8.The edge to sharpen well ティンリスの腹と胸は剣のようなもので、刺されていた。 まるで楽しんでいたかのように何度も何度も…。 その時何がおこったか、今となっては分からない。 何故部屋が荒れた形跡がないのかも、何故ティンリスがクレシアの花を握っていたのかも、今となっては…知る術はない。 ただティンリスの命を奪ったのは、誰だか分かっている。 あの、商人。 彼を、許せない。 いや、許すことなど絶対にしない――! 「商人という以外、手掛かりはなかったわ。名前を交わさないのが娼館の常識だったし。ただ…顔は忘れなかった。いいえ、一日たりとも忘れることなどできなかった…!」 シアは苦しげに叫ぶ。 自分が声をかけなければ、事件がおこらなかったかもしれなかった。 後悔の念も相まって、より一層憎悪の感情ばかりが深まった。 「だから」 顔をあげてしっかりとカインと目をあわせる。 「…だから、復讐を誓ったの」 シアと名を変え、娼館で修業すること数年。 客引きが精一杯だった少年は、押しも押されぬ一人前の色売りと成長していた。 しかし、客をとるのは多い方ではなく、また表だったファンを嫌うのには理由があった。 ……それはある仕事のため。 コンコン。 軽いノックの音。 どうやら客が来たらしく、見習いの子が連れてきたのだろう。 (今日はどんなお客かな…) わざわざ自分を指名してくるのだから当然あの用件だとは思うが。 シアは、一切客引きを使わなかった。 わざわざこちらから誘いをかけてする仕事ではないからだ。 だからシアが働くのは、どこからか情報を聞き付けて直接この店に来る者があった時だけだ。 そのほうが、水面下だけで情報が伝わるから。 シアは寝台から立ち上がって、色々な小瓶が並んでいる卓につく。 ずいぶんと伸びた金の髪が、肩先でさらりと揺れた。 「いらっしゃいませ。私がシア。あなた様のご用件は何?」 扉を開けて呆けている男にダメ押しのようにとびっきりの笑顔をつける。 どこかいい家の跡取り息子のような威厳のある雰囲気をもっていたが、笑顔一つでたちまちダラシなく頬を緩ませる。 しかし本来の目的を思い出したのか、男は取り繕うように咳ばらいをした。 「あー…その、だな。その…そなたが珍しいものを持っていると聞いたのだが…」 ごにょごにょと喋る男に、シアはくすりと笑って椅子を促す。 「ええ、あなた様がどこから聞いてきたのかは知りませんが、たしかに。あなた様の願いは何ですか?」 男は瞬間迷った目をした。 こんな小娘…いや小僧がホントに噂の主なのかどうか疑ったからだ。 だがそんな事を言ってられない自分を思い出し、迷いを捨てさり用件を切り出した。 「実は…痕跡の残らない毒薬が欲しい。一人分でいいんだ。……用意できるだろうか」 ―――薬。 これがシアのもう一つの仕事だった。 爆薬から麻薬、果ては毒薬まで頼まれれば何でも調合してくれる闇薬師。 それも他の同業者よりも遥かに多種の品を用意できるということで、一部では名が凄まじい勢いで売れていった。 ………これが、狙い。 こんな恰好をしているのも闇薬師なんて危険なことをしているのもすべては、―――ただ一人の男のためのワナ。 珍品コレクターであるあの商人の男を探しだすためだけの。 それは、男が殺したティンリスの銀の髪を一房持って行っただろう事などから推測したことだ。 シアはワナのために、危険な場所で採取した珍しい薬草などを用意していた。 (この人は…違う) 年齢は似たようなものだったが、顔の造作がまるで違った。 すこしばかり心の中でため息をつくと、机の小瓶の一つを取り男へとさしだした。 「どうぞ。一滴程度、飲物にでも。眠るように呼吸が絶えてゆきます」 「そ、そうか…」 男は恐ろしそうに……嬉しそうに受け取る。 そして懐から金貨のつまった小袋を差し出した。 