5.a fortunate boundary line 孤独な墓のふちに、そっと紫の花をおいた。 「ここには、髪の一部しかないの。遺体は火葬にして、海へ――故郷へと還したわ」 ティンリスの笑い声が止んだ途端、そこには音が一つもしなくなった。 部屋におちた沈黙。 何と言えばいいのか分からずにレイルはうつむくばかりだった。 自らが奴隷だったと言ったティンリス。 その壮絶な生き様は、まだ両手の指の数の年も生きていないレイルには、とうてい想像もつかないことなんだろう。 悶々と悩んでいると細い指で軽くでこぴんをされた。 「いたっ!」 「ばぁか。何考えてんだい。誰も慰めの言葉なんか期待しちゃあいないよ。レイル、アンタが聞きたそうにしてるから話してやったまでさ。あたしはあたしの生き様を恥じてなんかいない。隠してなんかいないんだ。………だから、泣くんじゃないよ」 少し困ったように最後をつけたした。 「……っく…」 ポロポロと頬を流れるのはまぎれもない涙。 なぜ流れるのかレイル自身もよく分かっていない。 ……ただ、悲しくなったのだ。 故郷を話すティンリスは笑っていたけれど、寂しさを隠せなくて。 胸が、痛くなった。 いつまでも泣きやまないレイルにティンリスは心底困ったように髪をかきむしる。 「まったく…アンタ本当に下町の子かい?あたしが知っているのは、どれももっとふてぶてしかったよ。第一アンタ男だろう?……だからホラ、泣くんじゃないよ。まいったね…子供の涙は苦手なんだよ…」 「泣…てな…」 否定の言葉も涙にうずもれている。 それに舌打ちをすると、ティンリスはおもむろに卓の上から何かをひっつかんだ。 「あーもう!いいかげん泣き止まないと、この花食べさせるよ!!」 「……」 目の前にズイッと出されたのは、鮮やかな紫の花。 その迫力にビックリして、レイルはピタリと泣き止んだ。 大きな瞳がこぼれんばかりに見開かれている。 「よし、泣き止んだな。……っと、この花見せてもアンタの年齢じゃ分からないか。悪かったね。短気なもんでつい怒鳴っちまった。別に本気で怒ってるわけじゃないから…」 そこまで言ってからティンリスは、ようやくレイルがこちらではなくその花を凝視しているのに気付いた。 「ああ、気になるかい?その花は……」 「クレシアの花…」 「!」 ぽつりと呟かれた言葉に、ティンリスは目を見張る。 レイルの視線は、未だ花へと注がれている。 「知ってたのかい?」 その問い掛けにようやく目がティンリスを見た。 こくりとレイルは頷く。 「有名な、毒草だから。両親が暗殺をしてて、…僕も少しだけ教えてもらった」 『暗殺』の単語をバラすのは正直、危険だった。 仕事の性質上、恨みをかうことが多々あった。 それこそ同業者を含めて、両親の命を狙っていたのはゴマンといた。 中には暗殺者本人だけではなく、家族ごと根絶やしにしなければ気がすまない者もいる。 両親を殺したのがどんな輩か分からなかったが、慎重にしなければならないことだとレイルはよく知っていた。 (でも……。嘘、つきたくないから) ティンリスには本当のことを言いたかった。 「そうかい。よく知ってたね。そうだよ。このクレシアは毒草だ。―――でもね、これはあたしの故郷の花なんだ」 「え……」 ティンリスの瞳が愛おしそうに花の上をなぞる。 「この花を見たとき驚いた。まさか、こんな異邦の地へ来てもこの懐かしい紫が見られるなんてね。以来、部屋にかかさず飾るようにしてるんだ」 「ティン、リス…」 「――やっと、あたしの名前を呼んだね?」 にっとイタズラ小僧のような笑みで言われて、レイルは知らず頬が赤くなる。 「…えっ?――あっ!…ご、ごめんなさい…」 「ばぁか」 ぴん、と額をこづかれて思わず顔をあげる。 ティンリスは微笑して目を柔らかく細ませていた。 「誰も呼び捨てにしたことを怒ってなんかいやしないよ。いいからそのままお呼び」 ティンリスの笑顔につられるように、ふわりとレイルは微笑った。 「うん…ティンリス」 その笑顔はまるで花がほころぶようで。 ティンリスですら一瞬息を飲んだ。 まいった、と苦笑する。 「まったく、アンタって子は…本当に裏世界の住人かい?まるで……――クレシアの花のようだね」 あざやかな紫。 その笑顔は花のようで。 懐かしい匂いを連れてくる。 「僕……男、なんだけど」 可憐な花と例えられて、憮然とするレイルにおもいっきり爆笑がかけられたのはそのすぐ後のハナシ。 だが、楽しい時間はそこで破られた。 「――ティンリス!」 ドン!!と扉が激しく叩かれる。 その音の大きさにレイルはビクリと肩を震わせた。 「煩いぞ!ティンリス、何騒いでんだっ。俺はさっきまで仕事していて疲れてんだよ!!」 そして再びドンと叩かれる。 ティンリスはその人物に心あたりがあるのか確認もせずに扉を無遠慮に開けた。 「ごめんっ、ジン!」 「ティ〜ン〜リ〜ス〜!!オマエ最初に俺と約束したこと、もー忘れたのか!?俺は仕事後は、機嫌悪いんだよっ」 ジンと呼ばれた人物は、かなりの長身だった。 だが、大柄という印象をもたなかったのは、とてもすらりとのびた手足をしていたから。 隻眼の顔はひどく繊細だった。 仕事後のまどろみを邪魔されて不機嫌なジンは、低いハスキーボイスを響かせる。 「まったく何一人で騒いでるん…だ……?」 