない臆病者。

(けれど、此処でなら)

変われるかもしれない。
この城を見た時、あの女王を見た時、彼らの…どこかアタタカイ空気に触れた時、そんな予感がした。
予感はまだ予感でしかないけれど。






(……―――)

カインは詰めていた息を吐き出すと腕を組み、挑むように前を向く。
そして虚空に向かって口を開いた。

「…いるんだろ?出て来いよ、セルヴィ」

数瞬の沈黙の後、

「流石ですね。セツの気配は分からなかったというのに」

静かな声と共に物陰から夜着を纏ったセルヴィが姿を見せた。
背はカインとそう変わらないのにずいぶんと細身で、痩身という単語がよく当てはまる体躯だった。

セルヴィの皮肉にカインは、溜め息をつく。

「あのなぁ……。セツと自分とを一緒にするんじゃねぇよ。だいたい、今日会った中で、あんたの気配が一番分かりやすいぜ」

「………そうですか。参考にしておきましょう。では、最初から気づいていたのですか?」

どことなく残念そうな様子に苦笑する。

「まぁな。セツが姿現した後くらいからだろ。女王…リーシェは気づかなかったみたいだけどな」

セツは言うまでもなく知ってたのだろう。
リーシェの話し振りからすると、セルヴィの直属らしいから口止めでもしてあったのかもしれない。

「んで、何の用?」

聞く前から答えは分かっていたが、あえて軽口のように尋ねてみせる。
案の定、セルヴィの返答は予想通りのものだった。

「私は、ライナからあなたを推薦されて以来ずっとあなたを調べてきました」

ひゅう、と口笛を吹く。
すっげ、愛されてるねぇ…と言えばセルヴィのキツイ眼差しにあった。

「茶化さないで下さいっ。大臣として、当然の勤めです。……まぁ、そういうワケであなたの情報を集めました。素行、評判、仕事ぶり―――。
けれど、あなた自身の経歴については何一つ出てきませんでした」

傭兵となる以前。
出身地や幼少期、それに血縁関係も一切がでてこなかった。
探しても探しても、まるで霧に覆われたようにそこへたどりつく前に路を見失ってしまうのだ。

「けれども、その経歴が謎な部分も含めて私は護衛にまかせられると判断いたしました」

「へぇ…そりゃ、ずいぶん高く買って下さったようで」

「………褒め言葉と受け取っておきましょう」

にこりとも笑みを浮かべず、冷たい響きさえ伴って淀みなく喋り続ける。
いつの間にか、月が真上にきていた。

「けれども。あの誓いの儀の際、あなたは言いました。『カイン・バルベス』と。……これは真名と考えて宜しいでしょうか?」

「……ああ」

気分が重くなる。
あの時はつい言ってしまったが、思えば博識な大臣がその名を知らない訳がないのだ。
セルヴィは一つ頷くと考えるように眼鏡の留め金を触る。

「そう、ですか…。私の記憶が真ならば『バルベス』とは北の小国、『氷晶バルベス』ではありませんか?」

「………」

「わが国と交流もない。北の情報は流れて来にくい上、あまりに小国で私も地図でしか知らなかったのですが………確か15年前に滅びたとおぼろに記憶しております」

淡々とした声を聞いているうちに胃がむかむかしてくる。
手はきつく握り締められ、爪が掌にくいこんだ。

じっとりと冷たいものが体を包み込むようだった。

バルベス―――懐かしき故郷の名に眩暈を覚えた。
遥か昔に置いてきたその名は、今も自分捕らえて離さない。

カインは、動揺していた。

「だから、何だ」

押し殺した声は殺気だっている。余裕がないのは自分でも分かっていた。
だが、まだその名を平静で聞き流せるほどにはなれていない。
反射的に拒絶してしまうのだ。

その触れれば斬れそうな気配にセルヴィは一瞬ぎょっとなったが、すぐに口を開く。

「誤解をなさらないで下さい。あなたの過去を詮索するつもりはありません。大事なのは『今の』あなたですから。ただ……一つ聞きたいのです。陛下に―――リーシェ様に危険はありませんか?」

「?」

カインは意味が分からず首を捻る。
セルヴィは瞳に真剣な瞳を宿し、言葉を変えて再度問う。

「あなたのその過去が原因でリーシェ様に危険が及ぶことは無いのか、と聞いているのです。今のあなたの……例えば、仕事絡みで買った恨みなどはこちらでおおよそ把握しています。何が起こっても対処できるくらいにはなっています。
しかし……把握していないことに関しては打つ手がありません。そう言う意味で聞きました。危険はないのか、と」

カインはようやく意味が分かり、そして目を見張る。
目を丸くしてまじまじと見つめてくる視線に、セルヴィは訝しげに目を細めた。

「……何ですか」

「いや。………くっ、くっくっくっ…ははっ!」

「だから何ですか!」

「くっ…くくっ。い、いや…悪いな。けどよ…っ」

カインは突然の笑いの発作に、腹をかかえて耐えている。
けれども、やがて震えが笑い声と共に大きくなっていった。
深夜なので大爆笑はさすがに避けたが、辺りが静まり返っている中ではそれほど効果はなく、大気を震わすように忍び笑いが漏れていく。

何で笑われたのか分からず、セルヴィは憮然とした面持ちで眉をしかめていた。
真剣な話をしていた筈なのにどうして自分が笑われているのか。
ひとしきり笑った後、カインはまだ目を笑わせたままで口を開いた。

「あんたさァ、顔に似合わずすっげぇ心配性なワケだな」

「………!」

ようやくカインの笑いが何指していたのか分かり、セルヴィの白い面にさっと朱がはしる。

「こ、これは…大臣として…」

「はいはい。あんたも『姫様命』派か。いや、むしろ溺愛に近いんじゃねぇの?」

「………」

あたっている。
あたっているが……。

遠慮のない物言いに、セルヴィは憮然としたまま黙り込んでしまった。
睨むような視線をものともせず、カインは口の端に笑みをとどめたまま飄々とした様子で、風に揺れるカーテンを見つめている。

やがて完全に笑いをおさめると、部屋へと通じるガラス窓に手をかけた。

体が半分入った状態で止まる。
背中ごしに、口を開いた。

「……国は滅びても、人は滅びねぇ。絶対という保障はできねえが、女王に火の粉が降りかかるような真似はさせない。俺が、させない。
……これでは不満か?」

「……いいえ」

首を、振るしかなかった。
それほどに、強い、瞳。

約束は守られると、何故か確信できた。

「じゃあな」

クスリと笑うとカインは窓の向こうへと姿を消す。
複雑そうな、けれどどこか安心した表情で、セルヴィはそれを見送った。





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