6.the last smiling face



毎日が楽しくて、楽しくて……―――
遠くにいる妹のことは今でも胸をかすめるけれど、目の前の『家族』に心ひかれるのもやめられなかった。

……そう。家族になろう、と言いだしてきたのはティンリスだった。







「………」
「イヤかい?」

眉をよせて考えるレイルに、ティンリスは聞く。
それにレイルはすぐ首をふった。

「嫌じゃない。…けど何で?」

まっすぐに見つめてくるようになった瞳。
慣れてきたレイルは頭の回転がよいのも手伝って、突然鋭くついてきたりもする。
今もそうだ。
ティンリスは負けたと言うように、苦笑する。

「ごめんよ。ちょっと同僚に故郷のことを悪く言われて、ね。レイルを憐れんだんじゃないよ。寂しくて…すがりたくなっちまったのは、アタシの方さ」
「ティンリス…」

しばらく見つめていたが、にこりと笑うと少しばかり頬を染めて言った。

「家族には、なれない。僕にはリアラがいるから。でも……………恋人になら、なってもいーよっ」
「レイル…あんた」

ティンリスは驚いた風だったが、にやと笑うとぐりぐりとレイルの頭をなでる。
「まったく、どこで覚えてきたんだか」
「痛っ」
「ばぁーか。十年早いよ。…でもまぁ、悪くないね」

その後すぐに客に呼ばれて仕事に行ってしまったけれど、すれ違うときレイルの頬に風のようなやわらかなキスをしていった。
「しばらく恋人候補にしといてやるよ」と言って。







「幸せとは儚いもの。そう知っていたのに、私はその幸せに夢中になっていたわ」
シアは満天の星空を見ながら、自嘲するように笑みをつくる。

「その先に何があるのかなんて考えもしないで……」







ティンリスは売れっ子の娼妓だった。
異国の色が珍しいのか毎夜の如く呼ばれ、レイルを一人残して仕事へと向かう。
明け方疲れて帰ってきては午前中を寝て過ごし、起きだすのは陽が真上にくるあたりであった。

今はまだ早朝。
たまに客引きくらいは手伝うが、実際に客をとることのないレイルは娼館においてありえないほど規則正しい生活を送っている。
日の出とともに目覚め、やがて帰ってきたティンリスにベットを明け渡して部屋を出てくる。
今、彼女はぐっすりと眠っているだろう。

(ティンリス…また、痩せた…)

以前よりもほっそりとしてしまった姿を思い描く。
どう見ても、あまり健康そうに見えない。
それが美人なだけあって、余計に凄みをましている。

(そして……あの咳)

ティンリスが時たましている咳。
……それが何だか酷く嫌なカンジがするのだ。
レイルは医者ではないので詳しいことは分からないが、昔近所に住んでいた老人がこんなカンジの咳の病気で死んだのを思い出した。
ある日、大量の血を吐いて―――

「―――やだっ!」

想像してしまい、叫びつつ頭をかかえこむ。
ティンリスがそんな風になってしまうのは耐えられない……

「何がイヤなんだ?」
「―――っ!?」

突然背後から聞こえた声に、ビクッと過剰に反応してしまった。
心臓が激しく脈うつのをなだめながら後ろを振り返ると、見慣れた赤茶の頭が目にはいった。
レイルは少し涙目になりながら文句を言う。

「ジン…脅かさないでよ。こんな朝早くからどーしたの?」

鳶色の隻眼を細めたジンは、おかしくてしかたないという風に笑っている。
ジンもまた娼館で働く一人で、ティンリスと同じく午前中は寝ているのだが今日は違うようだ。
朝陽に照らされた横顔は徹夜したという風でもない。

「昨夜は仕事なしでね。それより浮かない顔してんじゃねーか。どしたよ、レイル」
「………」
「あ?」

後押しするように尋ねられて、レイルは思い切って聞いてみることにした。

「ティンリス…どこか悪いの?」
「あー…」

ジンはその問いで眉を曇らせた。
何と言おうか瞬間迷って、結局そのまま頷いた。

「ココじゃ、よくある話だ。悪性の…肺病。ティンネの葉がよく効くんだが、かなり貴重なもので俺らなんかにはまず手に入れられねぇ代物さ」
「……ティンネ」
「おい、盗もうとか考えんじゃねーぞ。そんな事されたってアイツは喜ばねぇよ」
「しないよ!」

言い掛かりをつけられ、レイルは憤慨する。
それに笑みを見せた後、ジンはぽんぽんと頭をなでて背を向けた。

「…ま、あんま考えすぎんなよ。じゃな」







「ジンはぶっきらぼうな喋り方をするけどとても優しかったわ。ふふ……あなたにちょっと似ているわね、カイン」
「ぶっきらぼうな言い方がか?」
「ふふ」

―――優しいところが。

声には出さず、心で思うだけに留めておくことにする。
だがカインには伝わったのか、肩をすくめて否定する。

「ところで…肺病に効く薬として、ティンネの葉の他に何が思い付く?」

突然、シアが話題を変えた。
カインは考えることもせずに答えを言う。

「ヘム草、ズーの実、それとシガ虫の殻を混ぜたもの」
「…ご明答。そう、今ではちょっと知識ある者なら誰もが知っていること。安値で手に入りやすい。おかげでティンネの葉は大暴落したほどだわ。……当時、その存在は誰も知らなかったのだけど」

シアは一息つく。
その紫の瞳がちょっときらめいたのを、カインは見た。

「でもね」

楽しそうに。
得意そうに。

「薬は、できたのよ」

(……?)

一瞬分からなかった。
けどよく考えて―――

「――……アンタが作ったのか!?」

驚愕の表情を浮かべるカインに、シアは微笑みを返した。

「まったくの独学ではないの。知り合いの古本屋で必死になって探して見つけたわ」

それは古代の知恵。
それと……シアの執念。







目の前に出された薬を、ティンリスはただただ驚きの眼差しで見ることしかできなかった。
薬を持つ手の主は、早くと言わんばかりだ。
それにつられて受け取ったはいいが、まだ戸惑いがある。

「あ…あの、レイル?」

出た声はおかしいほど気弱だった。

「何、ティンリス?はやく飲んで」
「だけど…」
「大丈夫。ちゃんとした薬だよ。毒なんかじゃないよ」
「それは分かってるが…」

しぶっているわけではないのだけど、戸惑いが言葉をつまらせる。
その様子を見てたジンが、おかしそうに笑う。

「受け取ってやれよ。きちんと本物だぜ」
「分かってるよ…」

語尾が掠れたのを聞いて、ジンは意味ありげに揶揄する。

「おや、ティンリスでも照れることがあるんだな〜」
「……っ。うるさいよっ!」

叫ぶティンリスの頬は、珍しく朱をはしらせている。
それにはレイルも驚いてしまった。

「レイル…」
かけがえのないものを大切に抱き締めるかのように、薬を握るティンリスが口を開く。
顔をあげたレイルは、目を見開いた。

「ありがとう」

彼女は、溶けてしまいそうな、淡い笑みを浮かべて…いたのだ。


それは本物の笑み。
はじまりになる筈の…………けれどなれなかった、終わりの笑み。







「その後、ティンリスは目に見えて回復していったわ。私は、これからの幸せを信じて疑わなかった…」

星が輝きをひそめる。
街の明かりはほとんど消えていた。

「幻想の城は細い細い糸の上に建っていたの。……あっけなく切れるくらいの」


結ばれぬ指、閉ざされた瞳。
それは、本当に突然だった。



「あの、日」
その昏い声に、カインの胸はドクリとうった。


「あの、雨の日。ティンリスは死んだの」






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