2.a purple flower of poison 月がその姿を隠す新月の夜。 いつもより闇が深い空に、アリヴェンの城だけが幻想的に浮かび上がっている。 城下街は、もうすぐある王誕祭のための準備で深夜まで明かりがともり、あちこちで騒ぎの声が聞こえる。 前夜祭と言っても過言ではないような盛り上がりは、この国の民の元来の祭り好きをあらわしていた。 喧騒は城下街の下町と呼ばれる界隈を中心に広く続いている。 普段は物静かな町外れの草原も、どこか落ち着かないようなざわめきを伝えてきていた。 「ふ−っ、食った食った。さんざんこき使いやがって。アレくらい食ったってバチはあたらねぇよな」 草の海にごろりと寝転がりながら、カインはぼやいた。 先程まで、酒場の親父に王誕祭の準備としてコキ使われていたのだ。 誰もがうかれるこの時期、自身の許容量を超えて酒を飲んでしまうものも多く、正体をなくして眠りこける輩ならともかく暴れる輩も出てくる。 そうした時の用心棒として数日、雇われたのだった。 しかし、カインが意外と器用なことを知ると、ちゃっかりしている酒場の主人は、色々と仕事を増やしていったのだ。 んな話聞いてねえぞ、と反論するカインの言葉を軽く聞き流すと、酒を一杯おごってやるからと空のジョッキを掲げてみせた。 仕方なく、余計な仕事――雑用とも言う――をひきうけて、その報酬として上等の酒二杯と夕食をいただいてきたのだ。 「ふー。いい風だぜ」 梅雨にしては湿気の少ない風が吹く。 カインは軽く目を閉じた。 久しぶりに護衛以外の仕事をして心地よい疲労感が身をつつんでいる。 王誕祭までの数日、リーシェは当日の式典の打ち合わせや準備におわれて城にこもりきりとなっている。 特に用心する必要のない今は<刀>だけで平気だろうと、カインに休暇が与えられたのである。 めったにない休暇を満喫するでもなく、カインは仕事を探した。 こういうあたりがよくライナに妙なところで仕事人間とからかわれる所以だったが。 さらりと顔の横の草が風に揺られて頬を撫でる感触で、カインは自分が少し寝ていたことに気付いた。 いけない。 夜盗に襲われる心配も風邪をひく心配もないにしても、雨が降る可能性はある。 この梅雨の季節、いつ降るかは定かに予想はつかない。 さすがに、ずぶ濡れはごめんだった。 「……ま、ぼちぼち帰るとするか」 うーん、と一度伸びをしてから起き上がる。 月のない夜だが、空に雲がかかっているのが分かる。 明日も天気が悪いかもしれない。 カインはすばやく立ち上がると、城のほうへと歩き出した。 王の護衛であるカインには城の一室を与えられている。 望むならいくらでもというのを断ってのことだった。 寝るためにしか必要としないのにそんなにいるか、というのがカインの言い分だ。 傍つきの女官もすべて断った。 自分のことは自分でやる。 それがカインの持論であり習慣であった。 それに…、あまり他人に干渉されるのは嫌いだからというのもある。 「ん……あれは…」 城近くになって、見知った影を見つけた。 闇夜に映える金の髪。 下町の自分の家から来たのだろうが、城を通り越して静かな裏森へと入っていくのはやや不自然だった。 自分に干渉されるのを嫌うためか他人のプライベートに立ち入るのもあまり好まないカインだったが、今回は珍しく好奇心がわいた。 (手にもっていたあの花は、たぶん…) カインは不粋と思いながらも後を追って歩き出した。 ヴィア…リ・ヴィア…ロウニーミァ… セイヨール・ティ… ロウニーミァ… ―――わらべ、わらべよ お眠りなさい 祈りを捨てて、お眠りなさい――― それは初めて聞く子守歌。 淋し気な、でもどこか恐ろしい子守歌。 朗々とつづられるからこそ物悲しく、内に感情をこめられているからこそ切ない。 けれど、歌詞の異端さに畏怖を覚える。 …それは、カインが女神エンヤを信仰しているから。 ティ――「祈り」を捨てるということは、神を捨てるということ。 この国にはいないが異端審問官などに聞かれたら、厳しく断罪されることになるだろう。 シャレにならないことを考えてしまい、ぞくりと身を震わせた。 「シア」 後ろからの呼び掛けにびくりと反応して振り向いた。 金の髪がふわりと暗闇に広がる。 その淡い光は、蛍を思わせた。 声をかけられたシアは、カインよりもやや明るい紫の瞳を見開いて、驚きをあらわにしていた。 「あ……びっくりした…。カイン…どうしたの?こんな時間に…」 「あんたこそどうしたんだよ、――んな毒花もって」 カインの言葉に軽く息を呑む。 そうして、両手いっぱいにもっていた紫の花に視線を落としながら口の端に笑みをつくった。 「よく、分かったわね」 「昔、それにやられたことがあんだわ。もっとも花の蜜の方だったから死線さ迷いながらも今こうして生きていられるんだけどな」 クレシアの花――猛毒をもつ花として有名である。 花弁、蜜、茎の順に毒素が強くなっており、根にいたっては一口噛っただけで、即天界行きとなるほどだ。 しかしその姿は大変に美しいものであり、見ただけで毒花と結びつけることが難しい。 「確かに根は猛毒だけど、山に生えているペム草と一緒に煎じればちゃんと食べれるのよ」 「へぇ…それは初めて聞いたな。さすが薬師ってだけあるな」 「ふふ……」 素直に感心したのに返ってきたのは曖昧な笑いだった。 自虐的にも馬鹿にしているようにも悲しげにも聞こえる。 普段のシアとは少し違うカンジがした。 「シア………?」 「カイン、少し昔話につきあってくれないかしら?」 光なき月の夜 そこにある命に 微笑みかけたのは誰か―――― Back/ Novel/ Next |
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