7.the pupil which gazes at death



「ティンリス――!!」

遠くでジンの声が聞こえる。
でも頭はそこで知覚を遮断した。
目も耳も正常に働いてくれない。
ちがう。
こころが、働いてくれない。

ナニ…?
あの……赫(あか)いのは、ナニ――?







「普通に、見えたの」

ぽつり、呟く姿が闇に溶けそうだった。
昇華したと言っても、やはりまだ思い出すと痛みが蘇る。
それは、未だ後悔しているという、証。
カインはゆっくりと、目を細めた。

「あの日。いつも通りの夜。私は少女の恰好で客引きを手伝っていたわ。花街と呼ばれる界隈の入口で。雨が今にも降り出しそうな天気で、早く帰りたい一心だった。…だから気付かなかった」

羽振りの良さそうな商人の男だった。
優しげな面差し。
気が急いていたこともあってすぐにその男に決めた。
自分が知らず悪魔を選んだことに気付かず…。

「店の名をだしたらすぐに男は反応したわ。異国の娼妓がいるところか?と確認してきた。…そういうことはよくあったわ。珍し好きな男が噂を聞きつけてやってくるの。私はその男も、同じ類だと思った。だから、案内した…」

通りを抜けてきらびやかな館へと到着したレイルは男から金をもらい、ティンリスの仕事部屋でもある西の一室に案内した。
どうして好きな東の部屋にしなかったのかと以前尋ねたら、故郷に胸はれる仕事じゃないから、と苦笑していた。
扉の前まで案内して、そのままレイルは下がる。

「その時、もう少し注意深く観察していたら男がその衣の内に刃を隠していたことに気付いていたかもしれない」
「でもそれは仮定であって現実には気付かなかった…」

カインの厳しい指摘にもさほど動揺を見せず、シアは頷く。

「…そう。私は気付かなかった。だからそのまま中にいるティンリスの顔も見ずに立ち去ってしまった。次の朝、また逢えると信じて」

だが―――
願いは、叶わなかった。







「誰かっ!誰かきておくれー!いやぁぁッ、ティンリスーッ!!」

早朝の静寂を女の甲高い悲鳴が切り裂いた。
まさしく絹を裂くようなその声に、弾かれるようにレイルは部屋を飛び出した。
迷わず西の部屋を目指す。
昨日別れたあの部屋へ―――

「ティンリスっ」

レイルが駆け付けるとすでに沢山の人だかりが扉の前にできていた。
皆仕事が終わったばかりで着の身着のままといったものだったが、一様にその顔を白くさせている。
泣き崩れる娘たち。
それが意味するところは…。
レイルに気付いた女将がやはり強張った顔で近寄ってきた。

「あの、何が…」
「―――昨夜、ティンリスの客をつかまえたのオマエだろう。どんな、男だい?」
「客?あの…身なりの良い優しそうな商人でしたけど…」
「名前は?」
「それは…」

…分からない、と首をふる。
レイルは立て続けで質問されて困惑の色が隠せない。
同時に胸の中のイヤな予感がいっそう強まっていった。
しぼりだすように声をだす。

「あ…の。ティンリスに、何か……?」

レイルと話していた時より疲労の色が濃くなった女将は、今気付いた…という風に手まねいた。

「そうだね、アンタ仲良かったんだったね。中に入りな。別れを…」
「え…」

それはどういう?という前にティンリスの友人の一人が叫び声をあげた。

「こ…の、疫病神!!オマエのせいでティンリスが死んだんだ!オマエが殺したんだーっ!!」
「ナリエ!」

女将が静止にはいる。
その後もその女は何か叫んでいたが、レイルの耳には入らなかった。

(な…に。何…て言って…)

ドクンドクンと煩いくらいに耳元で鼓動が鳴る。
キィンと、頭の一部が麻痺してゆく。
何が…何が…なに、が……!

―――オマエのせいでティンリスが死んだんだ!

「――――ッ!」

ひきつけのような声をもらしてレイルは息をつめた。
我を忘れて部屋へと飛び込む。
そこで目にしたものは―――

「あ……」

静かな、部屋だった。
外の喧騒が嘘のようにひんやりと冷気すら漂わせて。
生きてるものなんて何もいないような気がして。

「ティン…リス…?」

白い手が寝台に無造作に投げ出されている。
人形の、ように。
衣服は、綺麗だった。
ただ…、その胸も腹も寝台もすべてが、目の痛くなるような赫(あか)、で――――

「――ティンリスッ!!」

バンッと扉が壊されるように開かれ、叫び声をあげたのはレイルではなくジンだった。
バタバタと荒い足音をたてながらレイルを通り越し、寝台へと走りよった。
脈をはかり頬に手をやって……絶望的な呻き声をあげた。
歯軋りの音が、痛い。

「……ックショウ!」

ガンッ、と渾身の力で壁を撲り、そのまま枕もとへと崩れ落ちる。

「…んでだよ…。何で、オマエが死ななきゃならないんだよッ!!」

勢いにまかせて立て続けに壁を撲るジンを見て、固まっていた心が少しだけ動いた気がしてレイルは一歩進んだ。

「ティンリス…」

―――やっと、アタシの名を呼んだね

ふと、声がよみがえる。
いつも強気で美しかった。

「ティンリス」

―――あたしは還れないんだ

さびしそうに微笑んだ夜。
誓ったのは共にいること。

「ティンリス…ッ」

―――アンタの瞳、好きだよ

この紫を大好きと言ってくれた。

「ティンリス…ッ!」

―――ありがとう…

嬉しそうに、頬を染めて淡い笑みをくれた…。
このまま、幸せな日々が続くと信じていた。


「ティ…――」

もう、その笑顔は失われてしまったのに?

「…――」

ふと、視線がティンリスの手におちた。
微かな、違和感。

(手に、何か握られて…――)

それを、捕らえた、瞬間。
レイルは自分の中に急激に沸き上がる感情を、制御できなくなった。
想いが、想いが、想いが―――!

「…ァァァアアアアッ!!!」


…心が、闇につつまれてゆく――――







どんな時でも、陽は昇る。
レイルは一人、部屋で佇んでいた。
涙は、昨日の雨に流しきった。
この心を埋める感情は、そんな綺麗なものではないモノ。
窓際にいけられている紫の花をそっと手にとった。

(…うん、これにしよう)

一瞬、胸のすみを痛みが通り過ぎたけれど。
彼女が、似ていると言ってくれたから。

「……」

背筋をのばし、さらりと色鮮やかな布地がたてた涼やかな音を聞きながら、扉へと手をかけた。
あの日と同じ音をたてながら、開く。
外には苦虫を噛み潰したようなジンがいた。

「…ほんとに、いいのか?」

それに笑みを返す。

「後悔はない。望みは一つだから」
「けどなぁ…レイル…」
「――シア」

静かに訂正する。

「僕…いや、私は今日からシアだ。心配しなくていい。ただ一つを、望むだけだから」

そう、望みは一つ。
望むは―――


―――――――――――――――アイツの、命。





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