十三. ピチョン…という水滴の音で目が覚めた。 「う…ここは……?」 頭を殴られた影響か、未だグラグラする頭を手でおさえてセルヴィは誰にともなく呟く。すると少し遠くから声があった。 「セルヴィ様?お目覚めになられましたか」 「セツ、ですか?」 「はい」 冷たく、ともすれば感情すらない人形のように聞こえるその声を聞いている内に、思考がはっきりとしてきた。 どうやら頭の痛み以外は、外傷はないようだった。 たぶん瘤になっているだろう…ずきずきと痛む頭を手で押さえ、セルヴィは辺りを見回す。 薄暗い空間。目の前にあるのは檻のようだった。 地下牢。 そんな言葉がすぐに頭をよぎった。 (地下牢……く、バールの仕業か) 元は他国の監視用に建てられた館だ。 当然、地下牢も拷問道具も不足はないくらいに兼ね備えている。 自分たちが何故こんな状況に陥ったのかをすばやく考えながら、セルヴィはセツへと話しかけた。 「セツ、あなたの状況を教えて下さい。牢へ入れられているだけですか?」 声が出せるということは分かるが、セツに限らず忍は拷問にも耐えうる精神力を鍛えられている。 声が平静だから無事とは限らないのだ。 しかし、すぐに返ってきた返事にセルヴィは安堵の溜め息をつく。 「両手足に拘束を受けていますが、身体的に特に問題はありません」 忍び相手に無拘束は逃げてくれと言っているようなものだ。 だから、セツの拘束も最低限のものだけだと分かるし、相手はこちらを傷つける気がないのだとも分かった。 ここから、帰す気がないことも――― * * * * 「なにソレ、どういうこと?」 リーシェの不審気な声が、執務室に響いた。 硬質を帯びたその声音は、問いかけというより非難に聞こえる。 カインが小さく壁を指先で叩くと、リーシェはハッとしたように息をのみ、次いでゆっくりと吐き出した。 自分の目の前で膝を折っている者へと視線を戻す。 気分を損ねたのではないかと伺うと、シアの瞳には何らその影はなく、ただリーシェへの気遣いの色を浮かべているばかりであった。 「ええと…、ツバナの実が入っていたってことは、つまり?」 先ほどより幾分軟らかな声音で、言葉を変えて再度尋ねる。 シアは一つ頷くと、懐から粉の入った袋を取り出した。 「ツバナという樹木は南や西の一部の地域にしかなく、アリヴェンを含める東の地域では実を直接手に入れることは不可能です」 「他国から入ったものということ?じゃあ、暗殺騒動は他国が!?」 「…の可能性が高いってだけだ。決まったわけじゃねぇ。それに闇ルートを通して手に入れた自国人かもしれねぇしな」 「そう……そう、だけど」 カインの言葉に、リーシェは考えるように俯いてしまった。 敵国でなくても犯人の可能性があるのだ。 アリヴェン国内の好戦派や王位に近い有力貴族、アリヴェンの属国として同盟の契約を交わす小諸国、…他にもあげたらキリがない程に敵は多い。 顔見知りですら疑わなくてはならない現状に、少なからずリーシェの精神は疲労しているだろう。戦争に追われて、リーシェは内部の敵に向かう暇はなかっただろうから。 (だが、それは何もアリヴェンに限ったことじゃねぇ。どこの国でもアタリマエの様にある“闇”だ。…お綺麗な笑顔の裏にいくつもの仮面を隠し持ち、絹の手袋の下には刃を潜めている。暗殺だって珍しいことじゃねぇ) それは、カインの一番大嫌いなものだった。 ドロドロと底の見えない暗闇のような、その感覚。 (臓腑が震えそうだ。忘れられねぇ……この、憎しみや、嫌悪感を) 人間の『闇』を嫌うカインだが、王宮と言う場所はそれを具現する最たるところでもあった。 人と人の最も醜い化かしあい。表面上綺麗なのだから、余計にタチが悪い。 しかし公言する時に王家批判ばかりになってしまうのは、昔の憎しみが強いからだろう。 