九.




窓から差し込む陽が白から黄、やがて橙へと姿を変えていくのを、カインは見るともなしに見ていた。
部屋の温度もそれに伴い、僅かに低くなった気がする。
もっとも、熱地獄の西のリンカ・南のナークルや極寒の北のフェリオスと違い、年中穏やかな気候のここアリヴェンでは気温の変化が少ない。
黄昏の陽は、それなりに暖かかった。

「ん……」

掠れたうめき声が、すぐ側の寝台から聞こえた。
傾いた夕陽が眠りを妨げてしまったのかと思ったが、寝台横に垂れ下がっている天幕でそれは防がれている。
ただの、寝言のようだ。

(深く、眠ってやがんな)

眠入ってから、一度も目を覚ますことのない様子にその眠りの深さが伺える。
城で一番豪奢な寝台ですやすやと眠りこんでいるのは、女王――リーシェであった。
あどけない寝顔は、彼女がまだ10代だということを知らしめてくれる。
王という重圧が肩から降りるのは、こうして寝入っている時だけだろう。
疲労の見える目元に、カインは昼間のことをふと思いだした。


カインが来てから半年。
側にいることに違和感を感じなくなった頃の、いつもと変わらぬ昼食の後。
午後の政務に向かおうと席をたったリーシェは、ふわりとその場に崩れ落ちたのだ。
側にいたカインと報告にきたメイゼスは慌てて毒の混入を考えたが、毒見も無事だし、呼ばれたシアもその可能性は否定した。
そして診断の結果は……『過労』。
リーシェの午後は急遽、休養時間となったのだ。


「チッ」

奇妙な苛立ちに、カインは小さく舌打ちした。
この女王を見ていると、驚きと苛立ちが胸のうちを掠めてゆく。
自分が知るものと、あまりに違う動きをする少女。
倒れるまで働く王なぞ、見たこともない。
国の要である王は倒れてはならない、のではなかったのか。

(目先のことに捕らわれてる。子供だな。………いや、ガキなのは自分か)

リーシェは今が大事だということが分かっている。
だからこそ、がむしゃらに働くのだ。
もっとも、通常の時でもこのマジメな姫は豪勢な椅子にふんぞり返る、なんてことはしないだろうが。

(………)

……それに比べて、自分はどうだろうか。
未だ遠い昔に縛られている。
王族、という名称に無意識に嫌悪感がわいてくる。
幼き頃に培われた憎悪の念は、10数年たった今でも薄まろうとしなかった。
しかし、ここに来てから少しずつ癒されてきている気がする…。

この、たった17年しか生きていない少女に出会った日から。

「……カイン?」

細い声が、カインの思考を中断した。
この状況が理解できていないのだろう。訝しげに眉がひそめられていた。
常と変わらぬ様子に、カインは知らず安堵の笑みをうかべる。

「おぉ、起きたか。どうだ、気分は?」

まだ混乱から醒めきらず、リーシェはとんちんかんな答えを返してしまった。

「あ、おはよう…」

「おいおい…。まだ寝ぼけてんのか?過労で、倒れたの覚えてるか?」

「倒れ…?……ああ、そうだった。過労かぁ。あーやっちゃった!休みはとるようにしてたのにっ」

寝台の上で、悔しそうに唸る。
嫌味な官僚たちが、これだから女の王は…などと噂しているだろう。
若いというだけで頼りなく感じるものだが、それに加えて女というのも仕事柄、様々なところで随分と不利に働いた。
西のリンカも女王だというが、あそこは代々が女王制度なのだ。
アリヴェンとはワケが違う。
久しく女王になるものがいなかったことと、開戦期に戴冠したということで国内からも随分と不安な声が出た。
それは今ではだいぶなくなったけれど、それでも心のどこかには不安の種として残っているのだ。
だからこそ、気をぬかないで仕事をしなければならなかったのに…。

「――あれ、もしかして今日の仕事…」

「ああ。セルヴィが今日は休むようにって、全部キャンセルしたぜ」

「そう…」

リーシェの声が次第に沈んでいった。
苦い思いが胸を締め付ける。

「夢を、見てたの…」

寝台に座りなおしてからぽつりと呟く声に、カインは視線をずらして耳をかたむける。

「私は、まだ王になっていなくて。城は混乱状態の中、……私は誓った」

あの、雨の日に。
守る、と。

(何て…不甲斐ないんだろう)

王務は激務であることはとうの昔に承知している。
けれど、政治面ではセルヴィに、軍事面ではメイゼスに頼ってばかりで、リーシェ自身は外交しかしていないようなものなのに―――

「力が、欲しい…!どんな事にも揺るがない強靭な体と心が欲しい!―――私が、男だったのなら……」

「違うぜ」

しん…と、冷たい声が空間に投げ出される。

リーシェが泣きそうな顔を向けると、そこには厳しい表情をしたカインがいた。
口元に笑みはない。
沈黙の中、見詰め合う。

だが、再び口を開いたカインからの言葉は……やさしいものだった。

「逃げるな。今ある自分からは誰も逃げられねぇ。認め、受け入れろ。―――おまえのすべき事は、何だ?」

「私の……すべきこと?」

人間として、女として、……王として。

現在(いま)できること、
現在(いま)しなくてはいけないこと。

国を、守りたい。
民を、大切な人たちを…!
それは、あの時強く願ったことと何一つ変わっていない。

ずっと不自由だと思っていた。
女であること、体が小さいこと、力が劣ること。

(――――それは、言い訳だわ)