ジンの鳶色の瞳が、ふと部屋の中の影をとらえた。 右の目を大きく見開いて、驚きをあらわにする。 「お…これは……。ティンリス、オマエどこでこんな蕾拾ってきたんだ?」 「ふふ…秘密だよ。レイルっていうんだ。―――レイル、こっちはあたしの先輩格にあたるジンだ。挨拶しな」 何となく野蛮な雰囲気をもつジンにビックリしていたレイルは、ティンリスの声にようやく反応することができた。 「あ、はい。レイルです。ジン…さん、よろしくお願いします」 にこりと笑顔を見せたレイルに、ジンはここへ怒鳴りこんできた時から、はじめての笑みを見せた。 「ああ宜しく。…綺麗な紫だな。磨けば光りそうだ。どうだ?俺が直々に教えてやろうか?」 「??」 「……ジンっ!レイルはそんなつもりで連れてきたんじゃないよ。変なこと、吹き込まないでおくれっ」 ニヤリと妖しい誘いをするジンに、ティンリスは焦った声で止める。 「あんなに綺麗な顔をもってんだ。さぞかし売れっ子になるだろーよ」 「レイルは男の子なんだよ?」 「そんな綺麗なガキに女客の相手は無理だろーよ。相手に寝台から蹴り出されるぜ」 (何…?) しばらくぽやんとした表情で聞いていたレイルは、最後の台詞ですべてを理解した。 つまりジンは女客の相手は無理だと言い、世の中には男と女しかいなく、ここは娼館で… (えええっ!…僕に男娼をしたらどうか?って言ってる――!?) カアアアアと頬が一気に熱くなった。 頭が怒りか恥ずかしさか、混乱してぐるぐるしている。 「あのっ、僕っ…困ります…っ!」 真っ赤になって言いだすレイルにジンは吹き出した。 「あっはっは!面白いくらい素直な奴だな、オマエ。ま、いいさ。これからもこうやって俺を楽しませてくれるなら。いいな?」 「は…い」 「よし!じゃあ俺は眠る。またな」 パタン、と去ってった嵐に、さすがのティンリスも呆れ顔だ。 二人は目をあわせて溜め息をついた。 「ジンが子供好きだなんてはじめて知ったよ……」 夜中、ふいにレイルは目が覚めた。 何か声が聞こえた気がしたのだ。 それも、外から。 (ティンリス…?) 部屋に気配はない。 ティンリスはめったにない休みの日ですら、夜中起きている。 生活のバランスが崩れるので、そうしているそうだ。 ずっと読書をしていたり、故郷の方角をぼんやり眺めていたり。 …が、今日は部屋に見当たらない。 外へ散歩にでも出掛けたのだろうか。 (行ってみようかな…) 好奇心がうずきだす。 眠気はすでにどこかへといってしまった。 寝ないとツライのは自分だと分かっていたが、外が気になるのも確かだった。 (少しだけ…) 自分に言い訳しながらそっと部屋をぬけだした。 「――……ァ…」 (うた…?) 庭に出てみると声が聞こえてきた。 切なく物哀しい響き。 幽玄のさなかに迷い出たような…。 「ティンリ…――」 見慣れた後ろ姿に声をかけようとして、レイルは声をつまらせた。 それは。 幻想的な、一枚の絵のように。 月明かりの下、銀の髪が舞うが如く。 海の波風のように揺らめく子守唄。 そこに、他者が踏み入れる場所はなくて。 ―――――――聖域。 ティンリスが女神エンヤにつかえる孤高の月巫女に見えた。 ヴィア… リ・ヴィア… ロウニーミァ… セイヨール・ティ… ロウニーミァ… 天を仰いで唄をつむぐその姿に、ぞくりと背筋が震えた。 死を連想させる毒華クレシアを手に、祈るように仰向けられた首筋が今にも消えそうな白で…… 「――ティンリスッ!」 悲鳴のような叫び声で、儚い唄声はぶつりと途切れた。 幻想の時が終わる。 しん…と、静寂だけが残った。 「レイル…?どうしたんだい?」 突然飛び出してきて、がっしりとティンリスの腰にしがみついて放れないレイルに、戸惑った声を出す。 しかしレイルは、その声にかぶりをふって否定する。 存在を繋ぎ止めるように、よりいっそう力をこめる。 「レイル…苦しいよ。放しな」 ややあってくぐもった細い声が聞こえた。 「…消えない?」 「うん?」 「ティンリス……くうきに溶けそうだった。消えないよね?」 「ばぁか」 はたかれる代わりに、ふわりと抱き締められた。 「ティッ…ティンリス…ッ//」 「消えないよ。あたしはここに留まるしかできないから。この、クレシアのように…」 「クレシア?」 意味が分からずに、腕を放して一歩後ろに下がる。 その笑みはいつものティンリスだった。 手にもつ紫の花を、愛おしそうに愛でる。 「クレシアの花言葉を知ってるかい?」 「花言葉?」 知らない、と首をふるとティンリスは厳かに告げた。 「―――『時忘れ』」 「とき…わすれ?」 「そう、時を…時間を…歩みを忘れた花。足を止め、止まりを覚えた花。あたしはね、還れないんだ。ここで一生朽ち果てるつもりさ」 還りたくても還れない故郷。 その痛みは想像することしかできなくて…。 レイルは、きゅっとティンリスにしがみついた。 「僕がいる…僕がいるから…。ずっとティンリスの傍にいるから……っ」 その精一杯の告白に、ティンリスは淡い笑みを浮かべた。 「うん…うん。…そうだね」 月夜の逢瀬は、淡い恋心を自覚しないまま過ぎる――― Back/ Novel/ Next |
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