そう、王家が嫌いなのはつまりはカインの個人的な恨みでしかない。 カインは目をふせて、ため息を小さくついた。 アリヴェンにもやはりそうした“闇”はあって、ちょっとした会議や面会の合間にそれが見える。 王の特別護衛となったカインにも幾度か賄賂やごますりをする輩が接触してきたが、すべて一蹴している。 (クソ喰らえだ、吐き気がする) だが……。 ちらりと、シアと話をしているリーシェを見る。 真剣な姿勢。常に国のための最善を目指す幼き王。 いや、この際年齢は問題ではないだろう。 カインが、“闇”が待っていることを承知で護衛になることを決めたのは、ただ一つの理由から。 ―――自分を偽らない、まっすぐな瞳。 美しい言葉でも夢のような理想でもなかった。 ありのままの自分をさらけ出して呼びかける心、……それにカインは惹かれた。 「う…ん。やっぱり、内部という可能性もあるのね……」 会話が途切れ、リーシェが眉をよせて唸る。 歯切れの悪い言い方に、横目で見ながらカインは口の端をあげて笑みをつくった。 (まだまだ甘いけどな) 王として甘いことばかり言ってはいられない。 だが“闇”の渦巻くこの世界にて、それでも光を見つめるリーシェやそれを寛容しようとする<刀>たちといるこの空間も悪くないと思えてしまうのだ。 * * * * 「ホラ、メシだ」 カタン、と軽い音をたてていくつかの皿がのったトレーがおかれる。 一応、要人だという意識があるのか、パン・サラダ・スープと栄養価の高いものが盛り付けられている。 しかし内容の豪華さと比べて食器がアルミとは、随分と貧困な。 陶器でも渡して、割られて凶器にされたらたまらないからだろうが囚人の食べ物のようで何だか…嫌なカンジだ。 いや……今は、囚人だったか。 (しかし、スプーンはともかくフォークまで渡している辺り、警戒が足りないと思うのだが……) サラダがあるので仕方ないと言えばそうだが、なにか根本的なところがズレているような気がしてならない。 それとも、大臣如きそこまで用心しなくてもよいと判断されたのか。 「…セツ、そちらの食事にサラダはつきましたか?」 食事を終え、食器を持って見張りが下がっていった隙に、セルヴィは違う牢にいるセツに話しかけた。 セツの姿は直接は見えないが、そう遠くないことは確認ずみだ。 また、声の届く範囲に二人しかいないことも。 セツからは、間髪入れずに返事が返ってきた。 「サラダはありませんでした。ロールパンが二つ、草で編んだ籠に入ってきました」 「カ…カゴですか…」 セルヴィに比べてあまりの徹底ぶりに絶句する。 確かに忍にとってすべてが武器であり、たとえアルミの皿であったとしても問題なく使用できたであろうが。 その代わりが、乾燥させた草で編んだ籠…。 (それなら大丈夫だと踏んだのだろうが…) セルヴィは滅多に動かさない口に笑みに浮かべる。 “彼ら”の思惑どおり、乾燥草ではあまり大した武器にはならない。だが、武器以外にも使用方法はあるのだ。 「セツ、呼びなさい」 「はい」 短い命令に問い返しもせずに、セツは是と答える。 草の掏れる軽い音が聞こえた。 セツは籠から解いた草で、小さな笛を作っているのだ。 そのすぐ後に息を吸う音は聞こえたが、鳴る音は聞こえなかった。 だがセルヴィは安堵の息を吐く。 音は鳴らなかったのではない。人間に聞こえなかっただけだ。 セツにより発せられた特殊な音波を、地上では彼女の使い魔とも呼べる鳥が聞き取っているだろう。これで、待機させてある他の<裏刀>にも居場所が伝わる。 取り合えず、逃げる算段はついた。 後は…… (――ジェス殿の救出) Back/ Novel/ Next |
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