八. カインを見送り、テラスにはセルヴィ一人が残された。 「………」 無言で男の消えた窓に目を向ける。 …が、すぐに反対を向き、壁の一部に手を置いた。 小さな突起を軽く押すと壁に人一人通れるくらいの穴ができる。 城の隠し通路だ。 人目がないことを確認してから、そっとその中へと足を踏み入れる。 細く暗い通路を少し歩くと、やがて自分の部屋へとたどり着いた。 大臣の執務室ではなく、私室として使用している寝室だ。 セルヴィの実家は城下街にあるが、そこへ帰ることはめったにない。 年老いた母親と沢山の使用人達が暮らす大屋敷は、父親が死んで以来、セルヴィには近寄りがたい場所だった。 もちろん、リーシェの側を離れたくない、というのもあるが。 月の明かりしかない薄暗い部屋を危なげなく歩いていく。 椅子に座り、溜め息をついた。 「ふう……セツ、いますか」 「ここに」 いつの間にか、窓の近くに少女の姿があった。 まるで空気のように自然とそこに佇む。 闇の中、二人向き合った。 「彼は…」 沈黙の末、ふいにセツが口を開く。 「おや、珍しいですね。おまえから話しかけてくるなど」 「えっ……、あ、あの…」 狼狽える気配がセルヴィの苦笑を誘う。 頬をわずかに染める様子は、ずいぶん忍びらしくないものだったがそれは成長だと心の中で思った。 困ったまま固まってしまったセツに続きを促す。 「はは…いいですよ。何ですか?」 主――正確には違うが――に自分から話しかけてしまったことを恥じ入るようにうつむくが、それでも興味心がうずくのか意を決して顔をあげた。 「……では。彼は、何者なのですか?」 彼―――カイン。 セツは不思議でならなかった。 ありえる筈のない知識。何故… (『緋翼の印』について知っていた?) それが謎だった。 本来なら絶対外に漏れることのない極秘事項。 それが漏れた―――? セルヴィは思案するように目を臥せるが、ゆっくりと首を横にふる。 「今は……考える時期ではありません。我々には彼の協力が必要なのです。 言いたいことが分かりますか、セツ?」 「機嫌を損ねてはならない、と」 「そうです。今はただ大人しく見ないフリを決め込むべきです。そう……今は」 「………」 納得したのか、していないのか表情からは判断できなかったが、セツは沈黙した。 それを肯定ととって、セルヴィは話題を変える。 「それより―――今日は如何でしたか?」 急に事務口調になったセルヴィに対し、セツは居住まいを正す。 「はい。謁見室の王座に細工が施されておりましたので、除去しました。また、本日は二人の毒見が死に、城内に不安の影が少しずつ出てきています」 本日起こったことを報告するのは、一日の最後の務めだ。 すらすらと淀みなく、事実だけを述べていく。 「そうですか……。他には?」 「あと、政官の一部で怪しい動きが」 「怪しい動き?」 「はい。やや反王権的な集まりをしていた者が数名。 ですが、その者達が今回の一連の事件の犯人ではありません」 セルヴィはその根拠について聞かなかった。 セツは―――忍びは憶測で物を言ったりしない。 つまり、根拠があるという事なのだろう。 「……で、その者たちの名は?」 セツは数名の名を告げる。 セルヴィはその名に多少の失望を感じた。 (いずれも、口ばかりの小者。自ら女王暗殺など絶対にできないだろう。 おそらく……、誰かの口車に上手く乗せられたと見るべきだな) とりあえずもう少し様子を見るということで、セツは頷いた。 昼も夜も働いてばかりなのだろうが、少女の面には疲労の影もない。 幼いが、一人前なだけあった。 この城に仕えている忍はセツ一人だ。 国の大小関係なく、一国に仕える忍は一人と決まっている。 これは昔よりの約定とも言える理だ。 国は拒否する権利を持つが、忍はその権利を持たない。 もちろん、それは国の契約であって、個人契約ならば何人でも雇える。 ただし……あくまでも双方が合意しなくてはならない。 忍は、主人を選ぶ。ましてや、滅多に人前に姿を現さないので余計に契約は困難となる。 アリヴェンにも代々、忍が仕えていて死ぬまでその契約は続行される。 その歴史は古く、セツで何代目になるかさすがに分からないほどだ。 だが、カインのおかげで少し負担が減りそうだ。 どうしてもセツに負担を多くしいている気がしていたセルヴィは、少しそのことに安堵していた。 「では」 「ええ、頼みます」 風が、わずかに揺れた気がした。 少女の姿は、もうどこにもなかった――― |
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