十一. 北の領地と東の領地の境目、それよりも少し東に入った所に一つの屋敷が建っている。 アリヴェンの有数貴族、ギース公爵家の館の一つだ。 北を見張るように建てられたその館はまさにその通りの役割を担っており、関所と言うものがない代わりに常に館の尖塔には見張りがいて、何かあった時はアリヴェン城へと早馬を飛ばすことになっている。 辺りは見渡す限り平地が続いており、どんな不審な人影も見逃すことはない。 晴れている日は、フェリオスの城とアリヴェンの城の両方が望める位置でもある。 その館の一室にて。 失礼のないようにか単なる家人の趣味か、最高級の調度が整えられている部屋にて密やかにソレは行われていた。 「……では、これで宜しいのですね」 朱印が完全に乾いたことを確認してから、セルヴィはその紙をくるくると丸めた。 丈夫な筒に入れ、厳重に封をする。 視線を上げると、相手もしまい終えたようだった。 「…ジェス殿」 「ええ、よいでしょう。我が国、フェリオスの名にかけてこの書状を誓いといたします」 約定は、なされた。 さらりと絹のような黒髪を背に流しながら、ジェスは笑んだ。 そうすると、氷のような美貌が一気に艶めいたものになる。 部屋に居る他の人間たちがいっせいに息をのんだ中、セルヴィはただ無表情でそれを見ていた。 ジェス・フェリオス―――北の大国・フェリオスの現大臣。 女性と見まごうばかりの美貌、流れるような動作、そして穏やかな物言い。 優雅………そんな外見をあっさりと裏切り、彼はその体躯から考えられないほどの剣の使い手だ。 将軍職も兼任する知将で、国王ロージャスの信頼も厚い。 しかし、人を殺すことに何の躊躇いを覚えぬ残虐な一面もあり、人は彼を『氷の茨(いばら)』と呼ぶ。 (今回、彼が剣を持ってきてなくて良かったな。……向こうがその気になったらとても太刀打ちできる気がしない) 将軍を務めるほどの彼が、和平の為の会合に剣を持ってこなかったのは、おそらくフェリオスなりの配慮なのだろう。 もちろん、セルヴィは剣など使えないので護身用の短剣くらいしか持ってない。 もし、彼が牙をむいてきたら護衛のセツではとても歯がたたないだろう。 裏刀の中にも剣の手練はいるが、おそらくジェスの前では全く歯がたたない。 相手ができるとしたら………本国にいる新参者の元傭兵くらいだろうか。 (そう言えばあの男も北の出身だったな。狩猟民族の血をひいているだけあって、武芸達者が多いのだろうか) そんな事を考えていたら、軽いノックの後、館の侍女が入ってきた。 「我が主ギースが皆様に心ばかりの休息をして頂ければと、場をもうけさせていただきました。如何でしょうか?」 セルヴィはちらりとジェスを見る。 彼は、連れてきた部下に一言二言告げると綺麗に笑った。 「喜んで、その申し出を受けよう。部下の一人に、遅れる旨を伝えに行ってもらったから大丈夫だ」 「承知いたしました。…セルヴィ様は、如何なされますか?」 セルヴィも即座に頷く。 リーシェがこの吉報をいち早く望んでいるのは分かっていたが、まさかフェリオスからの使者を残して自分だけ帰るわけにはいかない。 仕方なくつきあうことにした。 「ええ。バール・ギース殿にもご挨拶したいし、ご一緒させて頂きます」 セルヴィが告げると、侍女は「では大広間へお越し下さいませ」と一礼して姿を消した。 昼食…という時間でもないから、おそらく茶会のようなものなのだろう。 この館の主バールを思い出し、さぞかし豪勢に仕上げているのだろうと想像できてしまった。 うんざりしながらも表面上は穏やかな顔を取り繕って、ジェスに向かい合う。 「では、参りましょうか」 * * * * アリヴェン城が、一室。 「兵力も蓄えられてきた今が好機。ナクールへと攻め入りましょうぞ!」 「そんな事をしたら、フェリオスに背を見せることになろうぞ。隙につけいれられるのが目に見えておるのではないかっ」 「しかし、リンカもフェリオスも兵力が違いすぎて相手にならんではないか!」 「そもそもっ、アリヴェンから戦を仕掛けてどうするのですっ!安定してきたと言っても未だ治安も民の生活も不安定なのですよ。自滅する気ですか!?」 会議室はけたたましい喧騒に包まれていた。 始めは一人一人リーシェに意見を述べるだけだったのに、いつの間にか官僚どうしで諍いを始めてしまった。 