「代金だ。足りるだろうか?足りないならばもっとだすが…」 「いえ、これで充分です。では、これでご用件は終わりですね?」 卓から立ち上がり尋ねる。 男は少し頬を染めると熱に浮かされたように歩みよった。 「わ、私は本来そのつもりじゃなかったんだが……その…君は本来の仕事はしないのだろうか?」 ちらりと、シアは男を見上げた。 「……。あなた様のお好きなように。私は今宵一晩あなた様のものなのですから――」 シアは男の手をとり、そしてそっと明かりを消した…… 「女装の男娼というのは闇薬師の仕事をするにはとても便利だったわ。男客、女客ともにおかしくないから」 目的は薬であるが、名目は夜伽の客なのであるから。 しかし、だからと言って夜伽の相手をしていないワケでもなかった。 それは、当時のシアにとって本当にささいな事だったのだ…。 「自分の体など、目的のための手段でしかなかったわ。…本当に子供だったのよ。仇さえ討てれば後はどうでも良かったのね」 強い風がふわりと金の髪を夜空に舞わせる。 それは一瞬シアの顔を隠し、もとに戻る。 「よく女将が許したな」 「薬のこと?…あの人はティンリスの母親のような人だったから。ジンがそれとなく口添えしてくれたこともあって黙認されたのよ」 店の悪評がたつかもしれなかったのに。 本当に感謝してもしきれない。 「それで――?」 カインは静かに促す。シアはうっすらと笑みすら浮かべて頷いた。 「……獲物は、ワナにかかったわ」 ―――きた!と内心緊張を覚えながら、そんなことをおくびにもださずに卓へと誘う。 いつものように取引をしながら、そっと気付かれないように香を焚いた。 男は案の定、珍種としてコレクターの間で名高い薬草を引き取りたいと言ってきた。 シアはにこやかに薬草を探すフリをしながら香が効くのを待った。 「…ん…、何だ…?」 「どうなさいましたか?」 男は不思議そうに目をこする。 焦点がうまく定まらないのか視線を宙に泳がせる。 「いや…体が……………………――――っ!おまっ…何をした!!」 自分の体の変調とシアとをすぐに結びつけたのはさすがである。 ここが、かつて自分が罪を犯した場所だと警戒していたのだろうか? シアは綺麗に笑みを浮かべた。 紫の瞳が冷たい光をともす。 「これの根を乾燥させて作った香です。これに見覚えはありませんか?」 そっと紫の花を袖の中から出した。 男はいぶかしげにしていたが、ふいに思い至ったらしく愕然と表情を崩す。 「…クレシアの…花…」 その花に、あの日自分が刺し殺した女の顔を思い出した。 「根はもっとも毒素が集中するトコロ。事前に解毒剤を飲んでいなければ香といえど数分で死に至ります。―――これでティンリスを殺したのか」 ふいに低い声に変える。 もうシアは笑っていなかった。 男の懐から剣を取り出し逆手にかまえる。 男はひぃっとひきつった声を出した。 「…俺が悪かった!悪かったから…っ!」 「ティンリスの髪はどこだ?」 「内ポケットだっ」 探るといくつもの内ポケットが縫い付けられていた。 様々な種類の珍品が入っている袋の一つに、色あせた銀の髪が一房でてきた。 「ティンリス…」 目を閉じて祈りを捧げる。 水分がぬけて乾燥したその髪の手触りが悲しかった。 「……」 シアはゆらりと剣をもつ手を掲げる。 男が声にならない悲鳴をあげた。 「はっ話が違うじゃないかっ。髪は渡したぞっ!」 それを冷めた目で見下ろす。 「―――僕がおまえを許すと思ってるのか?」 ティンリスの未来を踏みにじったような奴に。 「…死んで悔いろ」 銀の軌跡を描いて、剣は一直線に振り下ろされた…―――― Back/ Novel/ Next |
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