目が覚めた。
女であることが劣ることではない。腕力で強さが決まるわけでは……ないのだ。
あんな夢を見たせいで弱気になっていたからというのもあるが、今回の事件のせいで思うように仕事ができなくなったストレスもあったのだろう。

リーシェはカインを見て、……息を呑んだ。

(ああ、そうか)

彼は微笑っていた。
力強く。

……忘れていた。
自分にはいつでも助けてくれる、仲間がいるのに。
国は王のものではない。
民のものだ。
一人で支えなくても、手をのばせばよいのだ。
其処に、手はあるから。

すべきでないことは、無理しないこと。
すべきことは、……今、自分の力でできることだ。

「分かったみてぇだな。ったく、失望させんなよ?俺を雇えた王族は、あんたが初めてなんだぜ」

珍しく優しいかと思えば、もういつものからかい口調に戻っている。
弱みを見せてすっきりしたリーシェは、照れ笑いするように小さく笑った。

「ふーんだっ。久しぶりに昔の夢見ちゃったからちょっと弱気になってただけよ」

「昔?ああ、さっき言ってた王になる前ってやつか」

「そう。父様と母様が殺されて………慌しく王位についたついた時のね」

「は?…おい、ちょっと待て。前王は『病死』したんじゃなかったのか?」

カインはぎょっと目を剥いた。
リーシェは口元だけに、ほんのり複雑そうな微笑を浮かべる。

「発表ではね。殺されたなど言ったら、混乱を招くわ。他国の侵入も簡単になるし。…もっとも、噂というものは時に風よりも早く広がるものだと知ったけれど。カインも聞いたことがあるんじゃない?」

「……ああ」

聞いた噂の中にそんなのがあった。
二人は、暗殺されたのだと。
幸いだったのは、それがあくまで噂でとどまったことか。

「二人は、殺されたの。剣で胸を一突きにされて…。胸も、手も血にまみれて、そして―――」
「リーシェ!…お前、まさか、その現場を見たのか……?」

どうして、こんな話をしているのだろうと思いながら、リーシェは曖昧に頷いた。

「見たわ。私が最初に発見したのだもの。今でも、目に焼きついて離れない………あの、紅を」


鮮やかな、

鮮やかな、くれない―――――


「………」

「処刑された男のことを知ってる?」

「ああ。どこかの伯爵とかいう…。そいつが?」

「ええ。部屋には、倒れた二人ともう一人。城で何度か顔を見たことのある伯爵が剣をもっていたわ。彼は何故か私に剣を向けることなく、そのままやってきた衛兵に捕らえられたわ。……でも、結局処刑されるまで何も動機について喋らなかったのだけどね」

カインは考えるように、視線をおとす。
リーシェはにこりと笑んで、腰をあげた。

「不思議よね。あなたにこんな話をするなんて。……ただなんとなく、カインには話してもいいかなって思ったの」

穏やかな空間が支配する。
いつの間にか、陽は完全におちていた。
侍女が明かりをつけて、戻っていった。

(強いな、この女は…)

弱くない、という意味ではない。
弱さを、受け入れる強さを持っているのだ。今は、まだ荒削りの強さだけれども。
カインは少しの沈黙の後、口を開いた。

「忘れられるわけがない」

「?」

唐突な言葉に、意味が分からずリーシェは首を傾げた。

「俺の両親も殺された。まぁ、時期は別々だったが、どちらも俺の目の前で。……忘れられる訳がない。死に顔は、未だ焼きついて離れねぇな」

「カイ…ン」

カインは軽い口調で言ったが、リーシェにはとても重く感じられた。
そこにこめられた、深い悲しみが……手にとるように、分かった。

体の傷はいずれ治る。
けれど…心の傷は、生涯忘れられない記憶として残る。
忘れようとしても。
それは、心の奥深くに色づいてしまった染みのように消えることはない。

同じ傷をもった二人が、見つめあった。

「だから…なのね」

「?」

「初めて会った時には分からなかった。でも、段々一緒に居るようになってから、あなたが……時々とても悲しい瞳をすると気づいたの。私と、同じ。『紅い痛み』を知る瞳。だから、私はカインに両親のことを話したのかもしれない…」

「………」

傷を舐めあう気はない。ない…が、痛みを分かち合える人がいるというのは、悪くない。

「ああ」

二人は同時に笑む。
なんだか、心の一部が温かくなった気がした。

笑いがこみあげてくるような、くすぐったさを感じながら、リーシェは明かりを調節しようと燭台に手をのばす。

――――刹那。

「リーシェッ!」



眩い光を放ち、衝撃が身を包んだ。






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