リーシェは椅子に座ってそれを眺めている。 いつもは適度にまとめてくれるセルヴィがいないため、会議がこんなに荒れてしまったのだろう。 カインはリーシェの後ろから眺めていて、さすがに疲れてきた。 (なんだかなぁ……やっぱアリヴェンにも色々いるんだな) 穏健な国柄、そう過激派はいないのかと思っていたら、そんなことはないらしい。 会議の会話を聞いていると、好戦的なのもだいたい5分はいた。 一面だけの政治じゃあ良くないということなのかも知れなかったが、リーシェとセルヴィが水面下で行っていることを知ってしまった今、その体制が危うく感じられてしまう。 王であるリーシェには誰も逆らえない。 しかし、その『王』の力で一方的に平和をもたらしても、対抗する考えをもつ者たちを煽りはしないだろうか。 押さえつけられ、不満を溜めた者たちは一体どんな行動にでるのか……。 「……とにかく」 リーシェがやや強めに口を開いた。 「我が国から、これ以上の被害を出すワケにはいかないわ。まだ、守りを解くべき時でないと思う。…それよりも、国内の安定が先よ。民の安全・生活の充実の確保に、引き続き全力をそそぎなさい」 「――了解いたしました」 リーシェの一言で、会議はお開きになった。 ざわざわと皆が退出し始めた。 「おい、いいのかよ?」 部屋から出た途端、カインがリーシェに問いかけた。 周りには、誰の姿もない。 心なしか疲れた笑みを見せたリーシェは小さな溜め息をついてみせた。 「仕方ないわ。まだ話すわけにはいかないもの。セ…彼が帰ってくるまでは、ね」 「いや、そうじゃなくて…」 「?」 「……ま、なんでもねぇよ」 気にするな、と言うふうに会話を打ち切った。 少し不思議に思いはしたものの、慣れぬ会議で精神的に疲労していたリーシェはそのまま流すことにする。 それをカインは横目でちらりと見やって、心の中で嘆息をついた。 (…まぁ、セルヴィは分かっているだろうから、俺が言うことでもないか) 精一杯のリーシェとは違い、政治面に強いセルヴィならば過激派の連中の上手いあしらい方も心得ているだろう。 自分が出る幕でもないだろうと、カインは口に出さぬことにした。 本当は、政治というものに少々うんざりしていたからなのだが。 「陛下!」 執務室に戻ってやっと肩の力がぬけた、という時に突然扉が開かれた。 許可もなしに入ってくるのは無作法極まりなかったが、入ってきたメイゼスの焦った表情を見て、リーシェは何も言わなかった。 「どうしたの?そんなに慌てて…」 「ご無礼をお許し下さいっ。実は…」 メイゼスはちらりとカインの顔を見る。 見られたカインは、その表情に何のことだか気づき身を乗り出す。 「犯人が分かったのかっ?」 リーシェの部屋に爆発物を持ち込んだ侍女が誰だか分かったのか、と尋ねるとメイゼスは渋い顔をして首を横に振った。 「どういうこと、メイゼス?」 「それが…、誰も知らぬと言うのです。誰一人、その日当番だった侍女のことを、顔はおろか名前すら知りませんでした」 「誰一人って…侍女頭は把握してねーのかよ?」 灯火役を管理するのは、侍女頭の筈だ。 不審気に聞いたカインにメイゼスはまたもや首を振った。 「侍女頭も首を捻っておった。確かに、その日に指定した侍女がいた筈なのに、と。だが、問いただしても名を全く覚えていないと本人も頭を抱え込むばかり。……目撃情報もなく、記録にも残っていない…」 「ちっ、お手上げか」 「そんな…」 「申し訳ございませぬ!陛下」 深く項垂れるメイゼスにリーシェは労いの言葉をかけていた。 その横で、カインは眉をよせて考え込む。 (名前も顔も分からねぇ。目撃情報もねぇ。記録ですら残ってねぇ。………だが、確かに存在して、この部屋へ来た) そして、その日の灯火が無事行われていたことから、確かに灯火役の侍女は存在していたのだろう。 誰も気づかなかっただけで。 (……化かされた気分だぜ) だがひたひたと、それは気づかぬうちにリーシェの背後までせまってきているのかもしれない。 急がねば、ならないだろう。 (くっそ!思ってたより、厄介ごとかもしれねーな) けど、やるしかないか、と一人溜め息をついた…。 Back/ Novel/ Next |
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