十二.




ぽこぽこと、不思議な液体が蒸気を発している。
いくつものガラス製の器具が所狭しと並べられ、色とりどりの液体がその中に入れられていた。
決して小さくない机には、器具の他、すり鉢ややすりが並べられ、その他調剤の器具としてあまり知られないようなものがシアの仕事部屋にはいくつもある。

手元に置いてあった火薬の残骸を白い皿にとり、紫色の試薬をたらしてシアは目をみはった。
美しき紫の液体が、火薬に触れた部分から色が抜け落ちたかのように透明へとなっていく。その意味するところは…

「ツバナの実……?そんな、まさか…」

呟きは意識しないうちに口の中で消える。
シアは、先日リーシェの部屋で起こった爆発事件で使われた火薬の成分を調べていた。

分析はシアの得意分野だ。
未だ成分の解明も満足に行われてない時代の中で、調合は経験と実績のみに基づいて行われている。
むしろ、本の知識などあってないようなものだ。
もちろんあるに越したことはないが、もっぱら頼れるのは自分の経験と勘、そして冷静な判断力。
シアはこれらがバツグンに優れているために、薬師として有名になれた。
その手つきも自信に溢れたものであり、けれども過信には至らない冷静な瞳で解析を続けていた。

「………」

しかしいつもとは違い、シアはその瞳に困惑をにじませたまま試験皿の上を見つめていた。
眉をよせて考え込む。あまり、嬉しくはなさそうだ。

「どうして、こんな物が…。……いえ、考えていても仕方がないわね」

自問自答しながら頭を軽く振り、考えを中断した。
この仕事が急ぎだったことを思い出したからだ。
手早く片付け結果を内ポケットにしまうと、家を出ることにする。

「よぉ、シア姐さん。こないだは助かったよ。今度奢るから一杯やろうぜ!」
「シアねーちゃん、またクッキー作って〜」
「シア姐さん!香りのいいお茶を手に入れたの。寄ってかない?」

下町を通ると、あちこちから声をかけられる。

「ふふ。また今度ね」

にこやかに笑みを加えながら返事を返してゆく。
惜しげもなく金の髪をさらし微笑む姿はさながら女神のようだ、といつしか囁かれるようになった。昏き下町に光をまく女神、と。

(昔は注目されるのが怖かった。光の色は嫌われると思っていた――)

女神エンヤの信仰すら届かぬ暗闇のような下町。
しかし、そこに住む人々は必ずしも闇ばかりではないと知ったのはいつの頃か。
優しさには優しさを、微笑みには微笑みを返すこともできるのだと知ったのは、いつの頃だっただろう。
ただ闇雲に自分を隠すことしか知らなかった子供の頃とは違い、今はこうして楽しむ余裕すらある。それを教えてくれたのも、この町だった。

「や、シアねーさん。久しぶりだな!」
「…ラゼル。また仕事(ころ)してきたのね。こないだも大怪我したばかりでしょう?」

へらっと笑みを浮かべて声をかけてきた男にシアは溜め息をこぼす。
暗殺を生業をしているこの男は、シアの診療所の常連の客でもあった。
普段は綺麗ずきの男から漂ってくる血のニオイに、シアの眉は自然とよることになる。

「仕方ねーじゃん。どーしてもってヤツが後をたたねぇんだ。俺様ほどの腕を持ってると売れっ子で困るねぇ〜」

「あのねぇ。何度も言うようだけど…」

「―――女王周辺には手を出すな、だろ?」

ニヤ、と男は笑って鼻先まで顔を近づけてきた。

―――女王周辺には手を出すな。
それは、シアやケイリャが女王リーシェの下につくことによってできた、無言の掟。
暗殺業を生業としている者は大抵下町出身か忍である。
その内、下町に住む者はシア達が睨みをきかせることによって多少は大人しくなった。

吐息がかかりそうに近いその顔に、シアはにっこりと満面の笑みを浮かべる。

「そう。それと、必要以上に私に近づかないでくれる?」
「!おっと!!」

パチッと手元で音をたてた火花に男は大げさに驚いてみせて、声をたてて笑った。

「はいはい。分かった分かった。また来るよ。じゃなっ」

ひらりと飛ぶように路地の柵をこえて姿を消していったその後ろ姿を見ながら、シアは溜め息を吐いた。
その溜め息は、今しがた話をしていた男へではない。
姿を見せなかった、もう一人へ。
ちらりと視線を後ろへ向けてみるが、そこにはすでに何の気配もしない。
家を出た辺りからつけられていたみたいだったが、今の会話の途中で姿を消した。

(逃げられたみたいね。……何が目的だったのかしら)

この、火薬だろうか?
シアは内ポケットに忍ばせてある火薬の粉を思い出して、歩みを再開した。
どうやら、一歩事件への核心へ近づいたと思いながら。





* * * *





バール・ギースは、贅沢好きで有名だった。
王家の親戚と言う立場もあり強くは言えないのだが、財をふんだんに使い整えられた、王よりも立派なのではないだろうかという調度品・衣装を見るたびにセルヴィは溜め息をつきたくなる。
フェリオスとの戦でここも随分と被害を受けた筈なのだが、そんなことは微塵も感じさせない。
気遣いと言えなくもなかったが、ここまで行くとある意味異常だ。
ジェス達もこの豪華な仕様には、少々唖然としたようだった。

「…いやはや、かの有名なジェス殿とお会いできて嬉しく思いますぞ!」

一人満足気なバールにジェスは控えめに笑顔を作る。

「いえ。こちらこそ、このような茶会にお招き頂き嬉しく思います。ギース公爵殿」

はっはっと笑ったバールは、自身の自慢の顎髭を指で触りながらジェスとセルヴィに席を勧める。
やはり想像通り、茶会と呼ぶには少々手の込み過ぎた料理がいくつも並んでいた。

「バールとお呼び下さい。ささ、茶が冷めやらぬうちにどうぞ。…しかし、セルヴィ殿にも久しくお目にかかってなかったですな。今では立派な王の右腕。色々とご高名も聞き及んでおりますぞ」

茶器を手にしたまま、始まったな…と心の中で溜め息をついた。
バールは長々とした世辞を喋るのが好きなのだ。貴族の世界では当たり前であるが、彼のは少々うんざりする長さだった。
セルヴィも表面上は頷いて返しているが、早く帰りたい一心だった。

隣に座っているジェスに早く話題をふってくれないかと横目でちらりと見てみるが、彼は優雅に茶を飲んでいるばかりで助けにはならないらしい。
仕方なくバールにも世辞を返しやることにする。

「バール殿こそ戦においては色々とご尽力して下さったようで、感謝しております」

「いえいえ私なんかは…。それより陛下はご健在であらせられますか?」

「はい。バール殿のことを気にかけておられました。それと…、…………?…ジェス殿?」

カタ…ンという茶器の音にセルヴィが振り向いたのと、ジェスが瞳を閉じて上体を崩すのが同時だった。

長い黒髪が宙に舞う。
眩暈でも感じたのか中途半端に手が上げられ、そして力なく床へと落ちた。
駆け寄ろうとして、セルヴィは声を失う。

視線の、先。
晒け出された白い首筋に当てられた、銀の短剣。

「な――」
「動くな!!一歩でも近づいたら容赦なく刃を滑らせるぞ」

その声に臨戦態勢だったセツも動きを止める。
貴族のたしなみ程度にしか武術を会得してこなかったバールの隙をつくことは容易かったが、万が一ジェスに傷でも負わせたら大変なことになる。
茶に眠り薬でも混ぜたか。これだけ大騒ぎしてもジェスの瞳はかたくなに閉じたままだった。

「血迷いましたか、バール!」

「ふふ…こんな簡単に戦をやめられては困るのだ。お二方にはもう暫く我が館にて滞在を願いましょうぞ」

バールが微笑んだ。そう思った瞬間にセルヴィは頭を後ろから殴打された。
にぶい衝撃に視界が暗くなる。

これからどうなるのか、それよりも自分の帰りを待っているだろう主君の顔が思い浮かんだ。

(リーシェ様……)

帰らなくては。
しかし、その思いとは裏腹にセルヴィの意識は闇の中へと沈んでいった―――






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